脱兎
ラングと賑やかな再会からの脅は…推薦雇用から1週間、諸々の手続きと連絡を終えたことで晴れてラングはハルバーティア伯爵家で雇うことになった。
『雇用主はリリ様で!!』と謎の拘りによって、父から受け取っている私の多過ぎて使い所の見つからなかったお小遣いから、彼の賃金は支払われることになっている。
最初は『リリルフィアのお小遣いはリリルフィアの好きな物を買う為にあるんだよ。』と父が渋っていたけれど、そこは私も私の為に彼を雇うのですからと譲らなかった。
「ということで、私付きになったラングよ。」
まずは私の身の回りの世話をしてくれるリンダに紹介することにした。と言っても、2年前リンダは既に私付きの侍女だったのでラングのことは知っている。しかも彼が去る前に会った時も、先日の賑やかな再会の時にも側に控えていたので、今更紹介も何もない。
「よろしくです!リンダ姐さん!!あ、俺のことはラングのままでいいですよ!!」
「ではラング。次にその呼び方をしたら、お嬢様の目の前から消して差し上げます。」
リンダの低い声に「まだリリ様と居たいですごめんなさい!!」とラングは震えて謝っていた。流石はリンダ、許容できない事はキッチリ躾けられそうで何よりだわ。
その時コンコンと控えめなノックが部屋に響いた。この弱々しさは…とリンダと顔を見合わせて彼女は扉へ、私はラングに向き直る。
「丁度いいわ、ついでにアルジェントにも挨拶しておきましょう。」
「アルジェント…さん?」
リンダが扉を開くと、予想通り立っていたのはアルジェント。
もうかなり馴染んできた一礼をした彼は、部屋の中にいるオレンジ色の髪のラングを目にすると顔を強張らせる。私が「入って頂戴。」と促すと足を進めるものの、ラングと私が居る部屋の窓側には近寄らずに扉の前で止まった。
「どうかしたの?」
「は、はい…お嬢様宛のお手紙と、アフタヌーンティーの焼き菓子の希望を聞いてくるようにと…」
手紙の束はリンダへ渡る。用件を話す間もラングはキラキラと興味津々な様子で、そんな視線を浴びるのだからアルジェントは居心地悪そうだ。
アフタヌーンティーの方は「フルーツを使ったアッサリしたものが出来ればお願いしたいわ。」と頼んだところでラングが「あー!!」と声を上げた。驚いたのは私だけではなくアルジェントもで、寧ろアルジェントの方が肩が大きく揺れていた気がする。
「リリ様!!俺の屋敷にオレンジ沢山あるんです!!」
「そう。それで?」
「あげます!!」
簡潔な答えに思わず苦笑い。前からそうだけれど、ラングは思った時にそのまま言葉を出している感じがする。だから素直でそこが長所といえば長所なのだけれど、貴族としては苦労するだろうなと思う。
「貰えるのなら、調理場で何か作ってもらいましょう。ラング、後で…」
「取ってきますね!!」
時間が空いたときに運んでくれればと思ったのに、ラングは部屋を飛び出してしまった。
頭を押さえ、リンダは「…ジャニア様と、ジルと、警備の…」とラングの行動を報告する相手を整理しているようだった。ジャニアは使用人の管理をしているから分かるとして、ジルは御者なのに何故。
「お嬢様…」
「ああ、ごめんなさいね。さっきの彼、私付きの騎士でラングというの。紹介しようと思ったのだけれど、また会ったら挨拶して頂戴。」
屋敷へオレンジを取りに行って、調理場へ運んで、戻ってくるまでに時間はそれなりにかかるだろう。その間アルジェントの時間を拘束しておくのは申し訳ないので、この場は終わりにしようと促す。
アルジェントは素直に頷いて、しかしその場から動くことなく私と目を合わせた。
「り、リリ様と、呼ばれるほど、親しくなられたのですか?」
その質問に、一瞬思考が止まってしまった。
アルジェントにそんなことを問われるとは思っていなかったのと、そういえば私を『リリ』と呼ぶのはラングだけだなと思い至ったのと、気付けば彼は私をそう呼んでいたので深い意味はきっと無いだろうということと。
どれを先に言うべきか迷っているうちに、アルジェントは何故か顔を赤くしてしまう。
「あ、アルジェント…」
「わわわ忘れてください!!失礼します!!」
「え!?アルジェント!?」
深く頭を下げたアルジェントは先程のラング並の速さで部屋を出ていってしまった。
わけが分からず「何なの…?」と言葉が漏れる。
先程まで部屋の隅から動かなかったリンダがこちらへ歩み寄り、私の腰掛ける椅子の隣に立った。
「お嬢様は、お気になさらず。お嬢様の話を聞かずに動くあの二人が悪いですから。」
「…そうなの?」
ラングはまあ、そのようだけれど。アルジェントの方は私が何かしてしまった気がしてならない。けれどリンダが「そうです。そうでなくとも、あれはアルジェント自身の問題ですから。」と言い切るので、深く考えないことにした。