【天然危険物】もうお前は小説を語るな(二番煎じ)
チロン 「──御主人?」
黒崎 「なんだい、チロン君」
チ 「ついに禁断の釣りタイトル炎上商法に手を出しましたね?」
黒 「釣りタイトルとは失敬な。オマージュだよ、オマージュ。言うなれば、群雄割拠のなろうエッセイ界隈に颯爽と現れた新たな猛者に捧ぐエールさね」
チ 「そういう心にも無いことを真顔で言い放つナイス害ぶりに敬意を表するのです」
黒 「てなわけで、今回は一部で話題のホッテストな某エッセイを読んで思ったことを思ったままにホザくので、心しておきたまえ」
チ 「できればオブラートで包んだうえに奥歯にモノを挟んだほうがいいと思うのですが」
黒 「そんな気遣いをするぐらいなら、こんなド煽りタイトルは付けぬ(キリッ)」
チ 「……ですよね。ちなみに、その某エッセイってどんな内容なのです?」
黒 「一言で言うと〝読ませる努力が足りない未熟な小説を投稿するのはやめれ〟かな」
チ 「ほほー。秘かにそう思ってる人は沢山いそうですけど、公言しちゃうとは豪気さんなのです」
黒 「まぁ、言ってること自体は比較的正論なんだけどね。段落の冒頭は字下げしろとか、感嘆符や疑問符の後ろは一文字あけろとか──要するに〝日本語表記の一般的なルールぐらいは守りましょうや〟って話だから」
チ 「なんか定期的にありますよね、それ系の啓発とか論争とか」
黒 「古参にとっちゃ、もはや味がしないどころか弾力すらなくなってきたガムみたいなネタだけど、創作界隈には日々続々とおニューなおカマーがやってくるからな。同じ議論が時を置いて繰り返されるのは、やむをえまい。ただ、件のエッセイは違う意味で少々首をかしげざるをえない点がある」
チ 「と、いうと?」
黒 「なんていうか──〝愛〟が無いのよ」
チ 「愛!? 御主人が愛を語るとは、統○教会が救済だの平和だのを語るぐらい片腹痛すぎてフルパワーで抱腹絶倒やむなしなのです」
黒 「あえてセンシティブな時事ネタからめるのやめれ」
チ 「でもって、その愛って、どゆこと?」
黒 「そもそも小説のお作法を指南したがる人は、おおむね以下の二種類に分けられる。
初心者のキミたちに小説のなんたるかを教えて進ぜよう的なスタンスの『世話焼き型』と、お前らそんな基本的なコトも知らないで小説書いてるのかよ的な嘲笑が透けて見える『マウンティング型』だ。。
どちらも意識高い系なところは共通していて、ぶっちゃけ世話焼き型にもマウンティングじみた意識が潜んでたりしがちなんだけど、ひとつだけ決定的な違いがある。
それは、小説に対する愛があるか否かだ」
チ 「んー……そう言われても、いまいち解らないのです」
黒 「多分に観念的だから、説明するの難しいんだが──読むに堪えない稚拙な小説に出会ったときの反応の違いが、一番解りやすいかな」
チ 「ふむふむ」
黒 「小説愛の強い人は、たとえ駄作をつかまされても怒らない。運が悪かったとか、自分には合わなかったとか、そういう納得の仕方をする。時間を無駄にしたと後悔することはあっても憤ることはなく、ゆえに作者を罵倒することもない。むしろイマイチな作家を応援し、育てようとする人もいる。
一方、小説愛の乏しい人は、ひたすらムカつく。こんな駄作を読ませやがって、と」
チ 「つまり、自己中ってことですか」
黒 「ありていに言っちゃうと、そうだね。たとえば真の猫好きは、咬まれようが引っ搔かれようが、それさえも愉しんで猫と接する。対して上っ面の猫好きは、ペットショップで衝動買いした仔猫を〝糞が臭い〟とかいう身勝手な理由で手放したりする。
小説においても似たようなもので、真の小説好きは駄作もそれとして愉しめるけど、上っ面の小説好きは自分好みの作品の存在しか許せない」
チ 「なんだか、愛と恋の違いみたいなのです。よく言いますよね。愛は真心、恋は下心って」
黒 「相手に思いを馳せ、幸せにすることに悦びを見出すのが愛。おのれの思いを遂げて幸せになりたいと欲するのが恋。愛の実行は利他的だけど、恋はあくまで利己的なんだよな。
そういう観点から件のエッセイを読み解くと、残念ながら小説愛はうかがえない。慇懃ながらも〝この私に駄文を読ませる奴は許さん〟と言わんばかりの語り口が、よしんばネタだとしてもね」
チ 「なるほど」
黒 「あえて言うなら、愛ではなく〝I(私)〟に満ちてる感じですかね。ふふっ」
チ 「あう。この野郎、うまいこと言った気になってやがるのです」
◆ ◆ ◆
黒 「あと、もうひとつ。件のエッセイの矛盾も気になるかな」
チ 「矛盾?」
黒 「たしかに、日本語表記の慣例を無視した小説は読みにくい。だから、その意味において〝読ませる努力をしろ〝という作者さんの主張には、大いに共感する。
でも、読ませる努力って、書式の問題だけではないと思うのよ。
件のエッセイのタイトルや語り口に不快感を覚える人がいようことは想像に難くなく、たぶん作為的にやってるのだろう。結果、より多くの耳目を集めることができたなら、それ自体は成功ともいえる。けど、あのエッセイの意図が啓発にあるのなら、そうした炎上商法は矛盾してる」
チ 「どうしてです? 方法はどうあれ、注目されれば、より広くメッセージを届けられるのでは?」
黒 「届けるだけで、いいの?」
チ 「はい……?」
黒 「啓発が目的なら、読ませるだけじゃダメじゃん。読者の共感を得られなきゃ、読ませた意味が無い」
チ 「あ、そっか」
黒 「僕様の毒エッセイはあくまでも娯楽だから、読んでニヤリとしてくれた人が一人でもいれば万々歳。充分、書いた甲斐がある。
でも、何かしらの啓発を意図したエッセイを書くなら話は別。より多くの読者の共感をえられるよう、不快感を与えかねない発言は極力避けたほうが理にかなう。
それもまた〝読ませる努力〟ではないかね? と僕様は思うのさ」
チ 「なるほど」
黒 「しかしながら件のエッセイは、はっきり言って〝読ませる努力〟をしているとは思えない。反響を受けての続編にいたっては、むしろ非常に読みにくい文章になってしまってる」
チ 「んー。読ませる努力をしろと訴える文章が読みにくいんじゃ、説得力ナッシングなのです」
黒 「ブーメランで切腹してる感じだからなぁ。それはそれで面白い芸ではあるけど」
チ 「おやおや、今回の御主人はいつもに増して性悪なのです」
黒 「嫌いだからね。●●は斯くあるべき系のベッキー論は。小説のお作法指南はベッキー論的なのが多いし、ましてや「お前はもう小説を書くな」とか言われたら、〝はぁ?(怒)〟ってなるじゃん。たとえ釣りだとしても」
チ 「まあ、気持ちは解りますけど──なんだかんだ言って、御主人もエッセイの書き方を指南してません?」
黒 「そうかな。あくまでも拙論であって指南ではないつもりだけど。事実、エッセイは斯くあるべきだ、なんて一言も言ってないし」
チ 「言われてみれば、そうですね」
黒 「普段からベッキー論は嫌いだと言ってる手前、できるだけ〝べき〟は言わないよう気をつけてるのよ。そうして主張と言動の矛盾を避けるのも、読ませる努力だと思うし。
で、そんなこんなを踏まえて最後に一言、べき/べからず論的な小説お作法指南をする人に言いたい。
〝もうお前は小説を語るな〟
なんとすれば、散見されるその主の指南の大半は、みずからを権威化した意識高い系さんの〝こんな小説は気に食わない〟というお気持ち表明にすぎないのだから」
──終劇──
お読みいただき、ありがとうございます。
御意見・御感想などなど頂戴できたら幸いです。
遅くなることがあるかもですが、できるかぎりレスしたいと思っています。
では、また。いずれ── <(_ _)>