暫しの別れ
「私、昨日いつの間寝ていたのかしら…」
まだ明けない空の中、薄暗い室内で起きたメイベルは、隠し事をしていますという吐露はすっかり忘れているらしかった。既に起きて軽く伸びをしていた私に続いて目を覚ますと「おはようリリルフィア、何だかいい夢を見ましたわ。」とご機嫌で挨拶してくれた後、思い出したように首を傾げている。
「もう寝ようかとお話ししていた時です。ソファで寝そうだったのを、トアンさんがお運び下さいました。」
「そうなの?嫌だわ、恥ずかしい…」
両頬に手を当てて俯くメイベル。起こしてくれたトアンとリンダが微笑ましげに私達を眺めているのに気がつくと更に顔を赤くしてしまった。
そして身支度を整えて、いよいよハルバーティア領へ向かうのだ。
馬車が停まる玄関には既に父や見送りのために起きてくれたリオンがいた。他にもジャニアやラングも居て、リオンと同じく見送りに並んでいるタウンハウスの使用人達の中には元々ハルバーティア領にいた使用人も含まれている。
「元気でね、ラング君!!」
「トレビーも!」
ガッチリと握手を交わす二人の青年に、私やリンダは微笑ましいやら今生の別れじゃあるまいしと呆れるやら。
見習いのトレビストとラングは、何時の間にか凄く、凄く仲を深めていた。裏表の無いラングと素直なトレビストは話が合ったのだろう、年が同じということもあるだろうか。
それを何処か羨ましそうに眺めるアルジェントも、随分二人と仲良くなったようだった。
「リリー」
落ち着いた声で呼ばれ、父と話していたリオンが私の方を向いていた。そちらへ行けばリオンは外ということも気にすることなく膝をついて私と目を合わせてくれる。
「本の読み過ぎは駄目だ。」
「リオンお兄様もですわ。」
「夜ふかしもいけない。」
「…はい。」
「好き嫌いするんじゃない。」
「はい?」
「あと、暖かくなってきたとはいえまだ肌寒い。薄着には気をつけるように。」
「…はあ。」
出てくる言葉は私を心配してのものだろうけれど、何だかズレている気がするわ。どう返せばいいのかわからなくなって周りを見ると、父、それとメイベルは肩を震わせていたので笑っているのだろう。
リンダとジャニアは苦笑い。
ラングとトレビストは…まだ別れを惜しんでいた。
「それと、集中するとリリーは周りが見えないからな。同じく、考え事をするのも外では危ない。上の空のリリーは警戒心がないから。そうでなくても」
「リオンお兄様。」
「何だ。リリーに警戒心が薄いのは本当だろう。」
名を呼べば、まだ言い足りない様子のリオンが不機嫌そうに見つめ返してきた。不機嫌になりたいのはこちらだ。いくらでも出てくる言葉たちはまるで小言のようで、リリルフィアの記憶には居なかった母親のようではないか。
父でさえそこまでは言わない。なぜなら父は言う前に自分が世話したい人だから。
それはさておき、言い足りないらしいリオンの不機嫌そうな顔を包んで、私は彼へ笑顔を向ける。
「行って参ります。」
その言葉だけで、リオンは言いたかったことを忘れたように不機嫌さも霧散した。
私の手の上から自身の手を重ねて擦り寄るような仕草をすると、珍しく頬を緩めて笑う。
「行ってらっしゃい。叔父上の言うことを聞くんだよ。」
まだ言うか、と言いたくなるような言葉に笑いが漏れる。はい、と返事をして仕上げに抱きつき、リオンから体を離すと父とメイベルが腕を広げていた。
首を傾げれば、メイベルがそのままタタタと駆け寄って抱きついてくる。可愛い。
「リオン様、リリルフィアの事はおまかせくださいませ!!」
「よろしく頼みます。」
ニコニコのメイベルにリオンが返すけれど、そのやり取りはなんだか私がどう仕様もない子のように思えてしまう。確かにリンダや父が居ないと何も出来ないかもしれないけれど。私だってやるときはやるわ。
私の内情は置いておいて、リオンと別れを済ませメイベルと後ろを向くと、手を広げた父。
「…お父様、どうされたのですか?」
「父様には、してくれないの?」
首を傾げて聞けば、逆に首を傾げて返された。
メイベルに背を押されて一歩前へ出れば、表情を一層明るくした父が私を捕獲するように抱き込んでくる。そして反るような体制が苦しいと思ったときには、私は父の腕に抱かれていた。
「…満足ですか?」
「満足だよ。」
私と父のやり取りに、メイベルを始めとして使用人たちも笑っていた。
「「「「行ってらっしゃいませ!」」」」
使用人たちに見送られ、私達は馬車に乗り込んだ。
その隅で騎士と見習い執事は、まだ別れを惜しんでいたのをジャニアやリンダに引き摺られていたと、後でメイベルから聞いた。




