動き
「なんてことだ…」
ギシリと大人の男性によって体重をかけられた椅子は軋む。
侍女は使用人に支えられて退室した。
その際見せた泣き崩れ謝罪ばかりを繰り返す姿にユグルド侯爵は責める気にはなれなかったようで、行き場の無い怒りと焦りが見て取れた。
「リリルフィア、アルジェントが手紙を書いたと思う?」
「本人に確かめるまで私の希望的観測でしかありませんが。通常であれば、疑いをかけられた者が手紙を書かせてもらえることこそ可笑しいですわ。その時点で手紙の送り主が正しくアルジェントであったとしても、“書かされたのでは”と私なら考えます。」
頷く父とガーライル伯爵も同じ意見のようだ。
それに侍女が話してくれた手紙の内容は、あまりにもアルジェント本人の人柄とかけ離れている。それをアルジェントが書いていない証拠として上げることはできないだろうが、私達が本当の手紙の送り主を見つけるのなら、目を曇らせない一助となるだろう。
「アルジェントは関係のない方に助けを求めるような子ではありませんわ。」
「…それは、本当かい?」
私の言葉に落とされた問いかけは、焦燥した様子のユグルド侯爵のものだった。
娘が誰ともしれぬ輩に連れて行かれたのだ。疑心暗鬼に陥った様子の侯爵は私に光の見えない瞳を向けて、低く問う。
「令嬢が銀髪の彼に目をかけているのはよく分かった。だからこそ言わせてもらうが、それはハルバーティア伯爵家の兵に罪が無いと思いたいだけでは無いか?」
「ユグルド侯爵、それはあまりにも…」
「ガーライル伯爵、正しいものを見なければ娘が危ないかもしれないんだ。誰に、何故、どんな目的で、今からどうなるのか、情報は多いが確定したものはなにも無い!!」
ギルトラウからの言伝も警告のようなもので、もう起きてしまったことに対しての効力は無いとユグルド侯爵は考えて居られるようだ。
「お父様、先程同行を求められた場所はどこですか?」
「リリルフィア、今はそんな」
「そこに、ソートン侯爵家の方々が居ると考えて間違いないでしょう。催しは国王陛下の主催、下手に動けないはずですもの」
全ては仮定の話。
私の頭で組み上げられただけの、確認できていない事柄が多くある考察だ。けれど、事態が動いてしまった以上小さな事柄でもいいから口にすべきだと思った。
剣呑な光を宿したユグルド侯爵の瞳は、娘を害した相手を見据えて空を睨んでいる。それがこちらに向かうかもしれないことを承知で、私は口を開いた。
「恐らくソートン侯爵家が画策したことで間違いありません。兵の負傷も、手紙も、全て。」
「ハルバーティア伯爵令嬢、だからそれは確定では…」
「確認のために、動くことができます。兵の負傷はアルジェントの行動から、手紙は筆跡から。ソートン侯爵家の方々が動いたことだと証明できましょう。」
催しの最終日である今日を利用したソートン侯爵家の企み。昨日の一件でソートン侯爵が我々を敵視したことが今回の件の動機だとすれば、実行するまでの時間も短く抜けている部分も多い。
父の嫌疑を晴らすことも、ティサーナを救出してアルジェントへの疑いを晴らすことも、十分に可能だと思えた。
「ティサーナ様が連れて行かれたことを報せるために、侍女の方は残されたのだと私は思いますわ。そして、彼女が今回の件を解決出来る存在だと、ソートン侯爵家の方々は思わなかったようです。」
侍女の話しには隠している部分があるようだった。
『手紙を頂いた』と彼女は言ったけれど、一体何時なのか。
アルジェントは試合を終えてから客席に来ていないことを考えると、侍女がアルジェントのいるであろう場所に向かったと考えるのが自然だった。
それにアルジェントが書いていないとなると、侍女は誰から手紙を受け取ったのか。
「まず、侍女の方が落ち着かれたら、よく話を聞いてみるべきではないでしょうか。アルジェントが侍女の方と接触するには、少々不可解な点が多く感じます。」
私は全体を見回して、最後にユグルド侯爵と目を合わせる。怒りに染まっていた瞳は未だ険しさがあったけれど、次の瞬間には深い溜息と共に瞳はそらされる。
「動けないよりも、良いとしよう。」
それはアルジェントへの疑いは辞めないとも聞こえた。それでもいい。最後にユグルド侯爵が正しい答えを見つけられるのならば。
私はアルジェントを信じ、ティサーナの無事の為に考えられるだけ考えて言葉にするだけだ。
「一つ、宜しいでしょうか。」
低い声に導かれて目を向ければ、発言の許可を求めるように軽く手を上げた黒曜の瞳の彼。
「何か。」
「ハルバーティア伯爵令嬢へお伝えすることを、今言うべきだと思いました。」
独特な言い回しをしてから、彼は私に目を向けて口を開いた。
「ハルバーティア伯爵令嬢に申し上げます。およそ3年前に捕らえられたかつての公爵の意思は、とある貴族家に継がれました。貴女様であれば、これでお分かりになられるでしょう。」
“かつての公爵の意思”
それはどの辺りの、どれを指しているのだろうか。
この場で言う意味を考えれば解ることを不必要に考えるのは、彼の言葉をそのまま受け入れたくないからか。
低く感情の乗っていない言葉は続けられた。
「私がするのは警告ではありません。かつて“三度”の謀りを見抜いた貴女様へ、私は意志を継いだ貴族家との関わりはないことをお伝えしたかったのです。」
深く、頭が下げられた。
今言う意味を考えて、彼の言葉の意味を考えて。
そうしている内に、彼はさっさと退室してしまった。まるでこれを言いたかったがためだけにこの場に居たかのように。




