9話 赤ずきんとオオカミ少年
「とりあえずこれ飲んで落ち着け」
「……」
「何があったか話してくれるか?」
そう問うても、森ノ宮は何も答えない。
まるで何かに金縛りに遭ったように、森ノ宮は動かなかった。
だから俺は手に持っているアイスコーヒーを差し出し、まずは落ち着かせるように心掛ける。
すると少し遠くで、周囲のことを考えず、場違いなほど甲高い笑い声が響いた。
釣られて視線を向けると、この前の件で森ノ宮を囲んでいた、三人の女子の姿が見えた気がした。
「アイツらか……?」
「……」
森ノ宮は何も答えない。
しかしこの場での沈黙とは是。
「少し、席を外すぞ」
「待ってください……!」
離れようとする俺の服の裾を掴み、森ノ宮は「あっ」と声を漏らした。
「ごめんなさい、先輩……でも」
「事を荒立たせたくない、と?」
「……」
「解決したくない、わけではないんだろ?」
「……はい」
――言質は取った。
「……もしもし? ああ、俺だ」
なんの脈絡もなく通話し始めた俺に、森ノ宮は困惑の表情を浮かべる。
森ノ宮の困惑顔なんて、滅多に見れない表情なんじゃないか? などと思いつつ、俺は通話越しに聞こえてくる大声と格闘する。
「……いや、それどころじゃ……とりあえず、概要をLANEに送っとくから、目に通しておいてくれ。後でな」
俺は通話を切ると、森ノ宮の隣にどかりと座る。
「……昔っからさ。人をイジメるって行動が、どうにも解せなくてな」
「……?」
「なんで教室の空気を悪くしてまで、人を嬲って楽しめんのか……」
俺には、本当にわからん。
「とりあえず、そのコーヒーは飲んどけ。温くなんぞ」
「……あ、はい」
チビチビと缶コーヒーを飲む森ノ宮を横目に、俺は静かに息を吐いた。
ーーー
大上真。
入学当初から仲良くしてくれた同学年の友人、大上稲穂の実の兄。
真面目なのに、使う言葉は荒っぽい。
悪い言い方になるけれど、怖い人――それが彼への第一印象だった。
わたしが生徒会に入った時には、すでに白百合会長の隣に立ち……けれど重要な役には就かず、日がな一日怠けている――それが彼への第二印象。
静かで、受け身で、稲穂ちゃんを第一に考える――シスコン。
けれど言葉の端々から、大きな芯を感じる。まるで風が吹いても倒れない、大樹のような人。
隣に座る彼の横顔を見ると、心が少しざわついた。
理由なんて、きっと単純――
――わたしは、彼に惹かれているのだ。
わたしが言葉に毒を混ぜてあしらっても態度を変えない――彼が好きだ。
そんなわたしを“稲穂ちゃんの友達”として信頼を向けてくれている――彼が好きだ。
きっと彼の目にわたしは”稲穂ちゃんの友達”か”生意気な後輩”としか映っていないだろう。けれどわたしは――そんな彼が好きなのだ。
その彼から頂いた缶コーヒーを飲み切り、一息つく。
心の中に渦巻くざわついた感情が、ようやく沈んでいくのを感じた。
「オオカミ先輩」
「はい、大上です」
わたしだけが呼ぶ名前で呼ぶと、すぐに訂正してくる彼が可笑しい。
けれどここで笑ったら、変な子と思われる。なので笑いそうになるのを堪えて、できるだけ真面目な顔で言う。
「ありがとうございます」
「……まだ、これからだよ」
彼はそう呟き、稲穂ちゃん達が帰ってくるまで、わたしの隣に座ってくれた。




