認識
カルタムの姿が見えなくなり、公爵家の馬車が引かれる音も馬の蹄の音も聞こえ無くなって、ようやく私はくるりと屋敷の中へ体を向けた。
「どういうことですかリリ様!!」
「え、な…何が?」
開けた空間があるはずだった視界にはラングが行く手を阻むかのように立ち、何事かと首を傾げる私に勢いよく詰め寄る。
「あのご子息と、なんか急に仲良くなってませんか!?」
「そんなこと、無いと思うわ。」
「ありますよ!!なんで!?どうして!?だって部屋で話してたときは婚やんぐっ…」
「黙りなさい。」
リンダがラングの口を塞ぎ、そのまま後ろへ下がったことでラングと適度な距離を取ることができた。ラングも無理に抵抗することなくリンダに合わせて下がっているけれど、その表情は不満そうだ。
カルタムと二人で話したいからと部屋の中で使用人たちには離れるよう指示したものの、ラングは耳が良いので聞こえていたのだろう。その可能性を考えながらも退室させなかったのは、カルタムと私との間には男女の関係は無いことを示すためで。
「聞こえていたのならわかるでしょう?別に仲良くなったわけではないわ。」
ラングに向けて言葉をかけたけれど、リンダの手が彼の口から離れることはなく、私はそれを横目に他の者にサンルームの片付けをお願いした。
私の指示に速やかに従う使用人たちの背を見送ってから、私は自室へ向かおうと足を進める。そこで漸くラングの口は解放されたらしく、しかし騒げばリンダに遮られることを学んだラングは声を抑えて問いかける。
「でも、じゃあどうして名前を…?」
そこで私は、ラングが全て聞こえていたわけではないことを理解した。全て聞こえていたなら、今彼が口にした疑問は出ないはずだからだ。
私は廊下を進み、カルタムの言葉を思い出しながらラングの質問に答える。
「お願いされたのだもの。」
『友人として、これから関係を築くことはできないか。リリルフィア…と、名で呼びたいのだが。』
言われて気付いたのは、彼から私は“伯爵令嬢”としか呼ばれたことがないこと。
私は彼から願われて名で呼ぶようになったけれど、その時にカルタムが私を名で呼ぶようになるわけでもなかった。伯爵家の娘である私が、目上の者にあたる公爵子息を名で呼んでいるのに逆は“伯爵令嬢”となると、何故今まで気が付かなかったのかと自責の念に駆られるくらいには不敬だと叱られる行いだった。
カルタムの願いに“勿論だ”と頷こうとした私だったが、その前にも懸念が私の中に湧いた。婚約を断っておいて、公爵子息と友人関係を続けるのは図々しいにも程があるのではないか。
しかしこの考えもカルタムは予想していたようで、『友人関係も断られてしまえば、それこそハルバーティア伯爵家との関係性がその程度だったと周囲に思われてしまうな』と私の退路を断った。
「あら。よく考えると、友達としては仲良くなっているかもしれないわ。」
ラング「ほらあ!!」という声を聞きながら、私は考える。カルタムと友人となることで変わる、周囲への影響のことだ。
デビュタントでレイリアーネとの関係性は周知のものとなった。この上にカルタムと友人だと公言したところで、元々婚約の話としてカルタムとの関係は噂されていたのだから大きな問題にはならないだろう。
更には“情緒を考慮しなければ”、レイリアーネとカルタムの二人と友人関係であるということは、互いに周囲へ牽制する材料となる。下手に隠しているよりも、公言して堂々と共に過ごす方がこの先有益に思えた。
「お嬢様。」
リンダの声に意識が思考から戻され、私の部屋の前にジャニアが立っているのが見える。
既にこちらに気付いていた彼は、私と目があったことに気がつくと一礼して距離が縮まるのを待っていた。
「ジャニア、何かあったのかしら?」
「いえ。旦那様がパルケット公爵子息との茶会の様子をお嬢様から伺いたいと。」
先程その子息を見送ったばかりだ。通常なら、落ち着いてから私が父へ話したいとジャニアに繋ぎを求めるという流れだというのに、気になって仕方がなかったらしい。
疲れた表情のジャニアに、父が落ち着かない様子で仕事に手を付け手を離しと過ごしている姿を想像して苦笑いが漏れる。
「分かったわ。今からでも大丈夫なのかしら?」
「お嬢様さえ宜しければ、早いうちがこちらとしても助かります。結果は分かっているでしょうに、本人から聞かないと落ち着かないそうですので。」
息を吐くジャニアに、彼は私がどのような言葉をカルタムへ向けたのか分かっているようだった。準備するものも特に無いので、そのまま向かってしまおうとジャニアを先頭に行き先を父の元へ変更し、歩みを進める。
「そういえば、玄関に居た者たちから“婚約成立”との憶測が広まっていますが、その辺りのご説明もお願いしますね。」
振り向いたジャニアから告げられた内容に、移動しながらラングに説明したのは判断を間違えたか、とその場で留まって声を大きく説明しなかったことを後悔した。
それにしても、玄関から部屋へ向かう間に話が広まりジャニアにまで届くとは、いくらなんでも早すぎる。
「誰に監視させていたのかしら。」
玄関に居た顔ぶれを思い浮かべながら、私はジャニアへ目を向ける。しかし、彼は笑顔を浮かべるだけで前を向いてしまったので、答えが返ってくることは無かった。




