死芸観
「どんなに辛いことがあっても、
それが芸の肥やしになると思えば、人生は楽しい」
そう僕に告げたある人間が自殺した。
彼にとって、自殺することも”芸の肥やし”だったのだろうか。
死前、
彼は英語の勉強をしていた。
「これからはインターナショナル!これからはインターナショナル!!」
そう気味悪く連呼していた。
僕は「そうだね」と相槌を打ち彼を応援した。
別に心から彼を応援していた訳ではないが、
社会から離縁した彼の今後の生き様に興味を持っていた。
だから彼が死んだその次の日、
僕は勤め先に辞表を提出した。
その夜ベットの中、気持ちの悪い音が響く。
線形に増加する思い。
僕はこれからどうなるのだろう。
どうしてこんな生き方しか出来ないのだろう。
どうして彼は己の失敗を芸の肥やしに昇華できなかったのだろう。
様々な苦悩が巡回し、負に励起した僕の精神が枕元に落ちた。
「普通の人生を送ること」
それは芸の肥やしにはならない。
しかしそうやって人は、愛を受注し、子をつくり、老いて死んでゆく。
では僕の人生は何なのだろうか。
肥やす価値もない”芸”に身を注いでいくのだろうか。
そして彼のように死んでいくのだろうか。
もし彼にもう一度逢えるのなら、声を大にして言いたい。
「お前の芸は最高につまらない」、と。
ストレス解消のためだけに書いた短編です。すみません。