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12話 大上と森ノ宮

 放課後。

 ホームルームを終え、池町と少し話して廊下に出ると――森ノ宮の姿があった。


 森ノ宮は少し息を切らして肩を揺らしており、急いできたことが伺える。


「どうした、何かあったか?」

「……先輩、少しお話、いいですか?」


 森ノ宮は、俯きがちに上目遣いで聞いてくる。普段の彼女からは出てこない仕草に、俺は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。

 しかしあくまで冷静に。相手は毒舌・森ノ宮朱音。どこに罠が仕込まれているのかわからない。下手に前に進もうとすれば、致死性の毒が俺を蝕むだろう。


「お、おう……えっと、じゃあ場所変えようか」


 ここでは人目がある。

 森ノ宮の容姿なら、余計に目立つ。俺は彼女を連れて、人気のない場所へ向かった。



ーーー



 この学校の屋上は締め切られていて、最近使われたのは、それこそソーラーパネルを設置された時以来ない。舞い上がった埃に夕方の陽の光が差し込み、チラチラと灰色の雪が舞っている。


 屋上へ続く階段も、人が来ることは殆どない。いずれは階段を閉鎖して、物置代わりに使おう、なんて話も生徒会では出ているくらいだ。


「……」

「んで? どうした?」


 鞄を床に下ろして座り込む森ノ宮に、俺は問うた。


 例の件で動きがあったのだろうか。俺は無意識に階段の下を振り返るが、誰の気配もない。影に隠れて聞いている人はいなさそうだ。


 と、改めて状況を整理して会話に臨もうとする俺の目は、森ノ宮の鋭い目つきと視線を交わした。


「稲穂ちゃんから聞きました」

「ん?」

「……先輩と、稲穂ちゃんの童話です」

「なにそれ知らない」


 なにそれ知らない。え、なに、童話? 何の話?


「イジメられていた女の子を、一緒に暮らしていたオオカミさんが助けた。けどオオカミさんは他の動物達に恐れられ、他の森へ追放された。……らしいですね?」

「うっわぁ……」


 昔々の物語、ってか。過去の黒歴史を童話にするって、我が妹ながら怖いよ。


「で、それを聞いてどうする? 俺としては過去の話を掘り返されるのは、あまり好きじゃないんだけど」

「それは、ごめんなさい。けど、どうしても聞いておきたいことがあってっ!」


 自分で出した大声に驚いたのか、はっとした表情で慌てて口元を抑える。


「落ち着いて話しな。別に誰が聞いてるわけじゃないんだからさ」

「ご、ごめんなさい……」


 顔を真っ赤にして項垂れる森ノ宮。その顔に、夕方の陽の光が差し込み、まるで林檎のように真っ赤に見えた。


 心を落ち着けるために深呼吸をした後、森ノ宮は小さく息を吸って、視線を上げた。


「……先輩は、その“蛙さん”をどう思っていますか?」


 空気が止まった。いや、そう錯覚した。

 恐らく彼女は知っている。もしくは察しているのだろう。


 俺が、人に向けて暴力を振るった過去を。




 だが言葉にしないなら。俺も触れてやる道理はない。


「蛙……いやどうって、別に……今は何も?」


 過去の話は過去の話。もう数年会っていない人のことなんて、思い出したらキリがない。


「そもそも、その童話に出てきた”蛙”の行動も、今の俺にとっては、ただの子供の安いプライドなんだよ。当時は頭に血が上ってて考えられなかったけどな、今はそうじゃない」


 子供の頃の激情など、数年も経てば消えてなくなる。恨み募って生涯忘れず、なんてファンタジーでしかあり得ない。


「あ。もちろん稲穂が忘れないって言うなら兎も角な。けどあの子も成長して、今じゃ『どうでもいい』ってよ」

「稲穂ちゃんが……? そう、ですか……」

「ああ、そうだろ」


 そもそも童話にする程度には、茶化せる出来事になってるってことだろ。なら心配はない、俺の妹は強い。


「ずっと守られるばかりじゃ、人間は成長できないんだよ」


 人間とは、自立しなければ生きていけない生物だ。誰かに依存していては、一人になった時に行動を起こせなくなる。



「なら、この学校の空気も、ですか?」



 ……なんだ、そっちも気づいてたのか。


「先輩の仕業と聞きました。……あの件を、解決するためですか?」


 俺が流した噂により変わった、この学校の空気。それを感じ取り、生徒会の誰かと確認を取ったのだろう。


「……こういうやり方は嫌いか?」

「はい」


 にべもなく即答だった。厳しい視線が俺を捉えている。


「そうか。でも俺は、このやり方しか知らなくてな」


 その言葉に、返答はなかった。

 ただ森ノ宮の瞳は夕日に揺れていた。

 その揺らぎの名前を、俺は知らない。


 ならば、実直に。俺は淡々と言葉を作るだけだ。


「止めろ、って言われても無理だぞ。人の口に扉は立たないんだよ」

「――それは!」


 俺の言葉を上書きするように。森ノ宮の声が、夕暮れの空気を裂いた。いつもの理性的な口調じゃない。胸の奥から突き上げるような声だった。


 しかしすぐに声のトーンを落とす。細く小さな拳と、絶え絶えな息が震えている。……そして、言葉にするのが苦しいかのように、端正に整った顔を歪ませて言った。


「……それは、言葉の暴力です」

「そうだな。でもまさか、物理で殴るわけには」

「先輩!」


 ずい、と。一歩前に出て迫る森ノ宮に、俺は困惑して一歩後退する。


「それが物理でなく言葉であったとしても、学園全体を巻き込んで行うなら、それはリンチです」

「……」

「今日、あの三人は肩身が狭そうにしていました。わたしをチラチラ見ながら、話題に上がる度に他の生徒から視線を受けていました」

「そうか」

「これが、先輩のしたかったこと、ですか?」


 非難するような声音に、俺は視線を返して言う。


「ああ、そうだ」


 やらなければ、ならなかった。

 思い返してもそう思う。俺には、この方法しかなかった。


「じゃあ、あの時の言葉は嘘だったんですか……」

「あの時?」

「……イジメるって行動は解せないって、先輩は言いましたよね。あの言葉は嘘だったんですか!?」


 放課後デートに行った時の、俺の一人語り。

 確かに言ったし、嘘をついたつもりはない。


「嘘じゃない。俺は、」

「じゃあ、今やってる事はなんですか! 不特定多数の味方と一緒に、正義の皮を被ってるだけじゃないですか!」

「っ……いや、それは……!」


 ……言い返せなかった。

 喉の奥で言葉が詰まり、胸の奥がひゅっと縮まる。焦りが呼吸が浅くし、上手く息ができなかった。

 ――そのせいか、思考もどこか空回りして、心まで乱れていくのをはっきりと自覚した。


「……っ」


 強く歯噛んで顔を逸らす。


 自分よりも年下で立場は低く“弱い”後輩。

 そんな彼女が、言葉を武器にぶつかってきている。

 それだけで、俺が戦うための言葉を失うには十分だった。


「わたしは先輩が、す……嫌いではありません。だから先輩には、誰かをいたぶる方法だけは取って欲しくなかっ」


「――じゃあ、俺はどうすれば良かった?」


「……えっ?」


 やらなきゃ、やられる。

 原始時代から続く、生命体の基本。弱肉強食の法則に抗うには、こちらが強く在らねばならない。


 過去の俺は暴力を振るった。失敗だった。

 だから、今回は()()()()を振るった。多くの味方を作り、敵を囲った。


 俺は視線を下に落とし、穴だらけでボロボロの言葉を、言い訳がましく必死に宣った。


「……二回だよ。俺は、二回も立ち向かった。……暴力が駄目だから、言葉を使った。それも駄目なら、俺は――どうすれば良かった!?」

「……」


 継ぎ剥ぐ言葉は自分の心をも抉り、諸刃の剣となって森ノ宮を攻撃する。

 無論、これが俺の望む事ではない。わかっているのだ。だが一度決壊したダムは、元の形には戻らない。


 今の俺は、決壊したダムだった。


「答えろよ。なぁ、森ノ宮!」






「――一緒にいては、ダメですか?」


 答えようとした言葉が、喉の奥で溶けた。


 時間が止まった。

 頭が真っ白になる。


 俺の瞳に映るのは、涙で揺れる森ノ宮の姿。

 ぽろぽろと目尻に溜めた雫を溢し、それでも果敢に言葉を捻り出す少女の姿だった。


「わたしが涙を流した時、先輩はわたしと一緒にいてくれました。それだけで救われました。……それでは、ダメですか?」

「それは――」


 何を言っていいか、もはや俺にはわからない。倫理も、正義も、心すらも、今の俺にはわからない。


「一緒にいましょう。一緒に……望むなら、わたしが隣に立ちますから」


 心臓が、うるさいほど早鐘を打つ。

 バラバラと俺の中で、何かが崩れる音がした。


 視線は、自然と森ノ宮へ向いていた。

 涙を流す彼女の顔は、ぐちゃぐちゃに歪んでいて、女の子がしていい顔ではなかった。


 俺は軽く深呼吸をして、ポケットからハンカチを取り出した。


「……なら、顔を拭きな。俺の隣にいるんなら、せめていつも通りになってくれよ」

「誰のせいだと思ってるんですか……!」

「俺だな。……すまん。ありがとな」

「本当でずよ! このバガぜんばい!!」


 涙を飲み、湿っぽい声で弱々しい毒を吐く森ノ宮に、俺は苦笑して頬を掻いた。



次回の更新は本日19時になります。

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