愛と政略
アルジェントの振る舞いは既に、平民とは思えないものとなっている。それを今回ティサーナが実証したようなものだった。
一番初めはメイベルに会わせる時に失礼の無いようにという理由からだったと記憶しているけれど、あれはきっかけに過ぎない。使用人として働く中で経験を積み、今後の役に立つだろうからと少しずつ詰め込んだのは私を始めとするハルバーティアの者達だ。
ネルヴが加わってからは、それに輪をかけて色々と教えた自覚がある。
「オマケにマックの所で剣を学んだから、体の使い方も上手くなっているよ。前より姿勢が良くなってたのは分かった?」
父の言葉に私は先程まで居た彼を思い浮かべる。
そう言えば背の高さにばかり気を取られていたけれど、背筋が伸びて顔が上を向くようになっていた気が。
自分の意見は口にするようになったし、言葉遣いは2年前から教えていた。ハルバーティア伯爵家に来た頃の彼を知らなければ、ティサーナのように勘違いもするだろう。2年前でさえ、叔父が“教養がある”と言ったくらいだもの。
父の言葉に頷くと、部屋の隅でラングが「俺より貴族っぽいですもんね!!」とフォローの出来ない感想を述べていた。
「問題は、今回ばかりはそれが不利に働いたことでしょう。招待状が届いたとはいえ、本来は出席出来る身分に無いとなると…」
「正直に断るしかないんだけど…」
悩んでいるとも笑っているとも言えない微妙な表情で、ジャニアは現状の解決を促してくる。父はそれに無難な意見を出した。
一番妥当なのは父の言うように、丁寧に断りを入れることだ。情報の食い違いを訂正し、アルジェントが平民で招待に応じることができないことを理由に茶会を欠席すれば、侯爵令嬢としてティサーナの恥となることは避けられるし、こちらとしても恐れ多く辞退したという形を作ることができる。
しかし、これは“ハルバーティア伯爵家”に都合良く考えた場合。
父もそれを思ってか、苦笑いで言葉を続けた。
「令嬢を助けた功績は、貴族家にとって大きなものなのはリリルフィアも知っているよね。もし我が家だったら、俺は何でも願いを聞いてしまうかな。」
サラリと告げられた大きな愛情だが、貴族家にとっての“令嬢”は愛情を以って大切にされているだけではないことを知っている。
例えば跡取り。
基本は男性が後継となるのだけれど嫡男がいない場合、爵位を得るのは長女か婿養子として長女の伴侶となる夫というのが通例。それを考えると長女という存在はとても大きなものだ。
例えば人脈づくり。
政略結婚として女性を嫁がせ相手の家との関係を確固たるものにするのは勿論、相手の家での発言力や自由を夫人となった令嬢が手に出来れば、実家の繁栄は想像に容易い。
「アルジェントから、自分の行動から実を結んだ大きなチャンスを奪っていいものか、ってね。」
ラングを私が雇うことになったときも同じだった。
父は本人の意思を尊重するのは勿論だけれど、我が家に縛り付ける気持ちがまるで無いのだ。良い働き口が我が家以外にもあれば推薦状を何枚も書くし、今後の為となる経験は積極的にさせる。
父のこの人柄だからこそ、我が家から外へ行く使用人は殆いないのではないだろうか。ジャニアが雇う者を厳選しているのは確かだけれど、良い雇い主からわざわざ別の働き口に行こうと思う者は少ないだろう。誰だって長く働きたいだろうし。
迷っている様子の父に、私はラングの時を思い出しながら似た言葉を紡ぐ。
「お父様。全てアルジェントに話して、本人に委ねましょう?侯爵令嬢と親しくなろうと考えるも、現状に留まるも彼次第ですわ。どんな選択であっても、お父様はアルジェントを見捨てたりはしないでしょう?」
私の言葉に、父は暫し私と目を合わせた。
見つめる瞳は何かを探っているようで、私は思わず首を傾げて「どうかなさいました?」と問いかける。
「…ううん。リリルフィアがそう言うなら、そうしよう。そろそろ仕事に戻らないといけないし、私から話しておくよ。」
「分かりました。手紙は頂戴してもよろしいですか?」
手紙を私に、そしてもう一通ラング宛をテーブルに置いて父はジャニアと退室した。
冷めてしまった茶の残りを口に含み、自分の言葉を反芻する。
「『彼次第』…ね。」
どんな選択でも、彼自身が決めること。それを私たち周囲の者が縛ってはいけない。そう思ってこれまで過ごしてきたのだから、私の考えは間違っていないと言い切れる。
先程の父の瞳は私の中にある何かを、見透かしていたのだろうか。
ティサーナからの手紙、そして招待状に指を滑らせて私は一人、息を吐いた。




