砕き
ティサーナの安否確認は適切に使用人へ指示が出されたことだろう。指示した本人は落ち着かない様子で椅子の肘掛けを指先で叩き、コン、コン、コン、と部屋に響く音が気になろうとも、誰も宥めることはしなかった。
こういう時に文明の発展が私の前の人生と異なることが悔やまれる。競技場からユグルド侯爵家が所有するタウンハウスまで、ハルバーティア伯爵家の屋敷よりは近くとも距離はそれなりにあるのだ。
「はあ…」
重い息を侯爵は吐いた。険しい表情は変わらないけれど、吐かれた息に胸の蟠りでも混ざっていたかのように、私達を見回したユグルド侯爵は「いや、申し訳ない。」とよく通る声で言った。
「フィルゼント、ティサーナのことは一度置いておいて話を進めてくれ。私が居て話せないようであれば、席も外そう。」
「…宜しいのですか?」
「待つだけは気が滅入る。」
思い沈黙がティサーナの無事を確認できるまで続くと考えれば、ユグルド侯爵の言葉は有り難いものだった。
父は一つ頷いてから、隣にいる私へ目を向ける。
何か言われるかと姿勢を正したけれど、一向に父の口が開かれることはない。首を傾げる私の真似をするように、父も首を傾げると私の頭を一撫でした。
「何か言いたそうだったから。気になることでもあるんだろう?」
何かあれば言っていいということか。
究極的に私を甘やかす父は、私を娘として溺愛こそするけれど、けして子供扱いはしない。耳目を塞いでキレイなものだけを見せるのではなく、こうして私が何を見聞きして何を感じるのかを確認しながら見守ってくれる。
私は父の好意に甘え、言葉を紡ぐために息を吸った。
思えば、父とギルトラウは似ているかもしれない。ザラン騎士経由の言伝を回りくどい言い回しに変える程度に、彼は私を普通の令嬢扱いしないから。
「受け取った伝言の“意味”を考えておりました。“銀の剣を偽り青き瞳を謀らん”というのは、間違っていてほしい気持ちもありますが、ユグルド侯爵のお考えの通りだと私も思います。」
「“金糸を切らんとする者”というのは、ハルバーティア伯爵家を邪魔する、という意味ではないのか。」
ガーライル伯爵の問いかけに、私は頷くことができなかった。
確かに“金糸”はハルバーティア伯爵家の髪色を指していると思っていた。けれど、それではアルジェントを指しているだろう“銀の剣”も髪色を指していることを考えれば“銀糸”としてもいいはず。
私はガーライル伯爵と目を合わせて、口を開く。
こうは考えられないだろうか。
「“銀の剣”を銀髪の兵と捉えるのなら、“金糸”も我が家に関する何かと考えるほうが自然です。私はハルバーティア伯爵家が有する糸…関係や絆を指していると思いますわ。」
「それを断ち切ろうとしている…なるほど、意味が通じるな。ソートン侯爵家の狙いということか。」
納得したように頷くガーライル伯爵。
そこで、ピタリと伯爵の動きが止まった。何かに気がついたようなその仕草に、周りも注目する。伯爵は私を見つめ、そして私の後ろで控えているだろう使用人たち、それと部屋の隅に居るザラン騎士を見た。
「どうしたの?マック。」
様子の変わったガーライル伯爵に、父は声をかける。ぎこちない動きで父を見た伯爵は、もう一度視線を父の隣にいる私に戻した。
何かを問うようなその瞳だけれど、伯爵が何に気付いたのか私にはわからない。出来るのは、言葉を待つように見返すだけだ。
「可笑しな想像だと笑ってくれて構わない。」
私もそうだと思いたいから。
そう続けたガーライル伯爵は、武人らしくなく唇を噛んで恐れを堪えているように見えた。いや、想像が外れてほしいと懇願するような表情にも見える。
「ハルバーティア伯爵家が有する“糸”で、侯爵が断ち切りたいものとはなんだと考えた。フィルは顔が広い。ハルバーティア伯爵家を追い落とすのなら、切るべき糸は多いだろう。しかし、言伝を考えるとそれはリリルフィア嬢に偏ったもののように思える。」
私の持っている“糸”。
多くの出会いで結ばれたそれは、ハルバーティア伯爵家自体に直接影響を及ぼすものではないだろうが、細いと嘲笑えるものではな筈だ。
ガーライル伯爵が言いたいのはきっと、その“糸”が切られることをギルトラウが私へ伝えようとするほど事態が危うくなっているのではということ。
そしてそれは、言伝の後半が意味することにも繋がってくることに気づいたのだろう。
「いや、しかし…リリルフィア嬢のような少女に…」
自身の娘メイベルよりも一つとはいえ幼い私。
ガーライル伯爵がメイベルを大切に思う気持ちは、そのまま私を純粋で年相応な少女という印象にしているようだった。
それはガーライル伯爵の願望もあるのだろうか。先程年相応の子供とは違う振る舞いを見せた私への驚きの表情を思い出して、そんなことを考えつつ私はガーライル伯爵の思惑を打ち砕くように言葉を紡いだ。
「ガーライル伯爵、クラヴェルツ公爵が憂いておられるのはきっと、貴方様のお考えのとおりですわ。」
それは国の貴族として反する思考。
それを知らせるため、今起きようとしている事態を伝えるため、“数多の剣を海に乗せ、我らの華を散らさんとする者”という言葉がザラン騎士から私たちへ伝えられたのだろう。




