◇◇ メガネ ◇◇
「大野と星野先輩がいとこ同士だなんて、全然気付かなかったなあ。」
球技大会の翌日、カナちゃんと一緒に選択授業で音楽室に向かっていたとき、お習字の道具をぶら下げて追いついてきた栗原くんに言われた。
その話はきのうまでは、おもに3年生に捕まって何度も訊かれたけれど、今朝になってみたら、すでに忘れられたように落ち着いていた。
球技大会の2日間で、知りたい生徒にはすべて情報が行き渡ったのかも知れない。
情報が流れても、特にわたしに向かって文句や当てこすりを言う人がいなくてほっとしている。
よく考えたら、高校生にもなってそんなことを直接口に出して言う人なんて、きっといないんだ。
言葉や態度に出さないでいてくれるなら、心の中でどう思われてても平気・・・でいたい。
そのくらい強く在りたい。
「栗原くんは、啓ちゃんといつごろから知り合いなの?」
わたしの問いに、栗原くんがちょっと考えた。
「俺が小学生のバスケット・チームに入ったときからだから・・・小4のときだな。」
「あれ。もしかしたら、わたし、試合の応援に行ったことがあるかも。」
うん、そうだ。
「え?」
「啓ちゃんが6年生のとき、お母さんと一緒に何度も行ったよ、応援に。」
「ああ。あのときは強かったんだよ。県大会で3位まで行ったんだから。じゃあ、俺も大野と会ったことがあるのかも知れないな。」
「そうか・・・。」
試合の合間に、お母さんや叔母さんと一緒に啓ちゃんに会いに行ったりしたもんね。
栗原くんとそんなご縁があったなんて、びっくりだな。
「ねえ、栗原くん。茉莉さんって、星野先輩と似てる?」
カナちゃんったら!
「どうかなあ? 男と女って、顔の造りが全然違うじゃん。」
「似てないよ。」
あ?!
「ダメだよ! メガネ!」
取られた!
届かない!
「栗原くん! 返して!」
「まあ、落ち着いて。すぐ返すから。どう思う、江川?」
カナちゃん!
「茉莉さん、そんな怖い顔しないで。」
そんなこと言われたって!
「うーん・・・。あたしは星野先輩の顔をそんなによく見たわけじゃないから・・・。」
「じゃあ、いいじゃな・・・。」
「あ、似てるな。目のあたりとか、顔の輪郭とか、全体の雰囲気が。どっちかって言うと、今より昔の先輩と似てる。」
「あー! 茉莉さんがメガネはずしてる! 素顔見せて!」
「え? 大野って、生徒会長のいとこなんだろ? ってことはすげえ美形じゃないの?」
みんなまで?!
やめて!
「そんなことないの! 注目しなくていいの!」
栗原くん、返して〜〜〜〜!
「ねえ、茉莉さんて美人だね。どうしてコンタクトにしないの?」
「あ、江川もそう思う? 俺も前から、どうしてこんな変装ちっくなメガネをかけてるのかと思ってたんだよな。」
「いいの! もう返して!」
ジャンプして栗原くんが高く上げている腕に飛びつくと、ようやくメガネを返してくれた。
「もう! 自分が背が高いからって、自慢しちゃって!」
「ははは! 今のジャンプで大野も少し背が伸びたかも知れないぞ。」
そう言って笑いながら、栗原くんは書道室へと去って行った。
集まっていたクラスメイト達も、笑いながら散っていく。
気にしてるのに〜!
自分が背が大きくないことは分かっていたけど、去年まではそれほど実感がなかった。
今年も、普段は小柄なカナちゃんと一緒にいるからうっかりしていた。
そうしたら、体育で背の順にならんだとき、わたしは前から3番目! もう、大ショック!
去年までは、辛うじてまん中グループだったのに。
背が小さいせいで具体的に不利益があったわけではないけれど、なんとなく損をしている気分になる。
もともと存在感がないのに、これではますます気付いてもらえない。
あーあ。
「あ、ジャスミンちゃーん。」
え?
「あ、はい?」
誰? 女子の先輩?
知らないひとだと思うけど・・・。
「バイバーイ♪」
????
とにかくお辞儀をしておこう。
きっと啓ちゃんのお友達だ。
やっぱり学校中に知れ渡っちゃったんだなあ・・・。
この地味でまるっきり日本人の容姿じゃ、名前に負けすぎてて、みんなびっくりしちゃうよね。
ああ・・・嫌だなあ・・・。
「ねえ、大野さん。そのメガネって、大野さんの美貌を隠すためなの?」
「ええっ?!」
夕方、駅への帰り道で、木下さんからいきなり出た質問に声が裏返る。
「なんでそんなことを思い付いたの?!」
「あ、俺も、もしかしたらそうかなって思ってたんだ。」
富樫くんまで・・・。
あきれて何も言えない・・・。
前を歩いていた啓ちゃんが笑いながら振り返る。
「ジャスがそのメガネに変えたのは、高校に入るときだよね? 受験までは、『高校生になったらコンタクトにする。』って言ってたのに、いきなり『黒縁メガネがいい。』って言い出したって、伯母さんが不思議がってたよ。」
そのとおり。
不思議がってただけじゃなくて、ずいぶん反対もされた。「もっと可愛く見えるメガネにしたら?」って。
うちのお母さんは(もちろん啓ちゃんのお母さんも)おばさんだけどけっこう美人で、そのせいか、他人にどう見えるかということをかなり重要視している。
だから、わたしがお世辞にもお洒落とは言えないメガネに決めたことを納得できないのだ。
「俺は、俺と似てるって言われることが嫌なのかと思ってたけど、ほんとうは美人なのがバレると面倒だからなのか?」
「啓ちゃんまで・・・。わたしの顔の造りについては、ちゃんと知ってるでしょう? 隠すとすれば、他人に不快感を与えないためだよ。」
まったく、もう。
そうやって茶化してばっかり。
「そんなことないよ。おととい、大野さんが倒れたときに近くにいた子が、『綺麗な子だね。』って言ってたよ。『さすが、星野先輩のいとこだよね。』って。あたしもそう思うよ。」
「ええ? ホントに? 今まで、見た目を褒められたことなんてないよ。」
びっくりだ。
「ありがとう。でも、もしかしたら啓ちゃんのいとこだっていうだけで、何十倍もよく見えるんじゃないかな?」
先入観の威力って、大きそうだもの。
みんなの笑い声で終わりになったその話題。
でも、昼間も栗原くんに「変装ちっく」なんて言われたんだっけ。
このメガネって、わたしがかけるとわざとらしいのかな? 日向くんにはとても似合っているのに。
「あの・・・大野さん。」
駅の階段を上りながら、いつの間にか隣にならんでいた日向くん。
突然話しかけられて、心拍数が跳ね上がる。
「は、はい。」
ああ・・・だめだ。
視線を合わせておはなししたいけれど、恥ずかしくて顔を上げられない!
「ええと、その、どうしてコンタクトにしなかったのかな、と思って。」
え?
「どうして」って、それは・・・、それは・・・。
「こ・・・これは、あの、願い事っていうか、お守りっていうか・・・。」
日向くんと会えますようにって。
日向くんとおはなしできますようにって。
こんなふうに・・・。
「ああ・・・、そう。大野さんには大切なものなんだね。」
あ。
分かってくれた・・・。
「うん・・・。そうなの。」
感動して思わず視線を上げたら、やさしい笑顔と出会った。
日向くんのメガネのレンズには、同じようなメガネをかけたわたしが映って。
―― 嬉しい。
やっぱり、わたしの気持ちを分かってくれるひとだった!
「じゃあね。また明日。」
やさしい口調で告げられるサヨナラの言葉。
“みんなに” じゃない。
“誰かに” じゃない。
わたしに!
「うん。また明日。」
明日も会える。
明日も・・・おはなしできる?