小さき獣の答え
とても冷静に、客観的に現状の解決策を提示したリリルフィア。
「見たところ本心からの言葉なんだから、たちが悪いよね。」
移動した書斎で俺の呟きには応える者は居らず、返ってきたのは茶器にジャニアが茶を淹れる音だけ。
そちらを見れば察したように彼もこちらを見るのは長年の阿吽の呼吸とでも言うべきか。本人に言ったら暇乞いされそうだから言わないけど。
「…貴方様はお嬢様がアルジェントを好いている、とお思いで?」
カップを目の前に置いて率直に聞いてくるジャニアを見る。彼にしては曖昧な聞き方だ。“好いている”とは何を指すのか、友人、恋人、家族、他者を指す言葉が数多にある中で、彼の言う言葉の捉え方は多岐に渡るだろう。
視線を彼に向けたことで、あちらも俺の考えに気づいたのか「恋情の意味で。」と補足を加えた。
リリルフィアにはまだ早いと遠ざけたくなるけれど、彼女に多くの見合い話が舞い込む中で現実逃避なんで出来はしない。今も片隅に積んである釣書が視界にチラ付く中で、俺はジャニアの言葉に首を横に振った。
「どうだろうな。その可能性はあるけれど、リリルフィアも分かっていない感情なんて俺に分かるわけないよ。」
「そうなのですか?先程サンルームからお出になる前、何やらお気づきの様でしたので。」
「ああ…何か本心を隠していないかと思っただけさ。2年前はアルジェント自身が既に決めたことだったから何も言わなかったけど、まだアルジェントには何も聞いていないだろう?リリルフィアが“行かせないで”って言うならと思っただけ。」
“本人の意志を尊重する”というのは本人の意志を確認するのが大前提で、今から戻ってくるだろうアルジェントにも招待状のことを話すのは変わらない。
ただ…
「リリルフィアが“ダメ”って言ったら、きっとアルジェントは断わるだろう?」
「それはそうですが、本人の意志を歪めることになるのでは?」
「え、そうかな。俺はただ参考までに周りの意見を伝えるだけだよ?」
本人の意志を確認することは変わらない。その前に周りがどう思っているのかを伝えたところで、それをどう受け止めてどう言葉を返すかも本人次第じゃないか。
俺の言葉にジャニアは目を細めて「…そうですね。貴方様はそういうお人です。」と息を吐く。何だか失礼な目の前の執事に声をかけようとしたところで、コンコンと控えめなノックが書斎に響いた。
「お帰りアルジェント。」
「た…ただいま戻りました。」
戸惑ったように言葉を返す彼に笑みが漏れつつ、俺はジャニアに持たせた手紙を彼へ渡すよう指示する。
「戻って早速で悪いけど、少し話があるんだ。」
彼が受け取った手紙に首を傾げるので「侯爵家のご令嬢からの手紙だよ。読んでご覧。」と言うと、更に首を傾げるアルジェント。ジャニアは取り敢えずと彼を隅の椅子に座るよう指示し、大人しくそれに従った彼は中の手紙から読み始めた。
頃合いを見て「前に令嬢を助けたか聞いただろう?あの時の方だよ。」と教えてやると、一度顔を上げた彼の視線は手紙に戻ったかと思ったらまた一番上から読んでいるようだった。
手紙を読んだ後は同封された招待状へ。
貰ったことは一度もないだろうそれを手に微妙な顔をしたアルジェントは、目を通した様子を見せた後に全て封筒に閉まってから息を吐いた。
「どうする?こんな機会二度と無いかもしれない。茶会で侯爵令嬢に名前をお伝えすれば、手紙に書いてあるように“騎士様”になれるんじゃないかな。」
このままハルバーティア伯爵家で働いていても護衛兵ではあるが騎士ではない。
俺の言葉にこちらを向いたアルジェントの表情に、彼が何を望んでいるのか知っている自分がするには意地の悪い質問だったかと肩を竦める。
「僕は大切な人を守ることができれば、他には何も要りません。」
2年前のあの日、彼は同じ言葉を俺に話してくれている。
何の力も無い平民であることを自覚し、それでも…いや、だからこそ力が欲しいと彼は雇い主である俺に剣を学びたいと願った。目の前の大切な存在が守れれば良いと。
そんな彼に、俺は更に人の悪い質問をしてみる。
「守る為に、地位は必要だと思うけど。今のままじゃ社交会場の護衛はラングのままだし、俺も君を連れては行かないよ。良くて2年前のように御者と同行するだけかな。」
眉の寄ったアルジェントはそのままの表情で俺に不機嫌そうな目を向ける。本当に彼は変わった、成長した。リリルフィアは背が伸びたと言って笑うだけだったけれどとんでもない。
こうして身分ある者に物怖じしなくなったことは、人を選んで行動すれば武力とは違う武器になる。
俺を前にして倒れそうになっていた少年がね。
「そうだったとしても、この招待に応じてしまえば僕はここに居辛くなってしまう気がします。旦那様…僕はここに居たいです。」
“気がする”と言った彼の考えは間違っていないだろう。貴族についてほとんど何も知らない彼がここまで拒否を示すのは、野生の勘だろうか。なんかラングみたいだな。
まあ何にしても、自分の意志をはっきりと口にした彼は、最後の方には頼りなく眉を垂らしていた。その表情がどうにも小動物のようで、成長しているのかいないのかアンバランスな彼に思わず漏れた笑みのまま、彼の言葉に是を告げてやる。
「分かった。招待者全員に個別に送られた手紙だ、返事は自分で書くように。そこまで我が家に居たいと言ってくれるなら、雇い主として協力しよう。」
安堵を見せたのはアルジェントだけでは無かった。視界に居たジャニアも肩の力を抜いた様子が分かり、素直じゃないなあと思いながらそれを言えば不機嫌になるだろうから、カップに口をつけながら笑みを隠した。




