風の揺らぐ音
「どうでしょう、テングレー殿ほどの実力があれば我が家でもやっていけるはず。」
「…ヒュラン…騎士についての権限を私は持ち合わせておりません。」
「でしたらお父君…侯爵へお伝えいただけますかな。テングレー殿にも良き道となりましょうぞ。」
私の行く先を塞いで、柔らかだけれど強引な物言いをするお方に、扇の下で笑顔を貼り付けるだけで精一杯。
こんなことなら、どなたかとご一緒すれば良かった。競技場の熱気に当てられて火照った体を冷やそうと少し客席から離れて外に出ただけだったというのに。
大きな体で私の前に立つ御人は、同じ侯爵家でもガーライル伯爵家のように騎士や兵を多く育てて国に貢献しているお方だと教わっている。
この度の催しでも良い人材は自家で育てようとなさっているのだと父からも聞いていた。それ自体は国の防衛として望ましいのだろうけれど、父ではなく私にお話を持ってくることでもわかるように、少し礼儀に欠けた方としても名が知れ渡っているのが問題で。
「我が家の者たちについて、私から父へ何かを進言することはございません。お引取りください。」
「そこをなんとか!いや、それではせめて共に侯爵の元へ行きましょう!そしてご令嬢から少し私と話したということを口添えしていただければ!」
「…ご案内は致します。ですからどうか、ご自身の言葉で父にお伝え下さい。」
家のことは父に全ての権限がある。私に言われても困る。
そんな思いは御人の不機嫌そうな表情で伝わらなかったことが容易に分かってしまった。何時もなら私の前に出て守ってくれるヒュランも居ない。侍女は身分が弱く、前に出るのは相手の怒りを買うだけ。
「下手に出ていても仕方がありませんかな。剣を嗜み程度にしか知らぬ家では、才能が潰れると申しているのです。戦線に出てこそ、経験してこそ、騎士は成長するのです。お分かりいただけませんか、剣も持ったことのない女性は。」
湧き出る反論も扇の下で唇を噛みしめるだけに終わる。言ってしまっては売り言葉に買い言葉。どんな問題を招いてしまうわからないから。
人の少なそうな場所を選んでしまったばかりに、助けを望めそうにない。このまま時が過ぎれば遅い私を心配して誰か来てくれるだろうか。侍女に人を呼ぶよう伝えたいけれど、それを防ぐためなのか偶然か気付かぬ内に侍女は御人の連れていた騎士によって距離が取られていた。
不安そうな侍女に、私は笑みを向けて少しでも安心させてあげることしかできない。
誰か、誰か通りかかるだけでも…
「どうかされましたか?」
柔らかな声は中性的な低さで耳に届いた。
先に反応を見せたのは目の前の御人で、勢い良く声のした方向を向くとその目を細めて不機嫌さを顕にしている。
「…参加者か。今取り込み中だ、通るならさっさと通れ。」
格好からか、相手を参加者と呼んだ御人は手振りで追い払うような仕草をしてまたこちらを見る。しかし私は御人と向き合う気持ちになれず、遅れて声をかけた相手を見る。
すると視界が捉えたその人は、同じように私を見て目を見開いた。
「ユグルド侯爵令嬢?どうしてこちらに…」
「あ…」
咄嗟に、声が出なかった。催しに参加していることは知っていたけれど、まさか会えるだなんて。
薄い色の彼は私と御人を見比べて、それから周りへ目を向ける。何かを把握するようなその視線の動きに「何だお前は、無礼な!」と声を上げた御人だったけれど、彼はとても冷静に私の前で目を釣り上げる御人へ一礼した。
「恐れ多くも、発言をお許しください。」
ハッキリと聞こえる彼の声は御人へ向けられたもの。
謙ったその態度は、目上の方に対して通常なら好感を持ってもらえるものになるけれど、今この状況を考えると…と御人を見ればやはりと言うべきか、表情は更に険しさを増してしまってた。
「私は“通れ”と言ったはずだが、無礼を重ねるか。…良いだろう、言ってみろ。」
大きく威圧感のある御人と並ぶと華奢で繊細な印象を受ける彼。それなのに、前を見据えるその瞳が、まっすぐ伸びた背筋が、彼を何処か研ぎ澄まされた剣のように見せていた。
彼自身から、平民の身分であることは聞いている。
けれどそれを忘れてしまえるほど、今の彼…いいえ。出会ってからずっと、このお方はそれを感じさせない振る舞いを見せる。今だって。
「ご令嬢とどのようなお話をしておられるかは存じませんが、このような人気のない場所では他のお方にどう見られるかと思ったのです。」
彼が視線を周囲へ走らせる。それに促されるように御人も視線を動かしたのたでしょう、低い唸り声が聞こえたかと思えば御人は少し私から距離を取った。
不安や少しの恐怖で吸えていなかった空気が体に染み渡るような気がして、ゆっくりと深く呼吸を繰り返す。
「…ここは引いてやろう。侯爵令嬢、また良き話ができることを期待しています。」
場が悪いことを御人も感じたのか、侍女と私の距離を離していた騎士も侍女から離れる。御人と騎士は私達へ背を向けて、この場を去ろうとしていた。
しかし、数歩動いた先で御人は足を止めてこちらを振り返る。真っ直ぐ射抜くように目を向けたのは、御人が去るのを頭を下げて待っていた彼。
「そこの参加者、名は。」
「アルジェントと申します。」
名前だけを述べた彼に御人は薄く笑った。
「ああ、その頭思い出した。ハルバーティアの推薦だったな。」
横に並んでいた彼を見ると、下げていた頭は上げられており、その瞳は零れ落ちるかと思えるほど見開かれていた。
その表情の意味が分からないでいると、御人はが声を大きくして笑う。
「まさか!気付かれぬとでも思っていたのか?そのなり、しかと焼き付けておくとしよう!ハルバーティアの奴らと話すのが楽しみだ!」
御人の背を見る彼の顔は青白く、微かに動かされた唇は何を呟いたのか。
私に分かるのは、私を助けようとしたせいで彼が御人に目を付けられてしまったということだけだった。




