◆◆ 朝の風景 ◆◆
電車が混んでる。
早朝に車輌故障でダイヤが乱れて、駅も混雑していた。
次の電車がいつ来るかわからないから、どの人も、すでに乗れそうにないほど混んでいる電車のドア口に殺到して・・・なぜか、乗れた。
息がつけないほど押されながらふと目に入ったのは、4、50代のオジサンたちに囲まれてドアに押しつけられている栗原の姿。
――― ざまあみろ。
心の中でつぶやく。
茉莉ちゃんと抱き合うなんて、お前には百年早い。
そうは言っても・・・。
結局、あの設定は変えてもらえなかったそうだ。
茉莉ちゃんはだいぶ食い下がったらしいけど。
人形が恋をするのはどうか、とか、飼い犬を男の子の設定にして、恋の相手は江川さんに、とか、いくつか提案もしたらしい。
でも、監督は
「茉莉さんが男子とこれを演じることに意味がある!」
と言って譲らなかったそうだ。
しかも、人見知りな茉莉ちゃんのために、相手役に茉莉ちゃんが普通に話せる栗原を選んだと言われて、それ以上はどうしようもなかった、と肩を落としていた。
あーあ。
俺も同じクラスになっていれば。
今なら、俺だって栗原に負けないくらい茉莉ちゃんと仲良くできている・・・と思うんだけどなぁ。
学校のある駅で降りるのも一苦労。
上りと下りの電車が同時に到着したらしく、ホームから改札口への上り階段も渋滞している。
俺はいつも早めに登校しているから、駅にこんなにうちの学校の生徒がいる状態は初めて。
のろのろと進む階段の前後で、生徒同士があいさつを交わしている声が聞こえる。
――― もしかしたら、茉莉ちゃんがいるかも。
ふと湧き起こった期待に胸を躍らせて、階段を上りきったところで反対側のホームからやってくる生徒たちに視線をめぐらすと。
いたよ!
やった!
さすが、俺。
みんなが同じ服装をしている中で、小柄な茉莉ちゃんを見つけるなんて。
隣にいるのは江川さん?
彼女なら、俺が一緒に歩いても嫌がらないだろう。
それに、残念ながら茉莉ちゃんも、俺と二人よりもその方が気楽だろうし。
「おはよう。」
改札口の手前で声をかけると、二人とも俺を見て笑顔になった。
それだけでもほっとする。
電車のことや天気の話をしながら駅を出たところで、「よっ!」と肩をたたかれた。
・・・栗原。
そのまま俺の肩に腕をかけて身を乗り出し、茉莉ちゃんと江川さんにあいさつをしている。
同じ電車にいたんだった・・・。
がっかりする気持ちを抑えて、4人で話しながら歩く。
栗原って、ほんとうに茉莉ちゃんと仲がいいんだな・・・。
栗原はいつものお調子者の態度のままで、それに茉莉ちゃんと江川さんが笑顔で話しかけている。
3人の会話のテンポの良さから、それが普段の様子なのだとわかった。
茉莉ちゃんの表情が、俺と話すときと全然違う。
生徒会に来たばかりのころと比べると、俺ともだいぶ仲良くなれたと思っていたのに。
虎次郎や芳輝とよりも仲がいいんじゃないか?
彼女が男相手に、こんなにしゃべるとは思わなかった。
「ふ・・・。」
こっそりとため息をついてしまう。
3人からいったんそらした目を戻すと・・・。
・・・あ、れ?
遅れ気味だった俺を待つように立ち止まっている茉莉ちゃん・・・?
その向こうに話しながら歩いて行く栗原と江川さん。
待っててくれた?
俺を?
二人で歩いてくれるのか?
やったーーーー!!
飛び上がって叫びたいほど嬉しい!
これが、たとえ3人の会話に入りきれない俺に対する同情からだとしても!
頬が緩むのを懸命にこらえて、さり気ない、 “どうしたの?” という表情を繕って近付く。
一瞬、茉莉ちゃんと俺の視線がぶつかって、茉莉ちゃんがあわてて下を向いた。
通学カバンの取っ手を両手で握りしめている様子から、ただ立ち止まって俺を待つというだけのことも、彼女にとっては勇気がいることなのだと伝わってくる。
そうまでして俺のことを気遣ってくれるなんて。
幸せだ・・・。
並んで歩きだしたら、なんだか足元がふわふわする。
手を大きく振って、スキップでもしたい気がする。
大きな声で、周りのみんなに「茉莉ちゃんと歩いてるんだぜ!」と自慢したい。
自分が何を話しているのかよくわからない。
笑ってるよ・・・。
俺と話すの、楽しい?
ああ・・・。
学校がもっと遠くにあったらいいのに・・・。
「ジャスミンちゃん、おはよう。」
追い抜いて行く女子の声で我に返る。
“ジャスミンちゃん” ?
「あ、おはようございます。」
茉莉ちゃんが笑顔で軽く頭を下げながらあいさつを返している。
3年生の女子?
「知り合い?」
俺の問いにぱっと顔を上げて、目が合うと慌てて前に向き直る。
「ううん。啓ちゃんのお友達。」
「星野先輩の?」
「うん、たぶん。球技大会のあとから、よく声をかけてくれるの。」
ふうん。
茉莉ちゃんが星野先輩のいとこだから、なのか。
「あ。ジャスミンちゃーん。元気?」
え?
男子の先輩も?
3人で手を振ってるけど・・・?
「あ、はい。おはようございます。」
「あの先輩たちも・・・?」
「うん。啓ちゃんのお友達だと思う。」
そうなのか?
「ジャスミン先輩、おはようございます!」
今度は一年男子?
「あ、おはようございます。」
「一年生にも丁寧だね・・・。」
「・・・そうかな? 変?」
首をかしげて困ったように恥ずかし気に俺を見る茉莉ちゃんも・・・かわいい・・・。
「い、いや。そんなことないよ。茉莉ちゃんらしくて。」
でも、ほかの男にそんな顔はしないでほしい!
「ジャスミンちゃん、おはよう。」
うしろから追いついてきた男の先輩は、歩きながら俺に鋭い視線を投げて来た。
「あ、おはようございます。」
茉莉ちゃんがあいさつを返したあとも、ためらうように2、3歩並んで歩いてから駆け去って行く。
「あの先輩も・・・。」
「啓ちゃんのお友達だと思う。」
違うような気がするけど・・・。
そういえば帰りにも、たまに手を振ってくる人たちがいたっけ。
知り合いかと思っていたけど、もしかしたら、あの人たちも・・・?
「茉莉ちゃんは直接は知らないの?」
「え? あ、うん、そうなの。毎朝こんなふうに、みんながあいさつしてくれるの。」
「みんな?」
「あ、やだ、そんなに大勢じゃないよ、もちろん。でも、毎朝何人かはいるかな。男の人も女の人も。」
「へ、へえ・・・。」
「有名人を身内に持つだけでこんなに変わるなんてね。ふふ。」
「変わるって・・・そんなに違う?」
「うん。去年は誰にも気付いてもらえなかったのにな、と思って。」
ガツン! と殴られたような気がした。
『誰にも気付いてもらえなかった』。
その『誰にも』の中には俺も入っている・・・。
「あ、一人だけいたんだった。」
「・・・誰?」
「栗原くん。」
「・・・栗原?」
「うん。わたしを普通のクラスメイトとして見てくれたのは、栗原くんだけだった気がするなあ・・・。」
茉莉ちゃん。
だから、茉莉ちゃんにとって栗原は特別なの・・・?
「あ、でも、あの、当然なの。」
「当然?」
「あのね、わたしが気付いてもらえないのは、小学校のころからずっとだったから。」
小学校のころからずっと・・・?
「だから、何でもないの。わたし、目立たなくて当たり前だし。あの、べ、べつにみんなを恨んでるとか、そういうことは、ないから・・・その・・・。」
茉莉ちゃん・・・そんなに慌てて。
俺に気を遣ってるのか?
「茉莉ちゃん・・・。」
ごめん。
俺、茉莉ちゃんが困った顔をしてたことに気付いてた。
なのに、勝手な理由をつけて、何も言ってあげなかったんだ・・・。
「茉莉ちゃん、ごめ」
「あの、いいの、大丈夫。」
俺の謝罪のことばを、茉莉ちゃんが必死で遮る。
それから急いだ様子で通学カバンから携帯を出して、俺を無視して次々とボタンを押して。
携帯を閉じてカバンに戻しても、俺には視線を向けてくれない。
当然だ、こんな男じゃ。
・・・あれ?
携帯が・・・あ。
茉莉ちゃんからのメール?
『謝られたら泣いてしまいます。ここで泣いたら、数馬くんがわたしを泣かせたって大騒ぎになっちゃうよ。』
――― 抱き締めたい。
体が動き出しそうになるほど強い衝動に自分で驚く。
どうしたんだ、いきなり?
今までこんなことなかったのに。
だけど。
力いっぱい抱き締めて、これからは俺がいるって伝えたい。
せめて手を・・・。
無理だ!
こんな場所でできるわけないじゃないか!
それに、そんなことをしたら、彼女は驚いて逃げ出してしまう。
これからの生徒会活動にも支障が・・・。
深呼吸をして、茉莉ちゃんに笑顔を向ける。
「そんなことになったら星野先輩に怒鳴り込まれそうだから、やめておく。」
「うん。それがいいよ。」
茉莉ちゃんがほっとしたように笑った。
その笑顔に、胸が痛くなった。
第三章「ちょっとずつ」はここで終了です。
次回から第四章「夏休み」です。