◇◇ 願い事は? ◇◇
7月7日、月曜日。
「茉莉さん。これ、文化祭の劇のシナリオ。夏休みの後半から練習するから、夏休み中に覚えておいてね。」
授業のあと、帰り際に園田さん ―― ソノちゃんからA4用紙に印刷された分厚いシナリオを手渡された。
表紙には『ネズの魔法使い』、 “監督 : 園田弥生、脚本 : 菊池渉” の文字。
「・・・うん。わかった。」
もう引き返せない、という思いに気分が沈む。
見るのも怖くなって、大急ぎでカバンに入れた。
教室の反対側ではソノちゃんにシナリオを渡されたお人形役の香織ちゃんが、まわりの女の子たちと楽しげに騒いでいる。
「はぁ・・・。」
わたしもあんなふうに気楽に楽しめたらいいんだけれど・・・。
どうしても、考え方がマイナス方向に向かってしまう。
こんなことだから、いつまでたっても明るい高校生になれないんだ。
それでも最近は普通に近付いてるかな?
このクラスにわたしが存在しているって、気付いてもらえてるもんね。
生徒会室に行くと、涼子ちゃんたち一年生が作業机に折り紙を広げていた。
「どうしたの、それ?」
「短冊に願い事を書いてるんです。今日は七夕だから。」
そういえばそうだ。
「でも、笹は?」
潤くんが得意気に黒板の方を指差す。
「あら、上手。」
黒板には緑色のチョークで笹の枝の絵が描いてあった。
すでに2枚の短冊がテープで留めてある。
「ジャスミン先輩も書いてください。」
長方形に切った折り紙を、慎也くんが笑顔で差し出す。
涼子ちゃんの隣に腰掛けて・・・何を書こう?
まさか、 “数馬くんとたくさんおはなししたい” とは書けないよね。
ほかの願い事って・・・。
“生徒会で邪魔にならないように” ?
・・・またマイナス思考。こんなのじゃダメだ。
“生徒会で役に立ちたい” ?
・・・わたしには積極的過ぎる願い事だ。みんなに当てにされるのも怖いし。
「・・・涼子ちゃんは何て書いたの?」
「わたしはこれです!」
ん?
『カッコいい彼氏ができますように!!』
・・・そうか。
こういうことを書けばいいのか。
わたしって、真面目すぎるのかな・・・。
「僕はこれです!」
ん? 潤くん?
『イケメンになりたい。』
「ぷ。」
思わず笑っちゃった。
小学生みたい。
「先輩。あの・・・。」
慎也くんの短冊には・・・。
『ジャスミン先輩とデートしたい。』
「え?!」
なにこれ?
告白されてるの、わたし?
「慎也くん、何書いてんの?! 茉莉花先輩がびっくりして固まっちゃってるじゃん! 先輩、こんなの気にしなくていいんですよ。」
気にしなくていい?
「・・・そうなの?」
「いいんですよ。あんなの放っといてください。ただの願望なんですから。」
「うん・・・。」
啓ちゃんのお友達のみなさんと同じようなもの?
みんな、ごあいさつすると喜んでくれるけど・・・。
「慎也くんのことなんか気にしないで、先輩も願い事を書きましょう。わたしもあと3枚くらい書きますから。」
そんなに?
そうか。
お遊びなんだから、何でもいいんだね。
じゃあ、わたしも気にしないで書こう!
「たくさん書いたなあ。」
黒板に貼られた短冊を見ながら数馬くんがつぶやく。
短冊が多過ぎて、描いてあった笹の絵が見えないほどだ。
「『体育祭で優勝!』? 虎次郎は何チーム?」
「俺? 赤。2年はうちと8組だって。」
「あれ? 決まったの?」
うちのクラスでは何も言ってなかったみたいだけれど。
委員さんが報告するのを忘れちゃったのかな?
体育祭のチームは赤、黄、緑、白の4つ。
各学年8クラスを2クラスずつくじ引きでセットにして、それを3学年分で1チーム。
「知らなかった? 1組はうちのクラスと一緒に黄色だって聞いたよ。」
「え? ほ、ほんとう?」
数馬くんと一緒?
嬉しい・・・。
でも、無様な姿を見られたら恥ずかしい。
「茉莉花。この『劇で恥をかきたくない。』って・・・。」
「あ、笑わないでよ、芳くん。今日シナリオを渡されて、いよいよ引き返せないと思ったら恐ろしくて・・・。」
やっぱりマイナス思考から抜け出し切れていないよね・・・。
「わあ、先輩。シナリオ見せてください。」
「こんなもの見たいの? よかったら変わってくれてもいいんだけど。」
ええと・・・あ、これだ。
「ありがとうございます。『ネズの魔法使い』? けっこう量があるんですね。」
「夏休み中にセリフを覚えるように言われてるの・・・。」
気が重いなあ。
「そうなんですか。大変ですね。へえ、ナレーター、『これは、ジャスミン姫とその仲間たちの恋と冒険の物語である。』ですか。」
「え? ちょっと待って! 見せて!」
ジャスミン姫?
出演者には『茉莉花』って書いてもらうことで納得してもらったのに、ここに?
それに、恋?
・・・書いてある。
恋って、誰の?
まさか “ジャスミン姫” ・・・?
急いでページをめくる。
どこ?!
・・・これ?!
ロビィ : 偉大なる魔法使いのもとに着いたら、あなたはもとの世界に帰ってしまうのですね。
ジャスミン姫 : 仕方がないのです。わたしには王女として、隣国の王子と結婚するという使命が・・・。
ロビィ : そんな世界に帰したくありません。姫、どうかこの世界にとどまってください。わたくしが命をかけて姫をお守りし、必ず幸せにします。
ジャスミン姫 : ロビィ。できるならわたしもそうしたい。けれど、小さくて弱いわたしの国で、婚礼を控えたわたしがいなくなってしまったら、両親も国民も悲劇にみまわれてしまいます。
ロビィ : 姫・・・。
ジャスミン姫 : でも・・・、せめてこの世界にいるあいだは、あなたと幸せな時間を・・・。
ロビィ : ジャスミン姫・・・。(ジャスミン姫を抱き寄せる。)
「うそっ?! なにこれっ?! なんでっ?!」
ろ・・・ “ロビィ” って誰?!
配役、配役・・・ええと、 “ロビィ(ロボット) ・ 栗原翔” ?!
「栗原くん?! 栗原くんと?!」
“抱き寄せる” って・・・。
「そんな! できないよ! どうしよう?!」
力が抜ける・・・。
「なんだよ、茉莉花? 見せてみろ。」
「・・・茉莉花がジャスミン姫? それだけでお客がたくさん入りそうだね。」
芳くん・・・。笑いごとじゃないんだよ。
「なんだ。抱き合うだけじゃないか。たいしたことないな。」
えぇ?!
「虎次郎くんにとってはそうかもしれないけど。」
わたしにとっては男子トイレに入るのと同じくらい恐ろしいことなのに・・・。
「ジャスミン先輩。僕で練習しませんか?」
「慎也! 図々しいこと言うなよ! 先輩、慎也より僕が」
「二人とも馬鹿なこと言うのやめなさいよ。茉莉花先輩、本気で困ってるんだから。」
「ありがとう、涼子ちゃん・・・。」
やっぱり分かってくれるのは女の子だよね・・・。
「茉莉花先輩、その栗原先輩って、カッコいいんですか?」
「え?」
「だって、カッコいいひとが相手なら、ラブシーンも楽しいじゃないですか? 役得ですよ。」
ああ・・・そういうもの?
いいえ!
「違うでしょ、それは。だいたい、人前でやるものじゃないんだから。」
人前じゃなくても、わたしには無理だよ。
相手がたとえ・・・数馬くんでも。
やだ〜!
考えるんじゃなかった!
数馬くんとなんて・・・絶対無理!
恥ずかしい! 顔が熱くなってきちゃった・・・。
「あの、変更できないか、頼んでみたらどうかな?」
数馬くん!
「そ、そうだね。そうだ。そうしよう。明日にでも言ってみる。できないから変えてって。」
「うん。それがいいよ。」
さすが数馬くんだ。
前向きな提案をしてくれる。
「ありがとう。ちょっと気が楽になってきた。」
「そう? 役に立ててよかった。じゃあ、仕事しようか。」
ありがとう、数馬くん。
でも、ちょっとだけ・・・、ほんのちょっとだけなんだけど、焼きもちを焼いてくれたら・・・なんて考えるのは贅沢だよね。