刻苦
両膝に拳を乗せ、まっすぐ背筋を伸ばして椅子に腰掛けているアルジェントを見ていると、こちらも自然と姿勢を正して彼と向き合っていた。
「話したいことって?」
話を促す私に、一度口を引き結んだアルジェント。その表情は何かを覚悟したような顔に見えて、私は何を言われるのだろうと予想を頭で巡らせる。
召集の話があった直後にアルジェントの髪が短くなり、ラングが夜に私の私室を訪れてからアルジェントの様子がおかしくなった。ガーライル親子が我が家に来た日から更にアルジェントの表情は優れなくなり、そんな彼に私はかける言葉を間違えて遠ざけた。
私の思いが父たちの知るところとなっても、私とアルジェントの間に生まれた距離は変化せず。更には私が偶然とはいえラングとの会話の最中に居合わせてしまったことで、壁が生まれたような気さえしていたのだ。
心境によっては私とこうして同じ空間にいることも辛い筈だけれど、私の話し相手になることを了承し、近い距離で話をしようとしてくれている。
彼が最初に口に出すのは、決別か、修復か。
「言おうと思っていたんです。言わなきゃって、思って…」
それだけ言葉にしたアルジェント。しかしその先に続く言葉が紡がれる前に、彼は顔を俯けて黙り込んでしまった。話を聞かなければと思っていた私は、彼を急かすことはせず、待った。
既に朝日は使用人たちの活動を促す高さとなっていて、日当たりのいいこの部屋にもカーテンの隙間から差し込んでいる。ベッドの半分ほど日が当たり始め、私は暖かさを求めるように日の当たる場所へ片手を置いた。そうすれば、緊張からか寒く感じるこの体も温められるのではと思ったから。
僅かな光に暖かさを求めてどれくらいだっただろうか。アルジェントは深く何度も呼吸して、口を開き、迷うように閉じてを繰り返していた。それも数回繰り返すと、膝に乗せられた拳が血管が浮くほど握りしめられるのが見えた。
「おめでとう、ございます。」
「…え?」
予想もしていなかった祝の言葉に、口にするアルジェントの全く祝っているように見えない表情に、聞き間違いかと思って彼へ聞き返す。それを受けて、こちらにも音が聞こえるほど深く荒く呼吸したアルジェントは、次は私の顔を見て、下手くそな笑顔でハッキリと言った。
「ご婚約、おめでとうございます。」
私の頭は、彼の言葉が意味することを理解しようと活動していた。
“婚約”という単語が出たのは、カルタムが我が家を訪れたことが原因でまず間違いはないだろう。そこで一番に湧く疑問は、今の今まで彼が誤解し続けているのは何故か。
ジャニアが誤解や噂についてを私に教えてくれた時、私は父に偽りのない説明をすることで、噂は噂でしかなく婚約については断ったとハッキリと伝えている。名前を呼ぶようになったことで疑問を訴えてきたラングに対しても、婚約を断ったことは聞こえていた筈だとカルタムと私の会話の内容が真実であることを伝えたつもりだ。
それで、噂は正されたと思っていたのに。
「思っていただけ…ということね。」
少数に真実を伝えれば噂は自然と訂正されるだろうと過信していた自分に悔いる気持ちが湧くが、まずは目の前の彼の誤解を解くことからとアルジェントに向き直る。言うべき言葉は告げたとばかりに俯く彼に、私は端的にまず事実のみを告げた。
「その祝福は、まだ早いわ。」
「え?」
思わぬ言葉を告げられ、混乱から私が出した一言を、次はアルジェントが口にする。
「婚約なんて、していないもの。」
「ですが、公爵家のご子息が…」
「丁重に、お断りの言葉を直接お伝えしたわ。」
彼の瞳が揺らぐその姿に、彼の中で覚悟と共にあった“婚約”という情報が揺らいでいるのを感じて、私は彼が何か言う前に更に言葉を重ねる。事実を知っていても尚誤解したラングのように、カルタムが私の名を呼んだことで、婚約関係が良好だと思っている可能性があったからだ。
「友人として、名を呼び合うことをカルタム様と約束したの。もしも貴方の他に勘違いしている人が居たら、訂正して頂戴。」
「友、人…」
誤解は解けただろうか。私の顔と自身の拳の間くらいの宙へ視線を彷徨わせたアルジェントが、私からの言葉をゆっくりと理解しようとしていることが分かった。
しかし、パッと顔を上げたアルジェントの表情は困惑に染まっていて。次なる疑問を私にぶつけた。
「では、やっぱりラングさんと…!!」
「…どうして今、ラングの名前が出てくるの。」
首を傾げる私に、アルジェントはぐっと顔を歪める。苛立ちや疑心などの感情が読み取れる彼の表情に、私は改めて彼に問いかけた。この機会を逃せば、次はいつ彼とこうして話せるか私には分からなかったから。
下手をすれば、彼は何か私の想像もつかぬ誤解をしたまま遠くへ行ってしまう気がした。
「ねえアルジェント。今思ってること、どんなことでもいいの。話すことは難しいかしら。」
彷徨わせる彼の視線は何処へ定まることもなく、最後には私と目を合わせてくれた。




