5話 オオカミ少年は夕刻を歩く
「はぁ……ドッと疲れた……」
トイレから出て、タイルカーペットの敷かれた廊下を歩く。
日は赤く染まり、西の空へと沈みかけていた。暖かな陽の光が体を包むたびに眠気という名の心地よさを感じるようだ。
他の生徒会メンバーは既に帰宅しているようで、残されたのは俺一人。
夕焼けに染まってオレンジ色になった廊下をまったり歩いていると、窓の外から女の子の叫ぶような声が聞こえてきた。
「好きです、付き合ってください!」
「ん?」
面白そうだと思って窓を開け、下を見ると一組の男女が立っているのが見えた。
ひとりは我が校の青いジャージを着た女の子……恐らく後輩の子だろうか。その子を困ったような顔で見ているのは……池町じゃねぇか。やっぱモテんのな……
「青春してんな……アイツ……」
それに引き換え俺はどうだ。
生徒会長にはアイアンクローを決められ、他の仲間たちにはそれを笑われ、うち一人が制裁を受けているのを横目に後輩から毒を吐かれる。……俺の青春、ポケ○ンバトルみたいだな。
と、一人寂しく寂寥感に駆られていると、池町が頭を下げた直後に女の子が走っていくのが見えた。
「お、断ったのか」
チラッと顔が見えたが、一般的に可愛い部類の子だと思ったんだがな。イケメン様の好みではなかったのだろう。命短し恋せよ乙女、だ。次はあるから、頑張れ少女。
おっと、池町も動き出した。
「おーい、池町」
「ん? お、大上。……見てたのか」
「悪いな、覗き見みたいなことしちゃって。一緒に帰ろう」
「ああ、わかった。少し待っていてくれ」
と、バタバタ走ってくのを見送り、俺はサッカー部の部室へと歩を進めた。
GATSBYくらい、持っていってやるべきかな……なんて考えながら、俺は再びゆったり廊下を歩き始める。
ーーー
「やぁ、待たせたな」
「待ってねぇよ。それより汗臭いぞ。これやるから拭け」
「お、サンキュ。やー、持つべきは気の利く友達だな」
と、渡したフェイシャルペーパーで汗を拭き取り、芳醇すぎるミントでぎゃーと叫声を漏らす池町。
「お、おいこれすごいスースーするんだけど!? 何が使われてんだ!?」
「ミント100%だ。清涼感すごいだろ?」
「すごい越えて痛いわ! なんでこんなもん持ってんだよ!」
言葉にはせず、ケケケと笑って答える。
そんなもん、リアクションが見たいからに決まってんだろ。お陰で良い反応が貰えて大変満足である。
「ちくしょう……文化系の大上から貰おうなんて思った俺がバカだった……」
「おう、知ってる。次の期末では平均越せるといいな」
「お前まじで本当に……次もテス勉お願いします」
「白百合に頼め」
あの文武両道な生徒会長ならすんなり受け入れてくれるだろ。と思ったが、どうやら池町は俺の返答に不満らしい。
「最近、白百合と話すことなくてな……お前は生徒会があるから交流もあるんだろうけど、こっちはクラスが変わってから交流が途絶えてんだよ」
「一年の頃は、よく四人で話してたのにな」
「本当だよ。特に白百合なんて、いますごい忙しいだろ?」
「生徒会長として頑張ってるな」
俺と池町、白百合と甘城姉は、一年の頃は同じクラスだった。名前順で席が近くなった三人と、白百合を加えた四人でよく一緒にいたものだ。
クラス替えの後、一緒のクラスになった俺と池町以外は、別のクラスに離れて話すことがなくなったが、生徒会という緩衝材がどうにか橋を繋いでくれている。
「お前も生徒会に入れば良かったのに。庶務の席は空いてるぞ?」
「俺は部活で忙しいんだよ。夏の大会も控えてるしな。あ、応援に来てくれよ?」
「サッカーのルール知らないし、遠慮しとくわ」
「じゃあサッカー部に入るか? ベンチはいつでも空いてるぞ?」
「誰が入るか、そんなとこ。人を見るサッカーが一番嫌だよ」
人がプレイしてるサッカーなんて観て、何が楽しいんだか。サッカーするなら自分でボールを蹴りたい。本気じゃなくて、遊んでるくらいがちょうどいいんだよ。
「そうか? まぁそういう人もいるんだな。あ、ちなみに俺はW杯で盛り上がれるぞ?」
「聞いてねぇよ……あ、ところで、さっきの子はなんでフったんだ?」
「おおう、強引に話を変えてきたな……」
変えないとサッカーの話題が永遠に続きそうだったからな。
「……サッカー部のマネだったんだよ、さっきの子。部内恋愛するわけにはいかないだろ?」
「なんだ、そういう暗黙の了解でもあんのか?」
「いや、そういうわけじゃないが……社内恋愛をするようなもんだよ。特に運動部では、こういうのは避けた方がいいと思ってるからな」
「へー、大変なんだな」
選手と女子マネージャーの恋愛とか、スポ根漫画の一要素としか思ってなかったが、現物を目にすることになるとは思わなかった。
「ああ……本当に、大変なんだよ」
「なんか感傷に浸ってんな。経験あんのか?」
「いや、そういうわけじゃないが……昔、マネージャーと付き合った先輩がいてな。しかも相手がマドンナ的な扱いを受けてたから……その、」
「他部員から村八分にあったと」
池町は「ああ」と気まずそうに頬を掻いた。当事者からしたら笑い事じゃないのかもしれないが、傍聴者の俺からしたら笑い話だ。
まぁ確かに池町が部内で村八分にでもあっていたら、白百合と甘城呼んで盛大に笑ってやるが、今起きていない事柄な以上は教訓的な話でしかない。
「大変なんだな、イケメンも」
「ああ、大変なんだよ、イケメンも」
「自分で言うのはちょっとキモイな」
「事実だろ?」
「うわ腹立つ」
髪を掻き上げて「俺、イケてるだろ?」アピールをしてくる池町に、俺は無性に腹が立ち、後ろに置いて先を歩くことにする。しかしそんな俺の速度にも、余裕な表情で付いてきて言う。
「まぁ、お前がそう言ってられるのも今のうちだよ。どうせすぐに、彼女持ちの大変さを実感することになるだろうさ」
「は? 何言ってんだお前? 俺は彼女は作らんぞ?」
「はははっ! ……さて、いつまで言ってられるかな?」
意味深な言葉を残して、早歩きしている俺よりも早い速度で前を歩く池町に置いていかれ、息咳を切り始めたところで、戻ってきた池町に介抱されるのだった。
駐輪場に着いてない時点でこれかよ……疲れた……




