[暗幕を下ろす前夜]
蝋燭が照らす部屋の中で、明日すべき事を反芻する。
失敗は許されない。あの方のために一年間頑張ってきたのだから。衣装も、持ち物も、同伴者も、万全な準備に抜かりは無い。
「必ずや、果たさなければ。」
思惑が成功して、あの方が喜んでくれる姿を思い描くだけで胸が高鳴って満たされる。美しいあの顔が歪む姿を想像するだけで、笑いと愉悦が込み上げる。
屈辱を味わったあのお方に代わって。
実行しようにも手段に苦しんでおられるあのお方に代わって。
その為に有りもしない好意をあの女に笑みを浮かべて表現し、吐くほど嘘で塗り固めた賛辞を紡いだ。
「これが無ければ、何も始まらないから。」
全ては、この手紙を得るために。
一枚の招待状を取り出して、綴られた文章に改めて目を通す。
【昨年の騒ぎをお詫びすると共に、あの日のやり直しも込めて紅茶の香りを新たに皆様をお待ちしております。】
品よく見える文章から、自分には道化が嗤いながら書いている様子が思い浮かぶ。令嬢らしくない気の短さは昨年でよくわかった。この令嬢があの方の味方をしたのならば、そもそも害する理由は無かったものを。
「忌々しい、子爵令嬢。」
上から目線で、出しゃばりで。淑女として寛容さに欠けるあの令嬢は、あの方の言葉を否定して自らの思い通りにならないからと、あの方の尊きお体に拳を振るおうとしていた。
当たっていれば、赦す日は永遠に来なかっただろう。その時の呼吸の止まるような感覚は今でも覚えている。
まあそれでも、もう一人と比べればマシなのだが。
「クレモナの…羽虫め!!!」
『ハルバーティアの妖精』だなんて、アレがそんな幻想的な存在であるはずが無い。平和主義を主張して、あの方の正義を悪に仕立て上げた。周りの目を利用して自身を正当化させ、あの方のお父君でさえ洗脳というべき話術で味方につけてしまった。
そして、あの方の隣という尊くも多くの令嬢が分不相応であるために遠慮する席を、我が物顔で得ようとしているのだ。
「ああ、お労しい…!!」
あの方の為ならば、何だってできる。
涙に濡れた瞳を拭って差し上げたい。その涙の原因を断って差し上げたい。願わくば、その全てをあの方の御側で実現できたらと思う。
そう、全ては明日で決まる。
「…楽しみ。」
成功することを考えると笑いが止まらない。
屋敷に自分の笑い声が木霊して、扉の向こうにいる護衛がノックする。それに心配無用と声を掛け、次は聞こえぬように笑いを含む。
「ふっ…ああ、愉快。」
見られるのは涙か絶望か。
どちらもそんな表情ですら綺麗に見えるのだろう。憎いほど綺麗なその顔を、自身が壊してやりたい。そしてあの方の笑顔を忘れることの無いように目に焼き付けるのだ。
「今頃、呑気に寝ているのか…」
微睡むような現実味のない世界で、味方しかいない環境の中大切に大切に育まれたような女だ、悪意を他者から受けたことが無いに違い無い。身内から憎悪を向けられたことも無いだろう。
そんな少女に、貴族としての現実を教えることも兼ねているのだ。自分があのお方が受けた屈辱を晴らすことで、あの女に現実というものを教えてやる。
人の痛みを、知ればいい。
「あの方が受けた屈辱を倍で返したいところだけれど、一端でも知らしめられれば僥倖。」
手に入れた薬品を片手で揺らす。
これを手に入れてくれた父は悪用はするなと言ったが、そんなこと自分がするはずもない。これはあのお方が受けた悪を浄化する聖水のようなもの、正しき道へ向かうために用いるのだから善行でしかない。
「明日、これを使うだけ。」
頭で明日のことを想像し、成功を見据える。同年代の男女の集まりの中で、自分以上に頭の回る者は居ないはず。実際昨年の茶会も欠伸が出るほど彼らの話は退屈だったのだから。
気付かれぬ内に事は済み、あの方の手を煩わせるまでもなく、あの女をあの方の前から排除する。
「素敵な茶会になるわ。」
身支度を整え、明日を考えて燭台へ息を吹きかける。
フと音も無く消えた蝋燭は、誰かの命の灯火のようだった。