警告
「不評を買うような行為はなるべく避けたいですわ。この場にいるのですから。」
「淑女として?」
からかう様な声色に扇を広げて二歩離れれば、クスクス笑った貴公子は楽しそうに三歩詰めてきた。
名無しの貴公子とのこの距離感は、今彼が言ったような精神的な理由があればもっと大切な理由もあるのだけれど、彼は気づかないみたいだ。
空のグラスを夜の光に透かすように手で遊ばせている。
「…貴公子様、つかぬ事を伺いますが。」
「ん?」
「幼女趣味でいらっしゃるのですか?」
スルリと手から離れたグラスが重力に従って落ちる。
『あっ!』と思ったときにはグラスは床へ叩きつけ…られることはなく、素早い動きを見せた貴公子によって再び彼の手に収まっていた。
「あっぶね!!急に驚かせるなよ…!!」
「気になっておりましたので。」
「淑女なら包み隠せ!!というかどっからそんな考えが出てきたんだよ…」
紳士ならば動揺を見せるものではない、と言いたかったけれど私の発言があからさま過ぎたのが原因なので、言葉を飲み込んだ。
幼女趣味…前の人生ではロリコンと呼ばれていたけれど、同年代ではなく幼い子供を愛する心を持った方々のこと。
何故私がそんな考えに至ったのかというと、先程の“大切な理由”に起因する。
「幼女趣味とは言いすぎましたけれど、私との距離がお気に障るようでしたので。」
床を示せば開いた距離の意味を貴公子は理解したようだ。そして私の質問に対して否定すべく「そんな趣味趣向は持ち合わせてねえからな!?」と一歩、私と距離を詰めた。
「それに嬢ちゃん、幼女って歳じゃねえだろ!」
「幼女は言い過ぎましたが、私と貴公子様を見る者によっては一考されても可笑しくはありませんわ。」
お互いに成人済みならば、10前後の差など気になるものではなく、政略的なものとなれば親子ほど離れていても婚約する。しかし片方がデビュタントも終えていない年齢となると、傍から見れば印象が大きく変わるだろう。
貴族という広く思えて実情は狭いコミュニティでは、縁戚関係なんてものは知られていて当たり前。そんな環境で見慣れない者が長く会話していたら誤解されるのも必然というものだ。
私の言いたいことが伝わったらしく、貴公子は床と私を交互に見て一つ息を吐く。
「この距離はそれでか…」
「ご理解いただけて何よりです…何故距離を詰めるのですか?」
疲れたような表情をしつつ、貴公子は私との距離を二歩詰める。一歩離れれば「まあ、聞いてくれよ。」と彼は私にちょいちょいと手招きした。
そして先程床に落ちて割れる危機に瀕したグラスを夜空に掲げる。
「俺はなあ、嬢ちゃん。名前も知らないのにこうやって話し相手になってくれる嬢ちゃんを気に入ってんだよ。」
「つまり、やはり「そっちの趣味はねえからな。」」
私の言葉に被せた否定に、『黙って聞け』と訴える瞳に、私は目を伏せて肯定を示す。
私と貴公子との間にあった和やかな空気は糸を張るように引き締められ、グラスと夜空に向いた貴公子の瞳は真剣そのものになった。
「俺は、嬢ちゃんのことを知ってるよ。初めに会ったときは知らなかったがな、興味が出て調べちまった。今日会ったのは偶然でもなんでもなく、嬢ちゃんが来るって確信してたからだ。」
リリルフィア・クレモナ・ハルバーティアという伯爵令嬢であることを、彼は知ったらしい。
私だということがわかれば、友好関係や家族の内情を知れるだろう。そうすれば私が父に連れられて友人の父が主催する夜会へ出席することも容易に分かる。
チラリと私を流し見た彼は真剣なままの瞳を私に向けた。それに自然と背筋が伸び、居住まいを正す。
「嬢ちゃんの出席する茶会。ちょっと厄介なことになるかもしれねえ。」
私が出席する茶会は従姉妹のアニスのものだ。
それ以外は今シーズン何件か来たけれど断った。アニスの茶会で起こる『厄介なこと』は分からないけれど、眼の前の貴公子が私の素性を知ってこれからの事を警告してくれているのは分かった。
そしてそれは、彼が本来この場に来て言うことではないことも。
私は賑わって誰もこちらになど注意を向けていないことを会場内へ一度視線を向け確認し、低く腰を落とす。
「ご助言、胸に留めます。」
「…もしや嬢ちゃん、俺のこと知ってたりすんの?」
空気を変えて彼は疑問を口にする。私はそれに対して腰を落とすのは変わらずそのまま顔を上げた。
彼は探るような目を私に向けていたので、笑って敵意だけはないことを示しておく。
「さあ、どうでしょう。」
言葉のせいで笑顔の意味合いが変わった気がするのは、考えないことにした。