13話 オオカミ少年の帰り道
「あ! いたいた、二人とも〜!」
泣き止んで目が赤く腫れた朱音を連れて、誰にも会わないようにコソコソ帰ろうと、靴箱に向かったところで呼び止められた。
「稲穂ちゃん……」
「おい稲穂。廊下で走らない」
「お兄ちゃん、堅〜い」
「稲穂ちゃん、ダメだよ?」
「はーい」
笑顔で手を振って、こちらに駆け寄ってくる。
稲穂は朱音の隣まで来ると、異変に気がつき俺に詰め寄ってきた。
「……ちょっと待ってお兄ちゃん。朱音ちゃんを泣かしたの? いくらお兄ちゃんでも許されない蛮行だよ!?」
「待て、落ち着け稲穂。これには理由があって……」
「天誅!」
「はっ? ちょ、待っ――ぐぅ……」
手刀を構えた稲穂に詰め寄られ、退避しようとするも時既に遅し。
稲穂の大声と共に腹部側面に衝撃が奔り、数秒後に鈍い痛みが広がって蹲った。
そんな俺たちの様子を見て、朱音が目を丸くする。
「いったぁ……」
「大天使アカネエルへの蛮行は、神罰執行対象内だよ!」
「そのカルト、まだ生きてたのかよ……」
「アカネエル……? なに、なんの話……?」
「あ、朱音ちゃんは気にしなくていいよ〜」
ケラケラと笑って、困惑する朱音を交わす稲穂を見て、我が妹ながら末恐ろしいな、と感嘆の息を吐く。
そして蹲っている俺に近づき、俺が体勢を整えるのを手伝いながら問うてきた。
「で、何があったの?」
「……まぁ、ちょっとな」
俺が事の経緯を話す気がないのを察したのか、稲穂は「ふーん」とつまらなそうに鼻を鳴らした。
「……あ、そう。二人が仲良しなら、それでいっか」
「お前は俺らの何なんだよ……」
「妹にして友達ですが? あ、妹を先にしたのはお兄ちゃんのためだからね!」
「いらねぇ気遣いありがとう……」
「なんですと!?」
俺たち兄妹がギャアギャア騒いでいると、それを側から見ていた朱音がふふっと笑みを溢した。
「なんか、いいですね」
「何が? これ見てそう言えんの?」
「はい。仲のいい兄妹だなって」
仲のいい兄妹では……まぁあると思うけどね。
「喧嘩の絶えない兄妹だよ」
「わたしはひとりっ子なので、羨ましいです」
「朱音ちゃん、ひとりっ子なの!? 年下の兄弟がいると思ってた!」
「しっかり者だもんな、朱音は」
「……あ、はい」
少しだけ頬を赤く染めて、朱音は目を逸らした。
その様子を見た稲穂は「んんっ!?」と奇声を発し、驚愕の目を俺に向けた。そして、すぐにニンマリと笑い、俺の脇腹を小突いてくる。
「へーえ。ふーん? やるじゃんお兄ちゃ〜ん」
「なにが……あと脇腹痛いから小突くのやめて」
「いやぁ〜? 別に〜? あとそんなに痛くないでしょ」
「痛い痛い。ちょ、力強くなってない?」
そこ、さっき手刀が入った部位なんですけどね。
痛いのは勘弁。と、そそくさ稲穂から離れて、靴箱からシューズを取り出す。
「ほら帰るぞ」
「照れるなよ、お兄ちゃ〜ん」
「照れてねぇ。荷台に乗っけてやんねぇぞ」
「うん、いいよ。朱音ちゃんを乗っけてあげな〜?」
「……っ」
朱音は軽く息を呑んで、また少しだけ顔を赤くした。俺は見なかったことにして、踵を潰して靴を履く。
「そうかい。じゃあ朱音、帰るか」
「……え。は、はい!」
「遅くなってもいいからね〜。赤飯大盛りに炊いとくから!」
稲穂の虚言を背に、朱音は恥ずかしそうに俯いた。
その横顔を、夕暮れの陽の光が優しく照らしていた。
ーーー
稲穂に生暖かい目で見送られ、俺は朱音を荷台に乗せて出発した。
既に多くの生徒は下校しており、今残っているのは部活中の生徒か、俺たちみたいに特別な理由がある生徒だ。
先程まで、多くの生徒が通っていたであろう道を、ゆっくりと自転車を引いた。
「――ったく、アイツは変に勘がいいからな」
「あはは……それに助けられてるじゃないですか」
「……ムードメーカーなのは、認めるよ」
昔は、それが鬱陶しがられていたが、今は無事に愛されキャラになっているようだ。本当によかった。
「……ふふっ」
「どうした? ……おっと」
吹き出すように笑った朱音に話を振ると、荷台が少し揺れて、慌てて自転車を立て直す。
「いえ、なんだかんだ言いながら、いつも気に掛けてるんだなぁ、って思って」
「そりゃそうだ。血を分けた兄妹だからな。稲穂に変な虫も付いたりしたら、俺は理性を保ってられるかわからん」
「シスコン」
なんとでも言え。俺はお邪魔虫を許さない。
背後を振り返らないが、きっと厳しい視線が注がれているのだろう。後ろを見るのが、少し怖い。
知らぬが仏のことわざに従い、平然とした顔で前を向き続けると、朱音は呆れたように言った。
「そういえば、稲穂ちゃんもブラコン気質でしたね……兄妹揃って、まったくもう……」
「その話詳しく」
「話しませんっ!」
「ふんっ」と可愛らしい感嘆詞が聞こえて来た。相当ご立腹なようで、何か機嫌を取らないといけないな。
ーーー
家族連れの多い公園に入り、朱音をベンチに座らせる。
俺は自販機で缶コーヒーを買ってベンチに戻り、一つを朱音に手渡した。
「機嫌直しですか?」
「そんなんじゃ……いや、それでいいや」
下手に言い返したところで、どうせ言い訳にしかならない。
なら、もう全部受け入れてしまえ――そんな気分だった。
投げ槍になった俺を見て、朱音は小さく笑った。
「ふふっ。冗談です。ありがとうございます」
「どういたしまして。……休んでいこうか」
「はい」
朱音の隣に腰を下ろし、カシュッとタブを開けた。
隣でちびちびと飲む朱音を一瞥し、俺は一気に飲み干す。
「あー……苦い」
「苦いですね……」
大人は「この苦さがいいんじゃないか」と言うが、俺に到底理解ができない。子供の舌は苦味に弱いのだ。
「……しかし、どうしましょうか」
「あ? 何が?」
「学年が違いますから、普通にしていればバレませんけど……生徒会は難しいですよね?」
あー……なるほど。森ノ宮は、俺たちの関係を隠そうと思っているのか。
確かに、変に噂が広がって関係が拗れる、なんて話も聞いたことがある。それを踏まえたら、確かに隠しておくべきなのかもしれない。
……けど、俺の考えは違う。
「もう、隠さなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
「どうせ稲穂以外に、言うようなことはないだろ? それに……俺たちは、ただの理解者なだけだろ?」
「……え?」
……え?
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔に、俺もまた目を丸くして朱音を見た。朱音の瞳が、何かを訴えかけるように揺れる。
しばらく無言の時間が続いた後、空白に耐えかねた俺から切り出した。
「……え、なに? 変なこと言った?」
「あの、えっと、わたし……てっきり」
「ちょ!? なんで泣……あーもう、ハンカチどこだっけ……!?」
ズボンのポケットを探る俺の手首を、朱音は両手で包み込むようにガシリと強く掴んだ。
「先輩!」
「え、あ、はい」
「わたし! ……先輩が好きです!」
世界の音が、少しだけ遠のいた。
朱音の声が、俺の耳の中で何度も木霊した。
胸の奥が焼けるように熱くて、喉が震えた。
まっすぐに俺の目を見る朱音の瞳が、橙色の陽の光を受けて、綺麗に光っているように見えた。
「……ぅあ……れ、俺は……」
「答えなくても、いいです。無理に返されても、嬉しくはないので」
声を捻り出そうとする俺に、朱音が待ったを掛ける。俺は途端に恥ずかしくなって顔を逸らす。
「ぐぅ……すまん、情けなくて……」
「ふふっ。結構前から知ってます」
それはそれで、どうなんだ?
不意にそんな疑問が頭を駆け巡るが、その答えは生涯出なかった。頭が、それどころではないのだ。
「そもそも、わたしが率直に伝えなかったのが悪いんです。鈍感で女心のわからない先輩が、女の子の望むことをわかるわけがないですからね!」
「……言葉のナイフは、取り扱い注意だぞ」
「ナイフは絶賛研磨中です! 先輩と付き合うなら、わたしも努力が必要そうですからね! 先輩も一皮剥けてください!」
「ふんっ」と。今度は本気度の伝わる感嘆詞が聞こえてくる。
……ぐうの音も出ない。鋭い刃で滅多斬りにされている気分だ。心が落ち込んでいくのを感じながら、缶コーヒーに口をつけようとすると「先輩」と声を掛けられる。
「そんな先輩も好きですよ」
「……大胆になったな、お前」
「告白した後ですもん。もうなんとでもなれ〜、です」
……甘いな。今まで感じたことがないくらい甘い。
甘さを軽減しようと、再び缶コーヒーに口を付ける。
「……残ってねぇや」
そういや、さっき飲み干したんだった。




