はじめましての久しぶり
豊穣祭に併せて行う王家の催し改め“穣喚の武闘”まで一月を切ろうとしていた。
私としてはこの武闘ですることなど何も無い。頑張るのは参加の決まったラングとアルジェントだし、どちらかと言えばデビュタントに向けての準備の方が忙しかったので、武闘の為に何かしたことと言えば私の護衛からラングを一時的に離して、自身の鍛錬に専念できるよう促したくらいだろうか。
最初は渋っていたラングだったけれど、同じく催しのために仕事を減らされていたアルジェントが自主練習をしている場面に遭遇してからは、彼と打ち合っている姿を見かけるようになっていた。
ラングの居ない間の護衛は参加しない兵の中から二人着いてもらい、屋敷から出て図書館へ訪れている今も後方で待機してくれている。
「リリー、読む時間がなくなるぞ。」
「そうですわね、リオンお兄様。」
深く呼吸して独特の香りを堪能していると、呆れたようにリオンから声がかかった。本日はリオンも図書館に一緒に来たのだが、目的はそれぞれ別なのでお互いに護衛を連れて歩いている。リオンは私が正気に戻ったことを確かめると、さっさと目的の棚へ歩いていってしまった。
それを見送り、私も目的の場所へ進む。
受付から見える棚の裏手に回り、整然と収まっている本たちの背表紙から順番通りならばと予想をつけて目的のタイトルを探すと、高い高い位置にそれらしき本を見つけた。
見上げる私に釣られるようにして、そばにいた兵たちの顔も上を見上げる。
「お嬢様、まさかあの辺りの本なのですか?」
「そうなのよ。けど、この高さは…」
高い場所の本でも、もちろん盗難防止の鎖は付けられている。ここで問題となるのがその鎖は高い場所であっても長さが変わらないということ。高い場所の本は梯子を使用して取り、その場で読むのだ。
さて、おわかりだろうか。
私は本日淑女の格好として相応しい、街へ出かけるための簡素だが上質なドレスを身に着けている。そんな私が梯子を上れば通りかかった人は目を剥き、あるいは目を逸らし、聞いた者は醜聞を広めるだろう。もしもマナーの指導をしてくれている先生の耳に入ったとすれば倒れかねない。
「…服を変えてくるべきだったかしら。」
「いえお嬢様、服装の問題ではございませんよ。貴族でない女性もこの高さは上りません。」
兵の一人が首を横に振って、私の考へは却下された。
それでも読みたい本が目の前にある。惜しく思う気持ちからその場を離れられないでいると、後ろから足音が聞こえてきた。その後にクスクスといった笑い声が聞こえたので振り向くと、私よりも少し背の高い青年と目が合った。
「おっと失礼。」
両手を顔の横に掲げて無害であることを示しているようだけれど、その気安い態度に応えるつもりはない。腰を落として礼を取ると、青年は鷹揚に頷いた。
名も知らず、見覚えのない青年の身なりは整っている。この場に足を踏み入れていることと、後方からこちらを伺う視線があることから目の前の青年が守られるべき立場である貴族なのは分かるが、挨拶を交わしたことのない相手に対して随分と軽い。
「上の棚を物欲しそうに眺めて、読みたい本でもあるのかい?」
「…そんなところです。」
私をハルバーティア伯爵家の人間と知っているからこの態度なのだろうか。だとすればこの青年は伯爵家以上の身分ということになるが、少なくとも夜会や茶会で私は見たことがない。
淑女としての礼儀に則って持っていた扇で顔を隠すが、それさえも目の前の青年は可笑しいらしく先程から愛想笑いとは別の種類の笑みを宿している。
「高いところが怖いのかな?僕が読み聞かせしてあげようか?」
その言葉に目を細めたのは私だけではない。明らかにこちらを小馬鹿にしていると取れるそれは、側にいた兵たちも不快だと言わんばかりに顔を歪めて私の指示を待っている。ここで青年を諌めることもできなくはないが、相手が誰とも分からず行動するのは危険だ。
私は扇を揺らめかせて目だけは笑顔を保ち、努めて穏やかに声を出した。
「そんな…見ず知らずの方にそこまでして頂くのは恐れ多いですわ。」
「見ず知らず?酷いな、茶会で会っただろうに。覚えてくれていないのかい?」
誰だ。
頭の中にこれまで出席した茶会、及び出席者と顔を合わせた者たちの記憶を並べる。青年の薄い茶の髪色はよくあるが、緑の虹彩が交じる瞳は特徴的だ。しかし、そのような人物には本当に覚えが無い。
眉を寄せる私の反応で分かったらしい。悲しげに目を伏せた彼は胸の前に手を当てて片足を後ろに引くと、優雅に礼をとった。
「では改めて。ソートン候爵家のジェバック・トルカ・ソートンだ。思い出してくれた?」
なるほど。
頷く私を見て笑みを深めたソートン候爵家の青年は、私に一歩足を進めた。
なので私も笑みを返しつつ、足を後ろに一歩下げる。瞳を瞬かせる彼に対して、私は笑みを崩さずに言葉を向けた。
「全く、お会いしたことありませんわ。お初にお目にかかります、ソートン候爵のお方。」




