超えた領分
アルジェントが帰ってきて一月が過ぎ、深まる寒さから先日は雪も降ったが積もるほどでは無いのは例年と同じ。
私と共に行動することは無いから接点は少ないけれど、それは2年前も同じだったので別段変化は見られない。ただ、気になる点が一つ。
「失礼致します、お嬢様。」
「あらジャニア。…今日も?」
「はい。」
昼下り、入室したてきたジャニアに差し出されたのは既に何度か見かけている元は無地の日記帳のようなもの。
捲れば半分に満たない頁は埋まっていて、私は新しく書かれているものを読む。
【アルジェントは元気にやっているよ。本当にジャニアの言うことをよく聞いているから安心して。…本当に、逃げるスキが無いんだ。】
短い文のそれは一頁に一週間分くらい埋めることが出来る長さで、読むのに苦労はしないが私は思わず息を吐いた。
「ジャニア、今日はもう三度目よ?」
「はい。この調子ですと前回よりも早く一冊を書き終えてしまいそうな勢いです。」
「返事をする内容も尽きてしまうわ。」
愛用のペンにインクを付けて、先程の文の下に言葉を返す。するとそのまた下に新たな文が加えられて、再びジャニアが私の部屋にやってくるのだ。
ジャニアの言う“前回”も同じ要領で父とやり取りし、一月経たずに埋めてしまった本が父の書斎の片隅に保存してあるらしい。
交換日記と言うにはやり取りが頻繁すぎるそれは、アルジェントが帰ってから数日後に始まったものだ。
「こんなこと、今までしたことなかったわ。」
「ええ。今まで旦那様は仕事を抜け出して、お嬢様にお会いしていましたからね。」
ジャニアの表情が穏やかなのは、もうその心配がないから。アルジェントが父の護衛として着いた当日からこれまで、ジャニアは喜々としてアルジェントに自分が居ない間、父から片時も離れぬよう指示したらしい。
それと、指示はもう一つ。
「手紙を検めるのはまだいいわ。でも書類整理なんて護衛の領分を超えていると思うわよ?」
父と共に書斎にいる間、ジャニアはアルジェントに父の補助も任せたようなのだ。この情報は食事のときに父から教えてもらったけれど、ネルヴからも『兄が慣れない仕事に疲れているようで』と聞いている。
私の言葉にジャニアは目を見開いて口を覆う。まるで“信じられない”と言いたいように。
「何を仰いますお嬢様。私も同じように熟してきました。」
「執事が護衛の任を肩代わりするのと、護衛が領主の仕事を補佐するのは訳が違うでしょう?彼を見てみなさいな。」
私が示したのはアルジェントと同じ立ち位置だが色々特殊を極めているオレンジ髪のラング。
私に指されて首を傾げている彼だけれど、私は彼がハルバーティア伯爵家に関する指示以外で屋敷から動くことが無いことを知っている。
「騎士団を辞して私に雇われてから、一度でも机に向かっていたのを見たことがある?」
領地を持たない貴族は領を治めるという責務が無いので、その分父よりも余裕があるのは当然だ。だが、貴族位というのは与えられて終わりの勲章とは違い、身分に見合った責務が存在するはず。
ラングに目を向ければ、彼は首を傾げていた。会話の内容は聞こえていると思うが、この様子だと私の予想は間違っていないだろう。
「ラング貴方、貴族になってから何か増えた仕事は無いの?」
「さあ。もし任されても、俺はリリ様を護るのに忙しいですねえ。」
この返答に頬を引き攣らせたのはジャニアだけではない。この場に居たネルヴも、10も年上の護衛騎士の言葉に目を見開いていた。
自身に与えられた仕事は最低限熟すべきと、ハルバーティア伯爵領では指導している。その指導をしているのは他でもないジャニアだけれど、それはハルバーティア伯爵領に関することだけ。
流石に成人済みの男性にアレコレ聞き出してお節介することはないだろう。
「…ジャニア、安心して良いわ。シーズン中、リンダにイエニスト子爵邸に行かせたけれど、そこの管理をしている家令も『何かあれば伺いに行くだろうが、特に急を迫るものは発生していない』と言っていたそうよ。」
私がラングを雇うことになった時、一番に気になったのが爵位から発生する責務と護衛任務による負担だ。父にも相談して、リンダに行かせた2年前からは定期的に報告を受けるようにしている。
私が言いたいのは、爵位を持つラングでさえ机に向かうことが無いのに、不慣れな者に余計な負担をかけるのは控えるべきだろうと言うこと。
「させるなとは言わないわ、アルジェントはラングよりもよほど器用でしょうし。けれど、それなりに休憩時間は必要だと思うわよ。」
父が日に何度もジャニアに届けさせる交換日記のようなものは、それだけゆっくりする時間を削いでいるということだろう。アルジェントもその間は父の護衛に拘束される。
「…若者への配慮が足りませんでしたね。では、こうしましょう。」
肩を竦めてから、切り替えるようにされたジャニアの提案に、今度は私が頬を引きつらせることになった。善意からの助言はジャニアにとって渡りに船だったかのように、彼はそれは爽やかな笑顔で「良いですよね?」と私を頷かせようとする。
ネルヴとラングが憐れみの目で見ていたことには気づいていたけれど、ジャニアに彼らが勝てる見込みもなく。私は折れる他無かった。




