第102話:ギルド崩壊(精神的に)と、歩く国家 〜手渡されたひとかけらは、荒野を潤す恵みの雨である〜
冒険者ギルド「竜のあくび亭」。 そこは王都グランドルにおける情報の交差点であり、荒くれ者たちの憩いの場であり、そして受付嬢リナにとっては、終わりのない書類仕事との戦場でもあった。
冬の午後の日差しが、分厚いガラス窓を通して店内に差し込んでいた。 外の空気は肌を刺すほど冷たいが、ギルドの中は巨大な暖炉の炎と、冒険者たちの熱気でむせ返るように暖かい。 エールの発酵臭、じゅうじゅうと音を立てて焼かれる羊肉の脂の匂い、そして使い込まれた革鎧や乾燥した木材の香り。それらが混然一体となって、この場所特有の「生」の匂いを作り出している。 宙を舞う無数の埃が、斜光を受けて金粉のようにキラキラと輝き、ざわめきの中に溶け込んでいく。
そんな平和な喧騒を、一人の男がぶち壊した。
バンッ!!
ギルドの重厚な扉が、蹴り破られるような勢いで開け放たれた。 一斉に視線が集まる。 逆光を背負って立っていたのは、相変わらずの寝癖頭に、能天気な笑顔を貼り付けた男――瞬だった。
「たっだいまー! 腹減った! 誰か肉焼いてくれ!」
その声を聞いた瞬間、カウンターの奥で書類と格闘していた金髪ツインテールの受付嬢、リナが弾かれたように顔を上げた。 彼女の目が、瞬を捉え、その後ろに続く見慣れた(そして見慣れない)面々を捉える。
一秒の静寂。 そして。
「おかえりなさぁぁぁぁぁぁいっ!!!」
鼓膜をつんざくような絶叫と共に、リナがカウンターを飛び越えた。 スカートを翻し、書類を撒き散らしながら突進してくる彼女は、感動の再会というよりは、獲物を見つけた猛獣に近い。
「しゅ、瞬さん! 瞬さんっ! 無事だったんですねぇぇぇ!」 「おっと、危ねぇ」
瞬がひらりと身をかわすと、リナは勢い余って騎士ゼイクの鋼鉄の胸板に激突した。 ゴインッ、と鈍い音が響く。
「……リナ嬢。感動はわかるが、私の胸部装甲はクッションではない」 「痛ぁぁぁ……! ゼイクさん、硬すぎですぅ!」
リナは涙目で鼻をさすりながら、改めて一行を見渡した。 瞬、ゼイク、アリス、メイ、エリーゼ。 そして――。
「……え?」
リナの目が点になった。 一行の最後尾に、フードを目深に被った小柄な人影がいたからだ。 その人物がおずおずとフードを取ると、そこには美しい金髪と、宝石のような翠玉の瞳、そして特徴的な長い耳を持つ少女の姿があった。
「ごきげんよう、リナさん。……またお世話になりますわ」
エルフの王女、アリアがはにかむように微笑んだ。
リナの思考回路がショートした。 口をパクパクさせ、指をさし、言葉にならない音を漏らすこと数秒。
「え、エルフの……姫様ぁぁぁ!? な、な、なんでここに!? 森へ送り返したんじゃなかったんですか!? 返品!? クーリングオフ期間中ですか!?」
リナの叫び声に、ギルド中の冒険者たちが「なんだなんだ」と椅子から立ち上がる。 アリスが扇子を開き、優雅に口元を隠して笑った。
「あらリナさん、人聞きが悪いわね。返品じゃなくて『再入荷』よ。彼女、ウチの国に留学することになったの」 「りゅ、留学ぅ!?」
さらに追い打ちをかけるように、ギルドの二階から伝令係の職員が駆け下りてきた。 手には羊皮紙を握りしめ、顔面蒼白になっている。
「き、緊急速報! 南方の獣人連合国より、早馬……いや早鳥便です!」
職員は震える声で読み上げた。
「『我ら獣人国は、英雄シュン殿とその仲間たちに対し、最大の感謝と敬意を表する。ここに人間との不可侵条約を締結し、友愛の証として特産品の干し肉一年分を贈呈する。……追伸、いつでも遊びに来い。酒を用意して待つ。新王ガウより』」
読み終わった瞬間、ギルド内が真空になったかのように静まり返った。 誰もが耳を疑った。 あの好戦的で、人間を敵対視していた獣人の国が? 不可侵条約? しかも、国王直々のラブレター(友愛の証)?
全員の視線が、瞬に集中した。 瞬は、「あいつもついに国王かあ、いい知らせだよなあ」と呟いている。
リナが、震える手でカウンターのベルを乱打した。 チーン! チーン! チーン!
「ちょっとおおおおお! 整理しましょう! 一回タイム!」
リナはホワイトボードを引っ張り出し、猛烈な勢いで書き殴り始めた。
「まず、あなたたちは北のエルフの森へ行って、戦争寸前だった関係を修復し、あまつさえ次期女王を連れ帰ってきた! で、その足で南へ行って、獣人の国のクーデターを鎮圧し、新国王とマブダチになって、国家間の同盟まで結んできた!? ……期間、わずか数週間で!?」
リナがホワイトボードを叩き割らんばかりの勢いで指差す。
「どうなってるんですか! 時系列も移動距離もおかしいですぅ! あなたたち、瞬間移動でもしたんですか!?」
瞬はキョトンとして、首を傾げた。
「いや、瞬間移動っつーか……アリスの車が速かっただけだし」 「それに、俺は何もしてねぇよ」
彼は、本当に何でもないことのように言った。
「ただ、散歩の途中で腹減ったから飯食って、通りがかりに友達が泣いてたから助けただけだ。……大げさなんだよ、みんな」
その言葉に、ギルドの荒くれ者たちも顔を見合わせた。 「英雄」だの「国家戦力」だのと騒がれているが、本人はただの「腹ペコの兄ちゃん」のままだ。 そのギャップが、彼らにとっては何とも言えず可笑しく、そして頼もしかった。
「……ははっ! 違げぇねぇ!」
一人の冒険者が、バンとテーブルを叩いて笑った。
「瞬の旦那が言うなら、そうなんだろうよ! 細かいことはいい! つまり、世界は平和になったってことだろ?」 「そうだそうだ! エルフも獣人も、みんな友達ってことだ!」 「じゃあ、飲むしかねぇな!」
誰かが酒樽の栓を抜いた。 プシュッという音と共に、芳醇なエールの香りが広がる。 それを合図に、ギルド全体が祭りのような熱気に包まれた。
「おい、そこのエルフの姉ちゃん! こっち来て飲みな!」 「獣人の国の干し肉もあるぞー!」
いつの間にか、アリア(エルフ)が冒険者たちに囲まれて困惑し、ゼイクが「未成年へのアルコール提供は……」と注意しつつもジョッキを持たされている。
すべてが「酒」と「笑い」の中に溶けていく。
リナは、その光景を呆然としていた
「……もう、知りません」
リナは力尽きたようにカウンターに突っ伏した。 だが、その顔は笑っていた。
「私の事務処理能力がパンクしますけど……平和なら、いいですぅ。……今日のところは」
彼女は、スタンプを手に取り、山積みの書類に「承認」の印を乱れ打ちし始めた。 バンバンバンバン!! その音は、新しい時代の幕開けを告げる祝砲のようにも聞こえた。
瞬は、騒ぎの中心にいながら、ふと窓の外を見た。 冬の空は高く、雲ひとつない青色が広がっている。 自分が「英雄」と呼ばれることに、実感はない。 「俺」という存在に実体なんてないのだ。 周囲の人々が、関係性の中で勝手に「すごい奴」というレッテルを貼ってくれているだけ。 俺はただ、俺のまま、ここにいるだけ。
「……ま、悪くねぇな」
瞬は呟き、差し出されたジョッキを受け取った。 黄金色の液体が、午後の日差しを受けてキラキラと輝いていた。
「乾杯!」
その声に合わせて、無数のジョッキが高く掲げられた。 最強のパーティの帰還と、新しい日々の始まりを祝して。 ギルド「竜のあくび亭」は、今日も最高に騒がしく、そして温かかった。




