[指先を抜ける風]
「やはり、断られてしまいましたか…」
読み終えた手紙を閉じて息を吐くと、眉を垂らして心配そうな侍女がお茶をカップに注いでくれた。それに口を付けながら、手に取るのは別の手紙。
開け癖が少なく読みやすい字で流麗な文章が綴られていて、その最後に私は困ってしまった。
「【風を掴むのでしたらきっと、それはもう風ではないと私は思います。それでも摑もうとされるのであれば、風が自ら貴女様の元へ吹くことが一番の近道と考えます。】…そんなつもりでは無かったのですけれど。」
返ってきたのは本人の意志を尊重するという答え。
風と喩えたのは、その場をあの騎士様が慌てて離れようとされていたから。指をすり抜けるような感覚につい手紙に綴ってしまったけれど、こんなにも丁寧な言葉を返されるなんて思っていなかった。
“会いたいから何か方法はないか”と聞いたつもりだったけれど、私の身分で他家が雇っている殿方に会えないかと聞く方が間違っていたみたいだ。
「ティサーナお嬢様、お手紙はなんと?」
「招待には応じてもらえました。けど、銀の騎士様には会えそうにありません…」
身の回りのことを一人で世話してくれる侍女。彼女は街で騎士様に助けられたときに一緒に居た子で、歳は私より2つ上。彼女は私を慰めるように「あらら…それは残念でしたね…」と眉を垂らすと、然りげ無く私の前に美味しそうなお菓子を置いた。
「それにあの騎士様…いえ、騎士様ではないと書かれていました。それにどうやら平民の方だったみたいで。」
「ええ!?教養がお有りのようでしたよ!?」
「私もそう思いましたけど、本人の手紙に…」
テーブルに置いた手紙を手にとって指先で書かれた字に触れるように指を滑らせる。そこにはハッキリと【騎士と呼ばれるには不相応な平民で、ハルバーティア伯爵家にお仕えする1兵士です。】とハッキリ書かれていた。他にも“騎士見習い”というのは話を伺った方の憶測に過ぎないことも訂正されていて、この手紙には驚くことばかりだった。
「ハルバーティア伯爵の手紙にも銀の方のことが少し書いてありました。伯爵令嬢が街で助け、働くことになったときから、将来役に立つだろうと沢山の経験をさせていたらしいです。」
「なんて高待遇…!」
侍女の言うとおりだ。使用人に、しかも平民に対して良家の出と間違うほどの経験をさせているなんて聞いたことが無い。少なくとも我が家の使用人たちは男爵や子爵家の出の方々が多く、平民の方も居るけれど読み書きに苦労しない商家の出の人達ばかり。
それでも貴族家の出で無い者は下働きの仕事を割り振っていると聞くのだから、ハルバーティア伯爵家はどうやら特殊な環境のようだ。
「招待も断られてしまいましたし、これ以上私がお会いしたいと言っても無駄のようです。」
「平民なら、仕方がないですしね。」
残念そうに微笑む侍女の言葉に、私は微笑みを返すだけ。
平民ならと彼女は言うけれど、私個人としてその辺りは気にしていない。相手が招待に応じてくれていたのなら、平民であっても感謝と共に歓迎するつもりだった。
けれど、私がここで別の手段を講じたとしても迷惑にしかならない。それに伯爵令嬢の手紙にあった文章を読んでしまった今、相手の意を尊重するべきだと思うのだ。
「けど、本当に残念。会えたらお聞きしようと思っていた名前も、書かれてしまいました。」
“アルジェント”と素敵な名前で手紙が終えられているその手紙。
名前を頭の中で何度か繰り返せば、名前も知らない私を助けてくれた銀の方が、アルジェントという名前で馴染んでいく。
「もう一度、お会いしたかったです。」
「ティサーナお嬢様…」
誰に言うでもなく呟いた言葉に侍女は困った顔をし、暫くしてから「あ!!」と声を上げた。賑やかな彼女は好きだけれど、あまりにも大きな声だと驚いてしまう。それに彼女自身も、侍女を纏める人に注意されるだろう。
「ティサーナお嬢様!いいことを思いつきました!」
「どうしたの?」
二人しかいない空間で、侍女は私に顔を近づけて耳打ちする。
それを聞いて、私は不安と驚きと同時に、確かに楽しさを感じてしまった。