影と諫言
私が分家の屋敷で違和感を感じたのは、夕食までの時間を書庫で本を読むことに費やそうと考えていたときだった。
この屋敷の書庫は向かいに小部屋があって、ソファとテーブルが一組ある。本を読むときに使えるようにとリオンの父が用意したのだとか。飲食もその部屋でなら出来るので、本好きの私にとっては我が家にも欲しいくらいだ。
快適に本を読むためにリンダとこの屋敷の侍女であるナナにお茶の用意を頼み、私は一人で書庫へ。
そこで一瞬、窓に何かの影が動いた気がしたのだ。
「…だれ?」
窓を思い切って開けてもそこには何も居らず、窓の半分に届かないくらいまでしか影は見えなかった。窓は私でも開けられる高さで、半分くらいは大人で平均的なリンダくらいなので、それに届かないとなると私よりは高いけど結構低い。
アルジェントよりも低いんじゃないだろうか。
「お嬢様?窓を開けてどうされました?」
呼ばれた方に振り向くと、書庫の扉で不思議そうにこちらを見るナナ。ふくよかな彼女はリオンを子供の頃から知っている、年齢も50代の古参。彼女ならばなにか知っているかも。
「ねえナナ、この屋敷って子供を雇っていたかしら?」
「子供、ですか?以前は居たのですがもう皆が成人して、若くともリオン坊ちゃんより上になりますよ。」
それがどうかしたんですか?と問われ、私は先程の影の話をする。するとナナは少し考えてから「屋敷にそんなに背の低い者は使用人に居りません。」ときっぱり言った。
ならば事態は不穏な方向へ向かってくる。
この屋敷の者でないなら、あの影は一体誰なのか。私の見間違いということもあるけれど、一応父に報告することにした。
「本を読んでる場合じゃなくなったわ。お父様…と、リオンお兄様にもお話しましょう。」
「領主様とリオン坊ちゃんは執務室でノクトル様とお話しされております。お伺いを立ててきますね。」
退室したナナとは入れ替わりでリンダが来たので先程の話をすれば表情を険しいものに変えた。
私が開けてそのままだった窓に歩み寄ったリンダは周囲を確認してから静かに閉め、そして私の前に膝をつく。
「何故、窓を開けたのです?」
「え…!?」
「御身に何かあったらどうするのです。」
何時に無く厳しい声を出したリンダは私の両手を握り「何か気付かれたのでしたら、まず人をお呼びください。」と瞳を揺らす。
その姿に自分の浅慮に気づいた。というより、何も考えずに窓を開けてしまっていた事を後悔した。
窓に何か仕掛けられていたら、誰かが襲ってきたら、窓が割れたら。少し考えるだけでもこれだけ危険があることが分かるのに、私が自ら行動を起こすべきではなかった。
リンダは私の身を心配してくれているけれど、正直自分の身の安全は何も無かった今はどうだっていい。私が考え無しに動くことで、何かあったときに責められるのは私の側にいるリンダ達だ。
「ごめんなさい…」
目が熱く感じる。
視界が滲み、駄目だと思って唇を噛んだけれど頬に伝う雫を止められなかった。
ぼやけるリンダの表情が優しいものに変わり、ハンカチで頬を拭われ、目にも当てられる。
「お分かり頂ければいいのです。リリルフィアお嬢様をお守りしたいという、私の言葉をどうかお心に留めていただければと思います。」
柔らかいリンダの声が心に痛い。コクコク頷きながらも頭の隅で『私も、リンダを守りたいのよ』とハンカチで涙を拭いてくれるリンダに思った。
「あらあらまあまあ、リンダさん怒ってしまわれたの?」
まだ止まってくれない涙を戻ってきたナナに見つかり、彼女はリンダに苦笑い。そして廊下の方を見て「タイミングが悪いかもしれないわ」と困った顔をした。
「ナナ、どう…」
ピタリと書庫に入る前に止まったのは父。
リンダが礼をとるために立ち上がり、私は父を見るために目を動かしたので、拭われない涙が頬に零れ落ちた。
「ど、どどどどうしたの!?」
「なん、でもありません。」
「なんでもないのに涙は出ないよ!!」
私の前に駆け寄った父はリンダに「何があった!?」と動揺しながら聞き、私の涙を指で拭ってくれる。正直に言わなくてもいいのに、リンダは「お嬢様を少々お諌め致しました。」と深く頭を下げた。
「お父様、私が不用心だったのです。勝手に窓を開けたから、リンダは私を叱ってくれたのです。」
だからリンダを怒らないで、そう父に言うと困った顔をした父はナナに「リリルフィアを怒りたくても怒れないんだけどどうしたら良い?」と謎の質問をしていた。




