互いの心は分からない
ドレスを翻して走る。
なんて身軽なことができていたら、夢中で駆けていくティサーナに追いつくこともできたかもしれない。
しかしながら、リリルフィアとしての人生の中で走るという経験は殆どないのが現実。ダンスや作法で使う筋肉とは別の場所が悲鳴を上げてしまっていた。いきなり走ったものだから、足首に違和感もある。
「ティサーナ様は、どちらへ…」
「向かって左の通路から出られたようです、リリルフィア様。」
咄嗟に私についてくるよう命じたリンダとネルヴだったけれど、ネルヴはいきなり私に着いてくることになったにもかかわらず、私よりも先にティサーナの行方を追ってくれて場所をある程度特定できたらすぐに戻ってきた。
ティサーナもそれほど遠くまでは離れていないようだ。
催しも終わって誰もが帰路につく時間。すれ違う人は居らず、ネルヴに教えてもらった通り左にあった通路からは開けた場所に出た。ネルヴに礼を言えば、首を横に振ってから競技場の中へ入っていった。
空き地のようなその場所。木々が植えられ、暑い日には良い憩いの場となりそうな隅の一角に荒くなった呼吸に方を揺らしているティサーナを見つけた。
「ティサーナ様…」
こちらに背を向けて、一本の木に寄り添うようにして息を整えている彼女。
表情の伺えなかった彼女が振り向く瞬間、自身の目尻を拭ったのを私は見逃さなかった。
「申し訳ありません、このようなことで取り乱して。」
「“このようなこと”ではないから、お父君に意見されたので御座いましょう?」
ティサーナのことも考えず、安易に体調だけを案じて明日は休むよう提案したことは悔やまれる。心配からだと言い訳すれば聞こえはいいけれど、体調を無視しても見たいと思うほど、彼女にとって明日の試合は大切なことなのだろう。
それを家族に否定されれば、傷付きもする。
「父と私とでは考えが違うのです。きっと明日は、来ることができないでしょう。父は…外聞を気にする方ですので。」
ティサーナの言葉に先程のユグルド侯爵が思い出される。眉を寄せ、駆けていくティサーナから目を逸らし、口元を強張らせているその姿は、とても外聞を気にして居るだけとは思えなかった。
ユグルド侯爵のその姿を見たからこそ私はティサーナを追ってきた。令嬢として、友人として、彼女の心に沿うことが大切だとは分かっているが、どうしてもこれだけは伝えたい。
物語では誰の言葉も無く、涙を流して傷ついた中、一人で行く先を決めてしまった彼女に。
「侯爵とティサーナ様のお考えは、違って当然かと。」
私に心配をかけまいとして釣り上げられていた口角は、力を無くして横へ引き結ばれる。真っ直ぐこちらを見つめる銀の瞳は、私の言葉を待っているようだった。
微かに風を感じられる外の空気の中で、私はゆっくりと慎重に思考を巡らせる。
家族間に手を出しすぎるのは良くないことは百も承知。しかしこのまま何もせずユグルド侯爵とティサーナの仲が悪くなるかもしれないのを黙って見ているなんて、私の塵同然に小さい良心が痛むのだ。
それは、私と父の仲がこれ以上無い程に良好だからというのも関係していて。
「お父様は私が何度言っても、未だに膝へ私を乗せようとしますの。」
突拍子もないハルバーティア伯爵家の恥ずかしい日常の暴露に、ティサーナは目を瞬かせた。
後ろでは何やら咳払いが聞こえ、視界に収める程度に振り向けばリンダが軽く首を横に振っている。いくら父が娘を溺愛していようとも、一応公の場では一般的な距離感に見えるようにしていため、そのイメージを崩すなということだろう。
私としても例として挙げる話はこれ一つだけにしたいので、リンダに頷いて返した。
「私が迷惑に思っても、どれだけ逃げようともがいても、歳を考えてほしいと訴えても、お父様にとって私は何時までも子供で、愛情を注ぐ対象で、囲ってでも護りたい娘なのだと実感させられましたわ。」
暖かな声が、柔らかく細められる眦が、髪を梳く指先が、私への愛情で溢れている。
対立するその時にも、父はいつも私のことを考えていて。叱るその言葉には私への心配が詰まっていることを知っている。
我が家ほど過剰ではないとしても、ユグルド侯爵だって。
「先程の侯爵は、私にはティサーナ様を案じるあまり強い言葉が出てしまったように思えました。」
ティサーナはハッとしたように自身が来た方向を振り向いた。そこには誰もいないけれど、彼女には背を向けてしまったユグルド侯爵の姿が浮かんでいるに違いない。
微かに聞こえたのは「わたしは…」と弱々しく震えた声。
「分かってくれないからと、お父様のことを分かろうともせずに…」
「親と子は血は繋がれど、違う人間ですもの。考えが違うのは当然で、それを解決する方法なんていくらでもありますわ。」
気配を感じて、ティサーナも目を向けている出入り口へ目を向ける。顔を出したのはネルヴで、彼は進路を譲るようにして脇へ寄った。
次に姿を表したのはネルヴが呼んできてくれたであろうユグルド侯爵。その後ろに続いて父が、ヒラリと一度だけ手を振る。
「お、父様…」
気不味さから一歩後退するティサーナの手を取って、私は彼女へ体を寄せた。
どちらが正しいとかはわからないけれど、親子の仲が違えてしまうことが悲しいことなのはわかる。私はそうならないように、ティサーナが逃げてしまわないよう後ろに回って軽く背を押した。
お読み頂きありがとうございます。
ほぼ毎日の更新を目指しています本作も、300話を超えました。応援してくださっている皆様、『応援してないけど取り敢えず読んでやってるぜ』という皆様、『毎日できるか監視してやってんだよ喜べ』という皆様、等しく読者の皆様のお陰でこの作品を続けることが出来ていると思っています。
200話の後書きを見返しても書いておりますが、脱線しても暴走しても、書きたいことを書いてここまでやってきました。私生活とのバランスが上手く取れず、皆様には更新をお待たせする時もあり大変ご迷惑をおかけしておりますが、これからも完結まで全力で書き上げていきたいと思っておりますので、宜しくお付き合いください。
誤字脱字報告、大変助けられております。
自分では気づかない部分も読者様が見つけてくださることもそうですが、時折自分には考えの及ばない表現を書いてくださっている方も居られ、勉強になっていることも。これからも『おら、ここ直せや。』とか『また間違えてんじゃねえかあ!』とお教えくださると助かります。
感想もお待ちしております。
適切にお返事できているか怪しいですが、作者自身の全力でご返答しているつもりですので、温く軽く、読み書きいただければと思います。
これからもサブのつもりなのに明らかに登場の多いラングを含め、『転生した先で悲劇のヒーロー拾いました。』を宜しくお願い致します。




