止まらない
二日目の試合を終え観客は各々席を立って競技場の出入口へ流れていく。
大河の流れるさまを見ているようなそれ、私や父は雑談を交えながらそれが途切れるときを待っていた。しかし昨日よりも盛り上がりを見せる二日目は心做しか観客も多い。次々に押され流され進んでいる人々の後ろにはまた人がいて、一向に減っていない。
「明日は更に多いのでしょうか。」
顔色悪く呟いたティサーナは人が多い場所には慣れておらず、休憩のために席を外すも不運な遭遇によって結局気分を晴らすことはできなかった。
明日のことを考えてか、私の隣で口元を押さえる彼女が心配ではある。しかし、特に義務ではないこの催しの観覧を明日もするのだろうか。
「ティサーナ様…結果は後日分かることですし、お明日はお休みになられては?」
「もっと言ってやってくださいなリリルフィア嬢。この子ったら私達が止めても最後まで見るのですもの。明日は屋敷でゆっくりなさい。」
「い、いいえ!ヒュランは負けてしまいましたが、本日勝ち上がられた方々がどのような試合をなさるのか見届けたいのです!それに…」
ティサーナの言葉は続かず、口元を押さえて俯いた。その先の言葉が分からない私達は互いに顔を見合わせて首を傾げるものの、そんな中で一人眉を寄せて思案顔をしている少女が一人。
ティサーナを見て、私を見て、扇の下に目から下の表情を隠しているメイベルは、私の視線に気づいたのか目元を和らげた。
「どうかなさいまして?」
「それはこちらのセリフですわ、メイベル。何かお考えのようでしたけれど。」
私の質問にメイベルは首を横に振って、何でもないと示す。
特に言及するつもりもなかったけれど、何も無いにしては視線はティサーナへ向いていて。私を挟んで座って特に会話もなかった二人がだが、仲を深めるようなことがなければ何か凝りの残るような出来事もなかったはずだ。
気になって見つめ続ける私に、メイベルは観念したのか私に一歩近づいて囁いた。
「無理をしてでも観たい試合があるのでしょうね、って思っただけよ。」
本日行われた試合によって、“穰喚の儀”の最終日である明日の参加者は二十名以下に絞られた。
その中には喜ばしいことにラングも、試合はタイミングが合わず見られなかったけれどアルジェントも含まれていて、知った顔ぶれだと他にもザラン騎士や公爵家の推薦で参加している彼も。
メイベルが何を考えたのかは分かっている。気分の優れないティサーナが、それでも明日見たいと思っている試合。先程、自身の主張の最後に“それに”と言いかけて口を閉ざした先にあるだろう言葉。
「何かあっては遅いだろう?大人しく明日は休むこと。私からの命令だ。」
「そんな!お父様!」
「結果だけ知ればいいじゃないか。直接見ずとも試合の様子は他の方々から聞けばいい。」
静観を貫いていたユグルド侯爵もティサーナが心配だったのだろう。
“命令”と言われては娘であろうと貴族家に連なる者として逆らうわけにはいかないその言葉に、ティサーナは表情を歪めて俯いた。
反対した手前言葉をかけることは憚られるけれど、その落ち込む様子はそんなに見たかったのだな、と
彼女の細やかで柔らかな思いが滲み出ている。
そんな娘の姿に、父であるユグルド侯爵は深く息を吐いて言葉を溢した。
「侯爵家の令嬢であることを考えなさい。気分が優れないまま観戦しているなんて、周りからどう邪推されるか。」
「旦那様…」
侯爵夫人が「それ以上は…」と侯爵を止めようとするが、侯爵は前々から言いたかったのだろう。溜め息を吐くように続いた言葉は独り言のように誰の返答も必要としていないかのようだった。
「どうして分かってくれないんだ。」
ーー「どうして分かってくれないんだ。」ーー
私の耳に届いたそれは、聞いたことはないけれど確かに私の記憶にあって。目で追ったそれの後に続く内容が頭に巡る。
全く知らない催しの、こんな場所で行われる会話ではなかった。
どうして“今”?
「分かってくれないのはお父様です!」
ーー「分かってくれないのはお父様です!!」ーー
頁が捲られる。
前の人生で読んだ彼女の描写と、今の私が目にしていたティサーナは、性格は変わらないけれど持っている感情は少しずつ違うはずなのに。
どうして、その言葉たちが聞こえてくるの?
「私は!自分の心に正直でありたいだけなのに!」
ーー「私は!自分の心に正直でありたいだけなのに!」ーー
目を見開いた侯爵の姿、その傍らで口元を押さえて顔色を悪くしている侯爵夫人。
周りにいる者たちは口を挟むことなどできず、見守るしかできなかった。私は、今まで間近で聞こえていたはずの言葉たちや見るもの全てが、何処か遠くで起きていることのように思えた。
ティサーナが思いをぶつけた今。ゆっくりと見える景色の中で、背すじの伸びたその体がくるりと私達に背を向ける。
ーー飛び出したティサーナは宛もなく駆けた。思いの伝わらない無力さから、変わらない現実から逃げるように。潤む視界をそのままに、彼女は自らの心が一点に向くその時まで行き着いた庭園で泣き続けた。ーー
状況が違う。
しかし、どうしてか私の知る物語と同じ描写になっている現在を何もせず見ていることなどできなくて。
物語では描かれていない、ティサーナが背を向けたユグルド侯爵の表情を見なかったことにはできなくて。
「リンダ!ネルヴ!一緒についてきて!!」
私は背を向け駆けるティサーナを追った。




