胸襟を開く
見開かれた目、口元を押さえる手。指と指の間から見える唇が“チガウ”と動いているのは気のせいだろうか。気のせいであったとしても、ティサーナの表情は今耳にした言葉が言うつもりがなかったものなのだと私に思わせるには、十分だった。
口から紡がれてから彼女が動揺するのなら、彼女自身すら自覚していなかった心の内が吐露されたものなのだろうと、私は受け止めた。
「何も思わなかった、わけがございません。それはティサーナ様も、お分かりのことと思います。」
何度も頷く彼女の口から、手は外されぬまま。その手に留められた言葉たちは、一体どのようなものなのだろう。そう考えながら、私はティサーナへ自分の考えを口にした。
「しかし出陣することに決まった兵はアルジェントだけではないのです。もしも私がアルジェントへ特別な感情を抱いていたとして、その感情のままに振る舞うことはハルバーティア伯爵家の娘として、他の兵を蔑ろにしているようなものだと考えています。」
“一人だけであれば”と手紙に綴られていたことを思い出す。特別大切にしている者を一人だけ戦地へ向かわせないようにできる方法は、今のティサーナであれば選んでいたかもしれない。あのとき私は父へ国へ貢献する為ということを理由に断ったが、別の思いも確かにあった。
全てを捨ててでも一人の者に寄り添いたいと願うティサーナには、伝えておきたい。
「それに、アルジェント一人が出陣を免れたとして、彼がそれを喜ぶとは思えなかったのです。危険な地へ立場を同じくした者たちが向かうのを、平気な顔で見送ることができるような者ではありませんから。」
召集令状が届いた直後は、彼の中にも不安や迷いがあったことは知っている。しかしその直後には自身の髪を弟の生活の足しにできないかと切ってしまうくらいには覚悟を決めていた。
それを“行かなくてもいい”と彼を引き止めたところで、彼に自分だけが残るという負担を強いるだけのような気がした。
ティサーナはハッと顔を上げて改めて私と視線を合わせ、すぐに目を伏せる。その表情は気まずさが感じられ、彼女と私の考えがどのように違うのかが伝わったようで、私は少し安心した。
「…リリルフィア様は、私が独り善がりな考えしか持っていないと言いたいのですね。」
後ろ向きな言葉に、私は複雑な気持ちで息を吐いた。
受け取り方は人それぞれだと常に思ってはいるけれど、私が伝えたかったのは自分の考えだけであって、彼女の思いを否定したかったわけではない。
どうしたものかとティサーナにかける言葉を考えていると、彼女は言葉を紡いでいく。
「アルジェント様が傷つくと思うと、居ても立ってもいられないのです。お守りする術があるのなら、お力になれる術があるのなら、私は私があのお方に助けられたように、今度は私が助けたいのです!!」
ハラリと流れる涙には、ただアルジェントへの思いだけが籠もっている気がした。庭園に注がれる光が反射して、涙は美しい輝きを持っていた。
「リリルフィア様が羨ましい…!私はあの方の何一つとして手にすることはできませんから…!!」
私が目の前にいることに耐えられなかったのだろう。ティサーナは最後に感情を私に吐露して踵を返した。庭園を出ようと駆け出すティサーナに、案内してから私達が話せるよう距離を取ってくれていた者が慌ててこちらへ寄ってくる。
その者にティサーナを追うように願い、私はその場に居ることを伝えた。
何があったのかを聞くでもなく、案内してくれた者は人を呼ぶことを私に告げてから、ティサーナを追い庭園を出ていく。周囲に人が居なくなったことで、私は様々な感情を吐き出すように長く長く息を吐いた。
「羨ましい…ね。」
距離が近く、感情の種類が何であれ慕われて、ティサーナにとって私は羨望の対象だったらしい。
アルジェントに焦がれるティサーナであれば、無理もないかと考えが落ち着き、私はぐるりと庭園を見回した。
「…そこで、何をしておられるのですか?」
誰もいないと思っていた庭園に合わぬ姿を見つけ声を漏らすと、ガサリと背の低い木々が揺れた。
僅かに見えた衣服の裾らしきそれに声を出してみたけれど、揺れた木の範囲がやけに広い。訝しげにそちらを見つめていれば、ゆっくりと視線を彷徨わせた人物“たち”が姿を見せた。
「何時から…いえ。」
物音もなく、私よりも庭園の奥に彼らが位置取ってることから私とティサーナが後に来たのだろう。それを思うと、気まずそうな彼らの表情にこちらが申し訳なくなった。
「お見苦しいところをお見せいたしました。第一王女殿下、第三王女殿下、それにセルイット騎士に、メイベルも。」
腰を落とした私に暫し誰も何も言わなかった。




