驚き
隠れながら進んでいた私達だけれど、父たちの居る部屋から離れていくと廊下を行き交う人たちも居なくなり。
ティサーナがいると聞いている部屋にたどり着く時には周囲に人は居なかった。
「見張り、誰も居ないですね?」
「予期せぬ好機と言うべきだろう。」
ラングが首を傾げるのも無理はない。
ティサーナが出ないように、そして我々のようなティサーナを連れ出そうとする者を阻むための見張りが居ることを予想してはいたのだ。
その場合はティサーナが攫われたのではなく“連れてこられた”という名目を利用して、父親であるユグルド侯爵が“迎えに来た”と言い張るつもりだった。
人通りの無い廊下を身を隠しながら確認し、まずはラングが素早く扉へ接近する。その身のこなしは騎士というより隠密に近く、最低限の物音しか立てていない。ゆっくりと扉を開け、隙間から中を見たラングはそこでようやく私達を手招いた。
「…ユグルド侯爵令嬢以外、誰もいません!」
「ティサーナ!!」
ラングの言葉に、いてもたってもいられなかったのだろう。開かれた扉に飛び込むようにして、ユグルド侯爵は室内に足を進めた。
遅れて私も入室すると、“饗し”と称すべき茶や菓子の置かれたテーブルを前に座ったティサーナが、ユグルド侯爵の抱擁を受けている。
「お父様…!」
「ティサーナ、無事か?何もされていないか?」
ユグルド侯爵の安否確認に、くしゃりと表情を歪めたティサーナが見せたのは安堵。
ユグルド侯爵からの抱擁を自身も腕を背に回して受け入れ、肩口から見えた彼女の瞳は潤んでいた。
侍女と離され、一人で連れてこられ、不安だったに違いない。しかし、少しの間ユグルド侯爵と抱き合ったティサーナはハッと気が付いたように父親の肩を押して「お父様!それよりも!」と声を上げる。
「アルジェント様は!?私よりも彼を…!」
「お前の身の安全が優先に決まっているだろう!」
「ですが!!」
自身よりも他者を思う心は、こんな時でも彼女は愛されるべき女性なのだと納得させられる。
今にもユグルド侯爵を押し退けてアルジェントを助けようとこの場から動きそうなティサーナに、私は声をかけた。
「ティサーナ様、ユグルド侯爵の言うとおり貴女の安全が最優先ですわ。」
「リリルフィア様!」
「アルジェントのもとへは、父とガーライル伯爵が向かいましたのでご安心を。」
口角を上げて彼女を安心させるために言葉を紡ぐけれど、それでも彼女の不安は取り去れないようだ。その隣で娘が自身よりも他者を心配する姿を、ユグルド侯爵は気に入らないと言わんばかりの表情で見守っている。
心配の一方通行というべきか。ユグルド侯爵はティサーナを心配してこの場にいるというのに、ティサーナはアルジェントを心配して、この場にユグルド侯爵が来てくれたことに対しての反応が鈍いのだから仕方がないだろう。
「なんだか旦那様とリリ様を見ているみたいですねえ!」
「……何も言わないわよ。」
否定しない。けれど親不孝者と言われようが、大切な者を守りたい気持ちは自身の身を慮ることを忘れさせてしまうのだ。だから私はティサーナの気持ちが少し分かるような気がするし、彼女が望んでいる言葉を齎すことができる。
「ユグルド侯爵、ティサーナ様、このままお二人を安全な場所へお送りしたいのですが…」
「そんな、私は…!!」
私の言葉を最後まで聞かずに、ティサーナは首を横に振って逃げることを拒否する。
それを肯定するように、私は頷いて言葉を続けた。
「アルジェントをお助け頂くために動いてくださったことは承知しております。ですのでこれ以上巻き込むわけにはと言いたいところですが、ティサーナ様にはどうか一緒に父の所…アルジェントのもとへ行ってほしいのです。」
正確にはソートン侯爵も居るのだけれど、ティサーナにはアルジェントの名前を出す方が効果的のようだ。騙すような形であったとしても、私はティサーナをあの場へ連れて行くと決めている。
一つの思惑のため、これは父と相談して決めたことではないけれど。
「勿論です!助けてくださった恩義を忘れるわけには参りません!!」
「ありがとうございます。」
私と共にアルジェントの居るところへ行くことを決めてしまったティサーナを、ユグルド侯爵は複雑な表情で見守っていた。しかし短く息を吐いた侯爵は次には「何時見張りが戻るか分からない。動くのなら今の内にすべきだろう。」と前向きに声をかけてくださった。
「遠回りに父たちのいる部屋へ向かいます。そうすればこの部屋へ見張りが戻る頃に、私達は安全に移動し終わっているでしょうから。」
私の言葉に頷いて、ティサーナは軽く身なりを整え立ち上がる。
安全確保のためにラングが先に部屋から出ようとしたその時。
「あ、やっぱり!」
明るい声と表情に身を固くする。
部屋を見回してから私へ向けられた視線は更に笑顔を見せ、堂々と彼は部屋へ入ってきた。ラングは私に行動の指示を求めるよう視線を向けてくるけれど、今彼を攻撃すべきではないことは明白だ。
「父上の部屋にはいけなかったけど、きっとここに来ると思ってたんだ!リリルフィア嬢!」
弾んだその声に私は警戒してしまう。
私がこの場に来ることを予想して来たらしい彼の目的は分からない。ただ、私は彼がソートン侯爵家の者であることを知っているので警戒を解くことはできない。
「…私に、何か?」
努めて冷静に、私はソートン侯爵家の次男であるジェバックを見つめ返した。




