立たせるためには
ポン、と音が出ていそうだと思えるくらいに一瞬で、彼の顔は赤く染まった。
「むむむ、無理です!!そんな恐れ多い!!」
「あらどうして?ネルヴもラングも名前で呼んでいるのに。」
首を傾げた私を見て、アルジェントはピタリと動きを止めた。震えるその姿に、私の頭に一つの考えが閃いた。
彼の中で彼女の名を呼ぶというのは、選択肢が一つだけだったということだ。
「呼びたいのなら、呼ぶといいと思うけれど?“リリルフィア”って。」
怒りで上がっていたときとは違って、自然と緩く口角が上がる。
いきなりアルジェントと話した私を咎めることもなく、公爵も後ろで笑っておられる気配がした。アルジェントの背に位置する奥では、側仕えの者が生温かい視線をアルジェントへ向けていて。
雰囲気だけで、アルジェントの思いを彼らが知っていて、更には好意的に応援していることも知れた。
ならば、と私は椅子から身を乗り出すようにしてアルジェントの体をくまなく確認する。
「それは置いておいてアルジェント、立てる?」
「え?あ…足に問題はありませんので、立てます。」
「そう、では、動ける?」
「…無理をすれば。硝子での切り傷が主で、馬車の転倒で打ったのは肩や背くらいで、動かすと痛みますが。」
これでは、無理だろうか。
あまりアルジェントに動くことを強いると、リリルフィアが泣いてしまう。彼女の不安をこれ以上刺激することは本意ではないし、なんだか思っていたよりもアルジェントの中の気持ちはハッキリしているようだから、触らないほうがいいだろうか。
けれど、と私は思い直す。
聡明なリリルフィアは自身の考えのもと行動していて、それを曲げることをあまりする子ではない。私に『立てない』と諦めた彼女にもう一度アルジェントを見てもらうには、少し強引に行ってもいいはずだ。
それには、アルジェントの意志が必要不可欠。
「アルジェント、貴方はリリルフィアのためならどれだけのことができる?」
「何でも。」
強い眼差し、光を宿す灰の瞳がリリルフィアへの敬愛と恋情を抱いていることに、私は声にしないようにだが、歓喜した。
「良いでしょう。ラング!聞いていたわね?」
扉へ声を向けるとアルジェントから「え…!」と意外そうな声がした。その後彼は慌てることも忘れない。
ラングはリリルフィアの護衛騎士であり、リリルフィアの居るところに居るのが仕事で、彼が居るところにはリリルフィアが居ると考えるのが自然だろうから。しかし、開かれた扉から「バッチリです!!」と拳を作ってラングが入っても、アルジェントが思う彼女が入ってくることはない。
当然だ、居ないのだもの。
先程『無理をすれば』と言ったのは何だったのか、と思うほど機敏な動きで自身の身なりを確認していたアルジェントは、ラングしか入ってこないことに気がつくと私へ確認するように視線を上げた。
「まだ、貴方の思いを全てを伝えるには早いわよ。ごめんなさいね、期待させたみたいで。」
周りにもからかっていると分かるほど笑いを含んだ私の声は、アルジェントを羞恥に染めるのは一瞬だった。それにまた周囲が笑って、和やかな雰囲気が醸し出される。けれどそれをのんびり受け入れている暇はない。
「貴方のリリルフィアへの思いが分かってよかったわ。そうと決まれば、少し彼女のために無理してもらうわよ。」
何をするのか分かっていないだろうに、アルジェントは迷いなく頷いた。警戒心がないのはどうかと思うけれど、今ばかりは彼を害する気はないので、その気概は称賛するに値する。
私は彼に怪我を覆っている布の巻き方を調節して、少しでも動きやすくしてから別室へ来るように言い伝えた。動くこと自体を渋るかもしれないが、医者ならば布の調節くらいはできるだろう。
それに加えて、アルジェントの言葉を言質を取ることに利用したラングにも指示を出す。
「ハルバーティア伯爵に伝えて。『ラストダンスは、必ず予定通りにしてもらう』と。」
「え、そんな強気なこと言うんですか!?俺が!?」
拒否の顔を見せるラングを睨めば、彼は私から目を逸らしてアルジェントを見て渋面を作ったあとに、それでもしっかりと肯定するように頷いた。
「リリ様のため、リリ様のため…」と呟きながら指示に従うために消えていく彼を見送って、事の成り行きを見守っていた公爵へ私は腰を落とす。
「お守りいただいた子を連れていきますわ。」
「ああ、よろしく頼む。直接見たかったけれど、これでは無理そうだ。」
自身へ目を向けてから笑う公爵。彼に「夫人が公爵の代理として出席しております。後ほどお聞きになればよろしいかと。」と提案すれば、しっかりと頷かれた。
さて、忙しくなる。そう思って退室しようとした私を、アルジェントが止めた。
「メイベル様!ガーライル伯爵家のご令嬢として、お話したいことが!!」
武を極めんとする我が家門として呼び止めるのであれば、それは少なからず荒事についてである。
私は彼から齎される言葉の数々に公爵や側仕えですら驚いていることを視界に収めながら、彼の言葉たちへ敬意を払うために胸に手を当て剣士としての礼をした。
「貴方が掴み取った情報、ガーライル伯爵家の名に掛けて、しかと父に伝えます。」




