第一章「今を生きる人々へ」
我々にとって戦争や平和はなんなんでしょうか?学校で習うものですか?それとも自分とは関係ない退屈な話ですか?我々は忘れている。今一度考えて理解しなければ次に巻き込まれるのは自分達であることを認識すべきである。戦争は終わった後が本当の戦争の陰と無慈悲の始まりなのです。
私たちは争いのない日々を生活している。本当に80年前に日本では戦争があったのだろうか。これを説明するのはすごく難しいだろう。何故なら戦争体験者は毎年いなくなっているからである。
毎年八月広島の原爆ドームで学生が平和について誓う場面がある。だけど同時に私はあの式典が一種の建前に見えてしまうのである。参加している大人も子供もみんな戦争について何処か遠くの存在としてしか認識していないだろうと心のどこかで考えている自分がいる。
戦争を忘れるほどの月日を生活できる日本は幸せなのだろう。安心して眠れて過ごせる環境であり、つまらない事で怒れる環境でもある。
戦争は漫画やアニメやゲームの世界だと考える人々もいるだろう。
実際にウクライナやロシアの戦争を面白おかしく解説したりする動画や漫画も溢れている。
家に帰りたいウクライナの人々や戦争に行きたくないのに生かされるロシアの人々。
関係ない人々が双方の国の人々を批判したり自己責任と言い合う始末である。
醜い世界である。世界がネットに繋がっても人の心は一向に繋がらない。
みんな忘れている。いつも戦争で苦しむのは我々一般市民である。そしていつか自分たちもその当事者になる事があるのです。
これは我々がもう一度あの時を思い出す物語である。そして我々よりも先に生き抜いた人々の風化させてはならない記憶でもあるのです。
これを書いたのは第二章の後です。第二章が私の本番であり原点なのです。私は最初何を書こうか全く思いつきませんでした。だけど日本は今年で戦後80年を迎えます。そして私は何故か地元の図書館で無性にシベリア抑留について理解したいと考えたのです。その他にも水木しげるさんの描いた「総員玉砕せよ」も私の心に戦争の無念さが響きました。今思えば日本人の無数の無念の魂が私に語りかけたのではないかと考えています。まだまだ未熟な文章ですがどんどん書いていきます。二章から物語が始まります。