クレモナという一族
捨て置け。
その言葉の意味するところを私は考えた。
物理的か、精神的か。どちらにせよ私はもうあの子に関わるなということだろう。
「嫌ですわ。」
「お前はフィルゼント叔父上の娘だということを自覚しろ。伯爵の実娘であり、領民からも慕われる。あんな汚点は不要だろう。」
ピシリ。
そんな何かに亀裂の入る音がした気がする。ヒビの入ったものは私の心であり、目の前のリオンに対する好感度だろう。
別名、堪忍袋の緒。
「リオンお兄様こそ…クレモナの一族に名を置く者としての自覚を、お持ちになったらいかがです?ハルバーティア伯爵家は過去の政務記録にも残る通り、差別意識を持たない政策を国に評価された一族ですわ。侵略した土地の先住民を敬い、良き文化は積極的に取り入れた。だからこそ領地を賜ったのですわ。シルヴェ史記にも載っております、『公平な眼を持つクレモナに、ハルバーティアを授ける』と。」
淡々と話す私はどう見えているのか、リオンとリンダの顔色が変わっていく。方や目を見開いて青ざめているのだが、リンダは何だかキラキラとした眼差しで私を見つめだした。
でも、まだ気が収まらないわ。
「ああ、国が遺したものではありませんが“賢王の左足”という本がありましたわ。リオンお兄様も知っての通り8代国王は賢王として、歴代の王の中でも革新的な政策で民に平穏をもたらしたとされていますわね。その王が『民のために進む一歩を支える左足』と表現した存在がフィットリー・クレモナ・ハルバーティア、我々の祖先ですわ。」
“賢王の左足”という本はとても興味深かった。
利き足である右足を一歩踏み出すために、身体がブレることの無いよう支えるのが反対の左足という例えを軸として、国王が政策を行う裏で反乱の鎮静や他国との同盟など平和的な解決に奔走し続けた伯爵のことが書かれているのだ。
読んだときは興奮して、『お父様、フィットリー大大大爺様は偉大な方でしたのね!!』と父との出会い頭に飛びついたことがあった。
本に書かれているハルバーティア伯爵家のことは殆どが差別意識を持たないことを称賛するもの。それを、目の前のリオンは知っているのだろうか。
そんな祖先の血を引きながら、『あんな汚点』と言ったのだろうか。
「『公平な眼を持つ』一族の男児が、何でしたかしら?」
ニコリ。怒っている時の笑顔が、何よりも効果のある表情らしいので試してみたがどうだろう。
黙ったまま顔を青くしているリオンの手から本を奪い、「本、ありがとうございます。」とだけ言って書庫を出た。本当は数冊探したかったけれど、この気分で彼と居たらもっとまくし立ててしまいそうだった。
「お嬢様、ご立派でございました。」
「怒り任せに言い逃げする私の、何処が立派なの。」
歩きながらだが、もっと他に言い方があっただろうと反省する私を他所に、リンダは首を振って「ご立派ですよ。」と言い張る。
「書物から得た内容を的確に理解する知識、年長者であるリオン様も反論できないほどの正当性、何よりも先代様方の意思を受け継いでおられるお姿に、リンダは感動いたしました。」
「大袈裟だわ。」
感じたことを言っただけで、そこに正当性など有りはしないだろう。リオンが反論しなかったのは、私の剣幕が見慣れないものだったからだと思う。
リオンは他者に興味が薄い。書庫に入ってすぐの態度を見ればそれを察することができるし、私自身物事を大きくすることを望まないのでリオンとの関係はかなり希薄だ。
父には『もう少し、話してみなよ』とお互いに言われているが、正直言って相手に興味がないのだから話す内容も思いつかないというわけで。
「思えばリオンお兄様にあんなに喋ったのは初めてかもしれないわ。」
「それを聞いても驚きは致しませんね。5年前にこちらに来られてから、リオン様も何処か遠慮がありましたから。」
お兄様と呼んではいるけれど、6つ離れたリオンと私は再従兄弟の間柄。出会ったのはリオンがこの屋敷に住むようになった5年前で、彼の父はユグルド侯爵夫人の弟なのだがリオンとリオンの母を残して他界。
5年前まで妻子二人、父やユグルド侯爵夫人からの手助けもありながら生活していた。しかし、その母親は突如リオンを残して姿を消したのだ。
夫の後を追ったのか、生活に耐えかねて現状を手放したのかは解らないが、先代も既に他界しており他の親戚も頼れるほど関係は濃くない中で、11という年齢のリオンが分家と言えど貴族の家を支えるには幼すぎた。
従兄弟の忘れ形見として父がリオンを引き取り、自身で家を回せるまではと、この屋敷に身を寄せるよう手配したのだそうだ。
そんな境遇なので元々人に興味が薄い性格だったにしても、確かに遠慮はあったのだろう。
「…遠慮して何も言えない相手に、やっぱりあんなに言うべきじゃなかったわ。思えばリオンお兄様は、伯爵令嬢としての在り方を指摘したかったのでしょうし。」
最後の言葉は捨て置けないとはいえ、父の娘として行動することを、伯爵の令嬢として相応しい行動が求められるという指摘は納得できるものだ。
「あれは、まあ…いえ。お嬢様はそのままで良いのです、令嬢としての振る舞いは身についておりますよ。」
私の言葉に何でかリンダは微妙な顔をしていたが、一つ横に首を振ってから現状維持で良いと言ってくれた。