唯一の父の目覚め
本日は2話の投稿です。
ほぼ毎日の投稿が乱れておりますが、詳しくは活動報告にてご確認頂ますようよろしくお願い致します!
明かりの落とされた室内は、夜の静けさに包まれている。部屋まで案内してくれたアニスは共に入ることは無く、私とラングを促したら扉を閉めてしまった。
ベッドは盛り上がり、傍に寄れば呼吸に合わせて掛布が上下しているのが見え、金の髪から覗く父の顔が苦しさに歪んでいないことが分かれば、アニスに知らされた時とは別の安堵が込み上げた。
「おとう、さま。」
固く閉じられた瞼は開かれない。
怪我の回復に専念する父の体は眠りを欲していることは明らかで、返事の無い呼びかけを続けようか迷う。
しかし、私は父の寝顔に語りかけた。
「お父様、皆が心配していますわ。お早く目覚めてくださいまし。」
願いは夜に溶け、固く閉じられた瞼は開かない。
「こんなことを言えばお父様はお怒りになるかもしれませんわ。ラングにも先程言われましたもの。でも…」
返事がないことを分かっていながら、それを良いことに私は言葉を紡ぐ。目覚めたら言えない、そんな言葉を一度だけ。
「…申し訳ありません。私が愚鈍であったばかりに、私は…。…私は伯爵としてお仕事をされるお父様よりも責務は少ないですのよ。だから…」
だから。
これ以上の言葉は続けない。
続ければ後ろで控えるラングにも叱られてしまう。責務の少ない私は父に庇われるべきでは無かった、なんて。
父の行動を、ラングの誓いを否定することをしたくはないから、この場だけ、私の中だけでの謝罪。
「ごめんなさい。」
「…いや、だな。」
その返答に、私は俯いていた顔を上げる。
上げた先にあったのは、こちらを見つめる青。微かに開かれた唇から一つ息を吐いた父は、確かにその目を開いて私を見ていた。
「っ…お父様!」
「謝らないで、リリルフィア。」
空気を含んで掠れたような父の声に、私は目覚めたことを喜ぶよりも先に気まずさからまた俯く。
目覚めることを願いはしたが、もう少し回復に専念してほしかったという身勝手な心情からだ。父に届けるつもりの無かった言葉が、父に届いてしまった。
父はベッドから片手を出して私へ手を伸ばす。ほど近い場所にいた私がその手を取ろうとする前に、父は私の頬へその指を滑らせた。
「父様は、リリルフィアを失ったら生きていられないから。勝手に動いちゃっただけなんだ。」
いつかも話した、父の私に対する重みのある言葉。
それは私を失ってからだけではない。失われようとした時でもこうして父は私の代わりに命を使うことに躊躇しないのだろうことを容易に想像させた。そしてそれは現実となって目の前にある。
これを知っていた、とは言わない。だが、父がそう考えているかもしれないなという可能性を考えていた父の覚悟に私は父の指に涙を落とす。
「私も…お父様が居なくなるのは嫌です。」
私に父が言うように、私だって父を失いたくない。
「守られるだけは嫌なのです。」
私を守ってくださるように、私だって守りたい。
だって、そうしなきゃ…目の前の人はいつか。
私を置いて行ってしまうのではないか。
「…置いていかないで」
今まで一度たりとも口にしたことの無い本音。
自分が巻き込まれて危険な目に合うよりも、自分を父が見てくれないことよりも、目の前から忽然と消えてしまう恐怖が今日、間近な赤色の現実となって私の身に突きつけられたような気がした。
気がついた時には父が私の一番近くにいて、洗脳のように母の死は私に父が私を母として見ることで刷り込まれ。幸か不幸か、私はこの世界で未だ身近な者の死を知らないのだ。
だからこそ深く深く根を張った願望が、抉られるようにして表層に顔を出す。失う恐怖はもう隠せない。
後から後から流れ出る涙は、父の手を伝った。
怪我と気を失っていたこともあり、ぼんやりと父は私の涙を追うだけだったが、ハンカチが追いつかずドレスも使って涙を拭う私はそんな父を気にする余裕がなかった。
「リリ様…」
気遣わしげな声が背から聞こえる。
嗚咽が漏れるほど泣いている私はそれに返すことが難しく、追いつかない涙をどうやって止めようか必死だった。
前の人生の記憶なんて、今は何も役に立っていない。自分の生活した記憶は全て記憶の奥底にしまわれ、あるのは本棚のように取り出しやすい詰め込んだ知識だけ。涙の止め方も人の死の乗り越え方も、私の中には無い。
私の中に、生活に伴う感情の記憶は、何一つとして無いのだ。




