4話 オオカミ少年と生徒会
ホームルームを終えて教室を出ると、そこで待っていた森ノ宮と目が合った。
床に置いた手提げの鞄を慌てて手に取り、読んでいた本をぎゅっとその鞄に詰めている。
今日の一年は五時間授業だったようで、一時間も待ちぼうけになっていたようだ。
「森ノ宮、待たせたな」
「オオカミ先輩、お疲れ様です」
「それ、稲穂にも言ってないだろうな?」
「? 稲穂ちゃんは稲穂ちゃんですよ?」
生徒会のある日は毎回こうだ。
一回会釈して俺を出迎えると、先を進む俺の後ろをトコトコと付いてくる森ノ宮は、オブラートに包まずに言うと友達が少ない。
それこそ向こうから絡んでくる稲穂くらいだろう。後は高嶺の花、とでも思っているのだろうか。他の生徒と一緒にいるところを見たことがない。
「……森ノ宮って友達いないの?」
「いるいないの話するより前に、友達の定義を確認する必要があると思います」
「よし、俺が無粋な質問をした。すまんかった」
そもそも友達が少なそうな人に、こんな質問はするべきではなかったな。これは俺のバッドマナーだ。
「……友達、いますもん」
ぽつりと背後から聞こえた気がしたが、俺は聞こえないふりをした。そうだね、稲穂っていう友達がいるもんね。
ーーー
我が戸上高校生徒会の交代時期は、毎年四月の数字が変わる頃である。
前期を務める三年生から二年生へと引き継がれ、立候補の中から選挙で勝ち抜いた一人が、生徒会長として学生達を纏める者として頂点に立つ。
そんな中で、生徒達から絶大な人気を勝ち取り、俺を生徒会庶務の座を押し付けた女が存在する。
「やぁ。大上くん、森ノ宮さん。よく来たね」
「うっす」
「白百合先輩、こんにちは」
「うん、森ノ宮ちゃんは可愛いね。大上くんや、見習いたまえよ」
「なんで後輩女子の真似を強要されてんだよ。お前こそ見習ったらどうなんだ、白百合」
俺の背中を小突くこの女、生徒会長の白百合早苗。
長い髪をポニーテールとサイドテールで纏めた、快活そうな女子生徒。
「それはどういう意味かな、大上庶務?」
「そりゃ貫禄と威厳で怖いんすよ、会長」
「そう? こんなに愛らしい女の子だョ?」
「ははははは」
「うわぁ感情のない笑い……」
見ての通り愉快な御仁だが、勉学だけでなく武道にも通じているため下手なことは言えない。
確か剣道と合気道が達者で、柔道が全国大会だったか。去年の垂れ幕で「全国大会出場」の文字と共に、デカデカと名前が書かれていたはず。
「愛らしさで言ったら、間違いなく森ノ宮の方が上だからな」
「ふぇ!?」
突然巻き込まれ始めた森ノ宮が奇声を上げたが、お構いなし。
「いやほら、逞しい系女子よりは、こういう守りたい系女子の方が」
「ーー誰の腹筋が割れてるって?」
「言ってない言ってない痛い痛い。死ぬ、顔が壊死しちゃ……あぅ」
顔面を鷲掴みにされ、頬に手痕を付けられた俺は、さながら糸の切れた人形のようにへたり込んだ。
人の顔面をアイアンクローで掴んでくる女が愛らしいわけがねぇだろ。
というか、そもそも言ってねぇじゃん。それとも本当に割れてんのかこの会長。もしかして気にしてんの?
と、顔を押さえて蹲っていると、生徒会室の扉が開かれた。
入ってきたのは二人。
丸メガネの小柄な男子と、ボーイッシュなキャップを被った褐色の少女。
「遅くなりまし……うわ、なんで大上先輩倒れてんすか?」
「あ、甘城姉弟か……ゴリラに、気を、つけ……」
「なるほど、会長にアイアンクローされたんすか。ウケる」
「おい、甘城弟。なんで今伝わった?」
「げっ、聞こえてたんすか、かいちょ――あだだだ頭を鷲掴まないで……!」
姉弟揃って生徒会入りしている、甘城姉弟。
いま再び会長の魔の手によって顔面を潰されているのが、弟の甘城恵だ。
見た目通り勉強は出来るが、無駄に知識が多いせいか失言が多く、よく白百合に折檻されている。
「おーい、大上生きてるかー?」
「死んでるー……」
「死んでるかー、バカだなー……よし。森ノ宮、この死体の処理は任せる」
「真珠先輩、ゴミ箱ならそこにありますよ?」
やだこの子、遠回しに俺のことゴミ扱いしてるわ。
うーん、辛辣。いやまぁ確かに女子しかいない場で、腹筋がどうたらは、マナーに欠けた話題だとは思ったけど……
「ねぇ、大上」
「なんだよ、真珠」
「アンタ、森ノ宮に何かした? すごい辛辣で草なんだけど」
と、野次馬根性を丸出しに聞いてきたのは、甘城姉こと甘城真珠。
床に伏せている俺の頭を、ツンツンと人差し指でつつきながら、俺の返答を待っている。
「何もしてないんだよなぁ……むしろ――」
「――会長。皆さん揃いましたので、そろそろ」
「ああ、森ノ宮書記の言う通りだ。皆の者、席に着け」
生徒会長の号令が掛かると――約二名ほど、若干顔を痛めている者を除き――ゆったりと流れていた空気が張り詰める。
「――生徒会を、始めるとしよう」
ーーー
サラサラと、森ノ宮の筆が走る生徒会室。
夕暮れの優しい陽の光が入る教室で、生徒会メンバーはキビキビと報告会を行なっていた。
「経理担当。今期の予算に、余裕はあるか?」
「そうだねー。五万円だけど、一応残ってるよ」
「かなり絞ったな。よし、イベント担当。来季の文化祭の予算に、ここから四万を上乗せする。先生方に配り、その資金で生徒のモチベーションを上げさせてくれ」
「差し入れを買わせろってことですか?」
「方法は任せる。四万もあれば何かできるだろう」
「そうですね……わかりました。こちらから通達しておきましょう」
淡々と来季の予定を決めていく生徒会を眺めながら、俺は欠伸を一つ漏らす。
会議に参加してるが、俺はあくまでも庶務、トラブル対応や雑務が俺の仕事だ。正直な話、あまり役割はない。
……と、そろそろ眠気を覚えてきたところで、白百合会長から話が振られた。
「大上庶務。最近、何か目立ったトラブル対応はあったか?」
「……あー、そう、だな」
言い淀んで、森ノ宮を見る。
理由は、あのイジメ現場に居合わせた件を話すべきか悩んだからだ。
その森ノ宮と言えば、少し俯いて視線を俺から逸らしている。どうやら相当気まずいようだ。
……仕方ない、少し濁して伝達するとしよう。
「イジメ関連で、少しな。ここでは被害者をA氏と仮称するが、そのA氏が三人に囲まれているところを発見した」
「ほう、感心せんな。多勢に無勢を狙ったところに、生徒会として顔の利く大上が居合わせた、と」
「……まぁ、概要としてはそうだな」
そのA氏こと、森ノ宮朱音は生徒会の書記なんだけどね。武士の情けだ、ここでは言うまい。
「わかった。この件は私から先生方の耳に入れておこう。他にはあるか?」
「特には……あ、サッカー部がユニフォームを」
「却下だ。他にはないな? よし、今日の生徒会は以上だ。お疲れ様――大上庶務以外は退室してくれ」
「はいお疲れ……え、なんで」
「はーいお疲れ大上〜」
「煽ってんな真珠。明日覚えてろよ」
ーーー
他のメンバーが退出した生徒会室は、俺と白百合会長だけになっていた。
「で、なに? どしたの?」
「さっきのイジメの件なのだが……」
「ああ……何が聞きたい?」
恐らく聞きたいであろうことはわかるが、生憎と俺はその答えを用意していない。しかし要件が”イジメ問題”であるなら、俺はその問いに答えなければいけないだろう
「そのA氏のことなのだけど……」
「ああ。A氏の件は俺が受け持ってる。報告したのは念の為、ってやつだ」
「……そう、か。わかった。大上の判断を信じよう」
すんなり信じてくれるんだな。
と、驚愕しているのが顔に出ていたのか、白百合はふふっと小さく笑って俺の肩を叩いた。ちょっと痛い。
「そりゃそうさ。君は自分の損得よりも己の理念の為に生きている、と信じているからな」
「わー……嬉しいー……」
残念ながら節穴だがな。
俺は今回の件、特に目立った動きをするつもりはない。何故って? 先生に任せときゃいいからな、こんな物騒な件は。
「いまいち声に感情がないな……本当にそう思っているか?」
「ははははは」
「よしわかった。君には私を全肯定するBotになってもらおう」
「え、絶対嫌だ……待ってお前何をする気? ……じゃあ俺はこれで! お疲れさん!」
「あ、おいこら待て!」
扉を開け放って勢いよく、白百合から逃げるように飛び出した。




