もう一つの場所
朝から伯爵邸を発ち、馬車に揺られた私達は平和に領内を王都へ向けて進むことが出来た。気付けば日は傾いてすっかり夕暮れとなった街並みを、伯爵家の馬車はゆっくり歩いてくれた。
「一年ぶりの“ソテラ”はどう?」
「変わらず美しいですわ」
王都とハルバーティア伯爵家の屋敷の間に位置するこの街は『ソテラ』と言い、毎年2日間の王都行きの中間地点はこの街。
目的地に到着した馬車は速度を緩め、ピタリと止まる。父の合図に合わせて馬車の扉を開いたジャニアは、まず私を馬車から下ろしてくれた。次いで父、リオンと外に出され、目の前の一年ぶりに見る光景に王都行き1日目の終了を実感する。
伯爵邸よりも質素で小さい屋敷。それでも穏やかな表情でこちらに礼をする使用人たちが手入れをしてくれているであろうこの建物を、隣でリオンは静かに見上げていた。
「ようこそおいでくださいました。旦那様、リリルフィアお嬢様。」
屋敷の使用人の一人、管理の指揮を任せている初老の執事が進み出て私達に深く礼をする。そしてリオンに向き直ると私達に向けたものとは別の笑みを浮かべて「お帰りなさいませ。」とまた頭を下げた。
この屋敷は今、主が不在のまま父の管理下で使用人共々現状維持を命じられている。この屋敷の主となる者は同時にハルバーティア領の西に位置するここソテラの統治も一任されるのだが、5年の間は執事が代わりにその役目をこなしているのだとか。
そう、ここはリオンと彼の父、そして今は何処かへ行ってしまった彼の母、3人のハルバーティア伯爵分家筋が暮らしていた場所。
「…戻った。」
一言、素っ気ないリオンの言葉にも執事は目を細めて眩しげに主の忘れ形見を見つめるのはいつもの事。シーズンになる頃にこの屋敷を私達は使用し、リオンの里帰りのようなものを兼ねているのだ。
そうでなくとも、この屋敷を経由して王都へ行くのは毎年の日程だけれども。
「お疲れでございましょう、お休みの用意は整っております。」
休憩を促す執事の案内で、私は一年ぶりのリオンの実家に足を踏み入れる。他人の家のような気になる私とは違い、隣のリオンは懐かしそうに目を細めて屋敷内を見回す。5年の月日を私達と過ごそうとも、この屋敷が彼にとっては『帰る場所』なのだろう。
悲しい出来事が続いた5年前、彼はどんな気持ちでこの屋敷を離れたのかは私にはわからないけれど、彼がこの場所に帰ってくるために努力しているのは知っている。
生前のリオンの父に、私の父はこの屋敷のあるハルバーティア領内の西一体の管理を任せていた。幼いリオンが将来この家に戻るのならば、父は再び管理をこの屋敷に住まう分家へ任せるのだろう。
それまで、そう時間はかからないはずだ。
「お嬢様。」
ぼんやりしていた私に、後ろからリンダが「どうかなさいましたか?」と聞いてくる。
それに「少しね」と返して前を行く父たちに追いつこうと足を進める。前にはこちらを心配そうに見ている父とリオンが待ってくれていた。
「大丈夫か。」
「大丈夫です。あとどれくらい、リオンお兄様とこの場所に『里帰り』出来るのか考えておりました。」
正直にリオンへ考え事の内容を話すと、彼は私を見て首を傾げる。何か言おうとする前に聞こえたのは父の「リリルフィア、寂しいの?」という優しい声だった。
「大丈夫、まだまだリオンは出来ないことだらけだから。この家を任せられるのは数年先だなあ。」
「…言われずとも分かっております。」
二人の言葉に『あれ、思ったよりもお別れは先みたいだ』なんて考えてしまう。リオンが努力して出来る仕事が増えても、父にとってはまだまだらしい。
そしてそれに安心してか視界の広がった私に、顔の半分を覆って私から顔を背けようとするリオンが見えた。
「…リオンお兄様?」
「いや、寂しいと思ってくれたのかと思うと…」
目のあったリオンの手の隙間から見えた口元は弧を描いていて、そのニヤけた顔に自分の言葉を振り返る。真正直に寂しいことを伝えてしまった気がして、頬に熱が集まった。
「私は“寂しい”なんて言っておりません!」
「言ってなくとも、考えていただろう?」
リオンがいつになく意地悪で、いつになく笑っている。珍しい笑顔が見られるのは良いのだけれど、犠牲になってしまった自分の羞恥心をどうにかして返してもらいたい。
私達のやり取りに「若いねー」なんて執事と話している父。
未だに頬を緩ませたままのリオンは片膝をついて私と目を合わせると、ポンと私の頭を撫でた。
「もしも私がこの屋敷に帰ったとしても、リリルフィアや叔父上と過ごしたことは無くならない。」
だからあの屋敷もここも、私にはどちらも等しく『帰る場所』なんだ。
そう言ったリオンに負い目などは欠片も無く、伯爵邸も彼の『帰る場所』になっていることに、私は嬉しさだけが溢れた。