突く午後
口に広がる菓子の甘さとは裏腹に、どんよりと重いものが胸に広がっていく。サクリと焼き菓子を噛むも、咀嚼すればするほど飲み込むのが辛くなるような感覚に息を吐いた。
「リリー、聞く限りでは正しい判断だと思うぞ。アルジェントだって、自分のことは分かっているだろうし。」
リオンの慰めに頷くが、アルジェントへ向けた言葉によって彼の表情が曇ったのは事実。もっと上手く言えたら、違う言葉があったのではと考えていると、アルジェントの代わりに部屋の隅で控えていたコニスが遠慮がちに「お嬢様…」と声をかけてくる。
「アルさんと、喧嘩、したんですか…?」
親しげなその呼び方に少し頬が緩むのを感じながら、私は首を横に振る。
「喧嘩ではないの。私が、アルジェントの仕事を取り上げるようなことをしてしまったのよ。アルジェントを、悲しませてしまったの。」
「アルさん、お仕事したかったんですか…?」
眉を垂らすコニスに、私は曖昧に笑う。
泣きそうな顔をしていた。今にも涙を流しそうだったあの表情は、私が彼の代わりを呼んで休むように指示したから。けれどコニスの言うように“仕事がしたかったから”と理由を付けるには、思い出せる先程の彼の表情は、あまりにも悲しみに満ちていて。
私は、彼を傷つけたと思ってはいても、明確な理由までは答えが出せていないのだ。それでも、アルジェントがラングに反応を示し、様子が可笑しくなったのが私とラングが部屋で話をした夜からだということは分かっている。
「お父様、もうアルジェントを連れて私の部屋ヘ来るのはお辞めください。」
「どうして?アルジェントから嫌だと言われたわけでもないのに。」
「目上の者に対して意見を述べるのは簡単なことではありませんから。ですが彼の様子を見ていると、ラングや…私と関わるのは得策ではないように思うのです。」
私の言葉に、父は真っ直ぐ対面に座る私へ目を向ける。一瞬だけ身体が強張るほどの緊張を感じたけれど、瞬きほどのそれは勘違いだったかのように、父は柔らかく私へ笑みを向けた。
その表情に何を言われるかと思ったけれど、それよりも先に片手を上げて「…宜しいでしょうか。」と発言の許しを口にしたのはネルヴ。
「最近、兄さんの様子がおかしいのは俺も気になっていました。けど、それとリリルフィア様が兄さんと関わらないようにするのは話が別というか…」
「そうかしら。私とラングを気にしているようだから、私たちと会わなければ、アルジェントも心穏やかに過ごせると思うわ。」
「いいえ。きっと悪化します。」
きっぱりと、ネルヴは私の意見に反対を示した。首を傾げる私だったけれど、辺りを見回せば父もリオンもリンダもネルヴの言葉に頷いている。
会っては良くない、会わなくても更に悪くなるとネルヴが言うのならば、私はどうしろというのか。
「最近は、目も合わないのよ。そもそもアルジェントは剣を扱う兵の一人なのだから、お父様と共に私に会いに来なくても良い筈よ。」
「だから、それは兄さんがしたくてしているってことです。」
「辛そうな顔をしているのに?」
「リリルフィア様と居たくないなら、俺とコニスと交代するときに落ち込んだりしません!!」
話が振り出しに戻った気分だった。
アルジェントが落ち込む理由が私にはまだ分からない。眉を寄せる私と、ネルヴは何か堪えるような表情で目を合わせている。歪んだ表情はとても兄に似ていて、先程背を向けた彼が思い出された。
私は、どうすればよかったのだろう。
いや、本当は…
「リリルフィア、もう分かってるんだろう?」
穏やかな父の声が、私の心を見透かすように鼓膜を打った。そちらへ向けば、ソーサーへ戻したカップへ視線を落とした父が言葉を続ける。
「気付いたことを、無かったことにはできない。俺だってそう。リリルフィアがどれだけ皆を大切にしているか、俺たち血の繋がった家族だけじゃなく、使用人たちとも対等に接するリリルフィアを見ていたら、嫌でも気付いてしまう。」
何を、と思う前に頭で警鐘が鳴り響く。
気付かれては、言われてはならない。父の言葉を聞いてはならない。聞いてしまえば、戻れない。
それでも父は、私と目を合わせて言った。
「アルジェントが、特別なんだろう?」
「そんなこと…」と否定の言葉を口にしても、父は困ったと言わんばかりの顔をするだけで、言葉を撤回してはくれなかった。
目を見開いているのはネルヴとコニスだけ。
それが、私がどれだけ隠せていなかったのかを教えてくれた。




