父との舞曲
「トアン、ありがとう。」
仕度を終えて、私はホールへ出入りする扉の前でトアンへ謝意を告げた。
泣いたことによって熱の溜まっていた顔は彼女の手腕によって見る影もなく、崩れた化粧は拭い去られたものの新たに施されたそれはドレスの雰囲気にも合った仕上がりとなっている。
私の化粧直しがメイベルの指示であったことは確かだけれど、泣いた跡などを欠片も見せることなく美しくなるよう仕上げてくれたトアンの技術は、やはり彼女に直接称賛の言葉を向けるに値するだろう。
「過分な言葉、痛み入ります。」
使用人として謙遜しながらも確かに私の謝意を受け取った彼女に背を向けて、私は扉の左右に控える者へ視線を送った。
私の了承の意を汲んでくれた彼らは、ホールに続く扉をゆっくりと引き開く。
「ハルバーティア伯爵家息女、リリルフィア・クレモナ・ハルバーティア様の入場です。」
入場の紹介を受けてホールへ一歩踏み出せば、瞬く間に人々の熱気が体を包む。多くの招待客が居るのだからそれも当然だろうが、夜会の終盤であることも理由に含まれるだろう。
私は背に扉が閉じられるのを感じながら、その場で腰を落として一礼した。私の入室に気が付いた者たちの視線が飛んできて、その先を辿れば様々な感情が読み取れる。
大幅な遅刻についての心配が多いが、貴族として振る舞いについて眉を寄せる者も確かに居る。他にも声を聞くことができるのなら、私の体調について邪推する声もあることだろう。
人の数だけ感情や考えのあるだろうことを自らに言い聞かせながら、私は多くの視線の集まる中を堂々としているように見えるよう進んだ。先ず目指すは当然本日の主役の元へ。
「リリー!来ないから心配した。」
「申し訳ありませんリオンお兄様、少々仕度に時間がかかってしまって…」
「ここに入る前に外でお前を見ていた方々も居るからな、多少騒がれたが何事も無いのなら良かった。」
声を大きく周囲に聞こえるよう話すリオンは、“何事も無い”ということを強調していた。それで少し視線が緩和され、リオンは周囲の空気の変化に確認するよう見回してから私へ顔を寄せた。
「コルストン公爵家については聞いた。大丈夫なのか?」
「はい。お見舞いに伺いましたが、負傷された方々は話をできるほど意識がしっかりしておられるご様子でした。」
「アルジェントも居たのだろう?」
「…はい。彼も、命の危険は無いようです。」
この場で、詳しい容態を伝えることは憚られた。
失明の恐れがあることや、手当を受けた箇所が多く見た目に痛々しいことを告げても、心配や不安、憐憫以外の何も生まないだろうから。
詳細を口にしない私にリオンも特に言及することなく、私を労るように頭を撫でてくれた。それから「似合っているよドレス。綺麗だ。」と褒めてからリオンの手が離れた。
「叔父上もコルストン公爵夫人もリリーを心配しておられた。」
リオンの示す方向に目を向けると、こちらへ歩みを進める二人の姿があった。父は夫人の手を取ってエスコートしているが、そこは距離が適切に保たれているようで、腕に手を回すことはけしてないと言わんばかりに微妙な距離感があるように見受けられた。
互いに触れることを許す“何か”があるような雰囲気というべきか、普段は色めき立つ場面であっても夫人と父のことに対しての反応が全く無い。
程よい距離まで父たちが歩いてきたところで、父の手を離した夫人が私の元へ駆け寄るようにして、私の手を握ったことには驚かされた。
「遅いから心配していたの。」
さり気なく頬を撫でられ、化粧に変化があることに気付かれたのだと分かった。化粧を直す事態となると、相応の問題が生じているということで。負傷した方々に会いに行ったことを知っている夫人は、何があったのかは聞かずに私の身を案じる視線だけをくださった。
「ご心配をおかけし、申し訳ありません。」
「間に合ったのですもの、良かったわ。旦那様はどうでした…?」
「多くの血を流されたのかお顔色は優れないご様子でしたが、きちんとお医者様の手当を受けて安静にしておられました。」
夫人がゆっくりと息を吐いて安堵する様子を見て、私はそれ以上の内容を報告することをやめた。夫人は近くで彼らの様子を見ていたから誰がどれだけ血を流していたかを知っているだろうが、それによってどんな様子なのかは、全て夜会を終えてからでも遅くはないだろう。アルジェントについても、公爵のように自身を責めてほしくない。
私は夫人から父へ視線を移す。父は私へ手を伸ばそうとしていたところだったようで、私は夫人に断りを入れてからその手を取った。
まるで私達が手を取り合うことを合図とするように、曲が奏でられ始める。
「綺麗だよ、リリルフィア。凄く綺麗。」
「ありがとうございます、お父様。」
「誰がなんと言おうと、リリルフィアは俺の娘でハルバーティア伯爵家の一人娘だからね。」
意味有りげなその言葉に、私は頷いて返す。穏やかに笑った父は私をリードして大きく動き、まるで今の言葉を証明するように、周囲に見せつけるように踊った。
動けば広がる濃い緑のドレスは明るい色の周囲よりも際立つように目立ち、曲に合わせるようにくるりとその場で回れば、金と銀の刺繍が星の瞬きのように煌めく。
父と言葉を交わしながら周囲へ視線を向けてみれば、眉を寄せる方々は見受けられず、見惚れる視線の多さに安堵した。
曲が終わる頃、父はもう一度私の容姿を褒めて踊りを終える。私は遅れたことへの挨拶のつもりで深く深く腰を落とした。何処からとなく拍手が響き、父の支えで立ち上がった私は父へも踊りへの感謝を述べる。
「ありがとうございました、お父様。」
「お礼なんて要らないよ。俺か踊りたかっただけなんだから。さあ、リリルフィアを心配していた人たちが多く居るんだ、ラストダンスまで少し時間を空けるから、挨拶するといい。」
ラストダンスは父とだろうに、父は私の手を名残惜しげに離すと、私へ視線を向ける馴染みの方々の方向へと私の背を押した。




