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【傾倒】


揺れる馬車の中で落ち着きなく向かう先を気にする青年。礼儀を知らずとも丁寧な印象であった彼も、時間を経て作法を知り、今や立派な紳士。


そんな彼を、こうも落ち着きなくさせる存在に私は興味が尽きない。




『君にとって彼女はどういう人なのか、教えてくれまいか。』


『お嬢様は…』




彼と初めて会ったときに聞いた答えを思い出して口角を上げると、それに気が付いたらしい青年が「どうかされましたか。」と問うてきた。このように気さくに話し掛けてくることも、当時は無かった。視線を彷徨かせたかと思えばこちらの視線に気がついて怯えたように姿勢を正して。連れてきた者に押し出されて挨拶はしても、それ以上は何を語ればいいのかわからないといった様子で。


それが妻には、愛らしく思えたのやもしれない。




「旦那様?そのように楽しそうにしておられる理由を私たちにも教えて下さいな。」


「いや何、彼が来たときのことを思い出していたのだよ。」




妻と青年にそれぞれ視線を向けて答えれば、妻は「まあ、ふふ。」と愛おしい笑みを浮かべて私の腕に掛けている手に力を入れた。それを包むように握れば、青年の隣りに座る者が咳払いをする。


この者は何時も私達の邪魔をして。私は目を細めるが、相手は平然と「お二人だけの時になさってください。」と言うだけで、オマケにチラリと青年へ目を向けるものだから配慮しないわけにはいかない。


頬を紅くして、居心地悪げにしている青年に我々の姿は刺激が強いようだから。




「そのようにすぐに表情に出していては、男として女性の優位に立てないぞ。特に好いた女性であれば途端に男は弱くなるのだから、それを見せずに余裕を持った姿で女性をエスコートしなければならない。」


「僕には…無理です…!!」




なんとも弱気な発言に、私は妻と顔を見合わせた。先に反応を変えたのは妻の方で、彼女は穏やかに口角を緩め上げると視線を青年へ向けた。




「大丈夫よ。彼女ならきっと、あなたを引っ張ってくれるもの。」


「そう、ですね。」




何を思い浮かべてか、青年の表情が柔く、だらしなく緩む。フニャリと音が付きそうなそれに“男として、それでいいのか…?”と問いたくなったが、妻が言うのだからそれでいいのだろう。


ガタン、と舗装された王都の道で小石か何かを踏んで馬車が跳ねる。咄嗟に妻を支えて、礼を言う彼女の背を撫でようとしたその時。




「旦那様、奥様、身を低く。」




表情を険しくしたその者は、私へ手で指示を出す。私は妻の体を抱いて窓から見えぬ体制を取った。


隣の青年は、腰に提げていた剣に手をかけていた。短期間で培ったと聞いているが、一般的な剣とも細剣ともとれる細身のそれをすぐに抜けるよう構える姿は騎士のようで、妻からも屋敷から出る間際には『それなら彼女もきっと見惚れるわ。』と私が嫉妬してしまいそうな言葉が出たほどだ。実力の方も私は目の当たりにしているので疑ってはいない。


しかし、馬車は走ったままだというのに何に気がついたというのだ。




「何だ。」


「怪しげな影が居りました。警戒のためにも、馬車の速度を上げさせましょう。お辛いでしょうが、窓には近づかぬようお気をつけください。」




軽く二度、強めに馬車の天井をその者は突いた。すると馬の嘶きの後に馬車はぐんぐんと速度を上げる。足を踏ん張り、妻を支えながら警戒する様子の二人へ目を向けるが、彼らの意識は既に外へ向けられていた。




「賊ではないだろうな。」


「ええ。王都の中心で堂々と襲う馬鹿はいないと思っておりましたが、賊よりも下劣な者達が居たようです。」




馬車の激しい揺れが、妻の震えのようで彼女を引き寄せる。身を寄せ合う私達の姿を一度確認してから、伺うように窓を覗いたのは青年だった。




「っ!!騎乗した者が横に付きました!!」


「窓から離れろ!」



青年の肩に手を伸ばして乱雑に引こうとする私の側仕え。何かを食い入るように見て、窓から一向に離れようとしない青年。


ピシリ、と音がしたのはそんな時だ。


散らばる破片、傾く馬車、私へ身を委ねる妻の体温、馬の嘶き。


最後に見たのは、顔を庇う青年の意思の強そうな瞳。そしてその青年は片腕をこちらへ伸ばしていた。同時に頭に浮かんだのは、彼と会った当時に私が聞いた、問いかけの答えだった。




『君にとって彼女はどういう人なのか、教えてくれまいか。』




恩人であり、主人であり、それ以上の心を持ってしまった青年の答えは、あまりにも純粋で無垢で、欲深いものだった。




『お嬢様は…僕が全てを捧げたい方で、あの方の全てを守りたいと思える方で。』




愛おしげに緩んだ表情は、主従を超えた感情を表していた。




『僕の大切な、人です。』




若者の前途を阻む者など、私の妻を危険に晒そうとするものなど、この世から潰えてしまえ。


痛みと怒りと憐れみの感情の中で、私は呪いとも言える恨み言を頭に巡らせて意識を繋いでいた。



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