落ち着かない
メイベルに腕を引かれる形で席を離れ、昨日と変わらない前方の賑やかさを横目に移動する。そこでふと思い出したのは今私の腕を引いているメイベルだが、昨日は姿を見なかったこと。
「そう言えば、メイベルは昨日ガーライル伯爵と一緒ではありませんでしたの?」
「パパとは別行動だったけれど、全ての試合は見たわ。アルジェントとラングの試合もね。友達と一緒に見ようって約束していたの。」
競技場はそれなりに広さがあるが、入り口は一つ。そして競技場の造りは円形で、どの場所からも他の客席が見えるため、居たのなら気付くかと思ったのだが。
親友の姿を見つけられなかったことを少し悔しく感じていると、それが分かったのかメイベルはクスクス笑った。
「私はリリルフィアが見えたわよ。手を振っても良かったけれど、試合をしている人たちに勘違いされたら困るから辞めておいたの。それに友達の前だったのだもの。」
前を行くメイベルがこちらを見ないのをいいことに、私も彼女の心の内を察して笑う。
頻りに“友達”としか言わないが、メイベルが“友達”と口にする相手は決まって一人しか対象が存在しないのだ。
彼女に友達がいないのではない。メイベルが私に話す内容の中で、“友達”は名前を明かせる方ではないということ。他の令嬢ならば私も頭に入っているし、派閥や家同士の関係で伝えるのを憚るような家は我が家には特に無い。
残される可能性は、貴族家よりも高い身分の方。
色々予想を立てながらも、私は彼女にその答え合わせをすることはなく、「そうでしたの。」とだけ返事した。
「あ、いたわ!パパ!」
メイベルの呼ぶ声に振り向いたガーライル伯爵は、私の姿を見て振り向く前に話していた相手に向き直る。というのも、それは昨日のラングの試合相手を推薦していた伯爵から声をかけられていた筈の、父。
「先程の方とお話は終わったのですか?」
「戻ろうとしたらマックに捕まったんだよ。遅くなったみたいでごめんね。」
合流した私のの頭を撫でてくれる父に気にするなど首を振るけれど、未だ私の腕を掴んでいたメイベルは父に声をかける。
「ハルバーティア伯爵、リリルフィアはソートン候爵家のジェバック様に絡まれていましたわ。だからここまで連れてきましたの。」
瞳を瞬かせた父だったけれど、一瞬後には表情を硬くして私の肩に手を置いた。そこでやっとメイベルが腕を離したからか、話したら私が逃げるとでも思っているかのようだ。
「心配ありませんわお父様。こうしてメイベルにあの方から逃がして頂きましたし、私の名前も知らないような方とお近づきになるつもりはありませんもの。」
「確かに、あの人リリルフィアのこと“リリー嬢”って呼んでたわよね。どうして?」
それは彼と会ったときに一緒にいたリオンの呼び名を、彼が私の名前だと勘違いしたからだ。
そうメイベルに教えようとしたとき、頭の中に浮かんだ再従兄弟の姿を先程から見ていないことに気づく。辺りを見回してもリオンは居らず、先程も居なかったからソートン候爵家の彼やメイベルが私の両脇に座ることが出来たのだ。そもそも、ソートン候爵家の彼はリオンが居たら私に話しかけはしなかっただろう。
「そう言えば、リオンお兄様が居ませんわ。」
「彼なら先程…ああ、彼処に。」
ガーライル伯爵が指した先には、なんと女性の隣にいるリオン。
驚いて思わず女性を注視してしまったけれど、リオンが話している様子の女性は私にも見覚えがあった。
「なんだ、ユグルド侯爵夫人じゃないか。」
父の声は少しの落胆を含んでいて、女性と共にいるというリオンにはとても珍しい光景に父も驚いたことが伺えた。上を向けば呆れを滲ませた父の顔。
親代わりとなっている父からすれば、リオンの女性の影がない様子は心配になるのだろう。まあ、私も人のことは言えないが。
「ユグルド侯爵夫人が居るということは…」
何かを呟いたメイベルを見ると、その向こうにこれまた知った顔を見つけた。相手も私たちを見つけた様子で喜色を浮かべ、こちらにドレスを翻して駆け寄ってくる。
「リリルフィア様!」
その姿に初めに抱いたのは驚き。
最後に彼女と言葉を交わした私の誕生日パーティのときは、確か目を伏せて私が何か不快な思いをさせてしまっていた気がしていたから。
駆け寄る彼女が勢いもそのまま私の手を取って笑顔を見せるものだから、私も釣られて頬が緩む。何にせよ、彼女が私に悪感情を抱いているようには見えなくて、暫く彼女に手を取られて微笑んでいるとコホンと後ろから咳払いが聞こえた。
「ティサーナ、デビュタントを控えた淑女がはしたないわよ。」
「も、申し訳ありません!」
パッと私の手を離して居住まいを正したティサーナは、改めて私や他の者たちを見回すと優雅にドレスをつまんで腰を落とした。
「皆様、ご機嫌麗しく。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。」




