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拭くだけの魔法


「お嬢様、本当にこれだけですか?」


「それだけよ。ビネガーと塩を混ぜて布に付ける、それで黒い跡の部分を拭いて頂戴。」



その後お湯で拭き取れば温かいから寒さも和らぎそうだ。


私の説明に困惑を見せるリンダだけど、本当にこれだけ。



「試しにやって。無理だったら他の方法を試すわ。」



ビネガーで無理なら果汁でいけるかしら。酸味が重要なのかどうなのかもわからないので、正直な話他の方法なんて知らない。


お願いですから、これで消えてください。


まだ困惑しているリンダが、それでも私の指示に従ってビネガーと塩をどこからか持ち出した小皿に入れて軽く混ぜている。ツンと匂いが部屋に広がった。


布をそれに浸し、奴隷の子の足へ。


ゴクリと生唾を飲んだのは誰だろう。変な緊張の漂う中で、ゆっくり、ゆっくりとリンダは布を動かした。



「まあ…!!」



完全にではない。しかし、呪いとまで言われた忌まわしき黒い跡は確実に薄くなっていた。


それに心の中で息を吐きながら、お湯で拭いてからまた塩とビネガーで拭くのを繰り返すよう指示を出す。



「完全に消えるかは解らないから、薄くなったら後は目が覚めるまで暖かくして寝かせてあげて。」


「かしこまりました、お嬢様。」



リンダの声に安心したところで、後ろから「リリルフィア」と声をかけられる。振り向けば険しい顔の父がいた。


父に連れられたのは私の部屋。私はお気に入りの白いソファに座り、父は向かいに座るのかと思えば私を持ち上げてわざわざ私を膝の上に乗せてしまった。



「お父様…」


「帰ってからって言っただろう?」



緩められた表情に少し安心する。


父の険しい顔は珍しく、今回私はおねだりして無理を通した自覚はあるので叱られるのではと覚悟していた。覚悟していたけど、やっぱり恐いものは恐くて泣いてしまいそうだったのだ。



「それで見てたけど、どうして“枷の呪い”を薄くできたのかな?」


「見たことあるからですわ。最近ですと、侍女の一人の薬指に。」



黒い跡の正体はアクセサリーを付けると、つけた場所が緑っぽくなるアレだ。あれはサビた真鍮に長時間触れた時に見られるものなので、恐らく侍女の指輪や奴隷の子がつけていた枷は真鍮製だったのだろう。


洗えば落ちるものなのだが、水だけでは効果が薄く、石鹸という高価なものを奴隷から解放された者の財力で手にできるのか怪しい。



「侍女の指輪の跡は次の日には消えておりました。ハルバーティア伯爵家の使用人は石鹸を使用できますから、落ちているのも当然なのでしょう」


「でも、何故ビネガーと塩?」


「ええっと…塩は清め、ビネガーは…先日お父様が読んでおられた新聞の記事に治療だとかで書かれておりましたでしょう?」



本当の理由は塩は研磨剤替わりだった気がするし、新聞の記事に書かれていたのは感染病のことで黒い跡とはなんの関わりもない。


科学の発展が乏しいこの世界で詮索されても説明のしようがないから適当に言葉を並べたが、父は「そうか、リリルフィアは凄いなあ」と頭を撫でてくれただけだったので詳しく聞く気は無いようだった。



「リリルフィア、このことは父様とリリルフィアの秘密にしよう。」



父の言葉に私は素直に頷いた。


広まれば差別から救える人は多いだろう。“呪いは消えない”という周知の情報が覆され、もしかしたら黒い跡を嫌悪する思想も無くなるかもしれない。けれど奴隷というのは全員が貧困のために攫われてなってしまうものとは限らない。


罪を犯し、法で裁いた末路の場合、解放された後に残る“枷の呪い”はもう一度罪を犯さないための戒めとなるだろう。


救える人々もいれば、救うべきでない人々もいるということだ。



「これから先、自分の目で見て助けたいと思える人にだけこの方法を使うと良い。教えるのではなく、リリルフィア自身が施すだけだ。いいね?」


「はい、お父様。」



頷いた私に笑顔を見せてくれた父は、私を抱き上げてソファに下ろすと自身は退室してしまった。



「あの子をどうするのか、聞かれなかったわ…」



奴隷の子の黒い跡を消し、寝床を与え、その後は?


奴隷では無いと主張できるのだから、孤児院に預けるのも手だろう。けれどそれでは拾った生き物を再び野に放つようなモヤモヤとした感情が残る。


しばらく考えていると、コンコンと部屋の扉が叩かれた。


ノックに応えれば扉を開けて顔を見せたのはリンダ。どうやら一通り奴隷の子への処置は終わったようだ。



「眠っているので、明日の朝目が覚めていたら身支度と食事を用意いたします。」


「そう…ありがとうリンダ、下がっていいわ。」



いつの間にか部屋の外は夕暮れの色に染まっていた。もうじき食事の時刻になるだろう。呼ばれるまで何をしようかと考えていたらリンダが下がる指示をしたにも関わらず部屋に残り、こちらを見ている。


従わないことを咎めるように教わってはいないので何か話したいのかとリンダの動向を伺っていると、こちらに歩み寄ってきたリンダは私の前で傅いた。



「お嬢様はよく捨てられた猫や鳥を拾っていましたね。」


「え?ええ…」


「ですが、今回は猫でなく人です。あの者は所有物である奴隷となる筈のところをお嬢様が救ってしまわれた、一人の人間でございます。」



リンダの強い眼差しに心が慄える。


彼女は怒ることも諌めることもせず、淡々と事実を述べているのだ。きっと、私があの子をどうするか決めかねているのを察したのだろう。誰も彼も、我が家の使用人は優秀で恐い。



「意志を言葉にする口があり、行動出来る手足があり、奴隷という環境から逃げ果たせたのであろう精神があります。あの者が我々を見て何を発するのか、お嬢様を目にしてどのような言葉を紡ぐのか、お覚悟なさいませ。」



意識のハッキリしないうちに貴族の屋敷に連れてきた。それを私は今自覚して啞然とリンダを見つめ返す。


奴隷という使われる存在が、私のような使う人間をどう思うのかなんて想像に容易い。先程のユレナのように、私達へ嫌悪の眼差しを向ける可能性だってあるのだ。


それを、私は受け止めなきゃならない。



「今、わかったわ。リンダ・カストラム、貴女の言葉を今後の糧にすると誓いましょう。」


「言葉の行く末はリリルフィア様に委ねましょう。お嬢様、お時間頂戴し、申し訳ございませんでした。」



今リンダと交わしたのは、この国では一般的な誓いの言葉。


尊敬する相手に敬意を払い、相手はその尊敬を覆さないというやり取りだ。言葉を変えて口約束するときに用いたりと臨機応変で決まった言葉ではないけれど、この言葉を交わすことで互いの言葉の重みが増す。


私はリンダの言葉を胸に留め、あの子と向き合うと約束したのだ。



塩とビネガーの方法はアクセサリーの青サビを落とす際に金属に用いる方法で、本来作者は家庭用のお酢を使用しています。また、基本的には金属に用いるだけで、アクセサリー装着後の皮膚に付いた青サビを落とす場合には素直に石鹸を使うので試したことはありません。

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