不吉の象徴
再び戻った王城内だが、距離もさほど離れていない為に別段変わったところは無かった。馬車が止まるであろう場所に少しだけ、近くなったくらいか。
ゆっくりと歩けば、庭園では見当たらなかった王宮勤めの者たちとすれ違う。何度目かの視線にさらされながら、これからどうするか考えた。
宮女たちから離れることはできたが、目的は未完遂。
「ラング、別の庭園に…」
『別の庭園に連れて行ってもらえない?』と問おうとした時だった。
曲がり角を曲がった先に居た人物は、その瞳を驚きに丸くして立ち止まる。同じく私達も動きを止めれば、周りは騒がしさを増した。
「…ご機嫌麗しゅう、ハルバーティア伯爵令嬢。」
ザワリと周りが反応を見せたのはなぜだろうか。予想外の人物との対面に頭を可能な限り回転させて、時間稼ぎのように広げていた扇を持ち直す。
彼がここに居ることも、まして会うことも、更には声を向こうからかけてくることも全く予想できていなかった。
そんな胸中を無理矢理ねじ伏せ、私は目元だけでも笑みを作る。
「お久しぶりで御座います。“あの時”は名前をお伺いしていませんでしたわね。」
「自分は男爵家の末席に連なっているだけです。改めてお耳入れする程ではありません。」
名乗ることなく、頭を下げるだけの男が貴族だったことが判明した。
長身で細身は相変わらずだが前回とその装いは全く異なっており、貴族らしい仕立てのいい服と、撫で付けられていた茶髪は下ろされていた。
そう、以前見た黒曜石のような瞳を隠すようにして。
私は周りの反応の意味を気にしつつ、努めてにこやかに見えるように会話を続ける。
「そう、男爵家の方でしたのね。あの時の“お連れ様”はご健勝でしょうか。」
「…さあ。元々私は“あの家”の者ではありませんので。」
そうではないかと予想はしていたが、隠す様子もないのだなと彼の心理を測りかねた。
少なくとも、我が家の領地に許可無く足を踏み入れたのは事実であり、更にはアルジェントというハルバーティア伯爵の使用人に手荒な真似をした。
出会い頭に初対面ではないと振る舞いで見せたのも、彼にとってどう作用するのだろうか。
「ハルバーティア伯爵令嬢、ここで会ったのもなにかの縁です。宜しければ庭園の散策をご一緒にどうですか。」
ざわめく周りの反応が流石に煩わしさを感じてきた。
移動した方が良いかしらと考えたとき、後ろで控えていたラングが私の耳元へ顔を近づける。
「リリ様、今“不吉の象徴”と聞こえました。」
彼の囁きに、目の前の男、そして騒がしい周りを見る。
感情の見えない男が何か話す度に周りは彼へ無遠慮な視線を向けている。それは私と話しているからではなく、ギルトラウと会う前に宮女たちの間で交わされたやり取りが関係しているのだと分かった。
目の前の彼がそうだとして、私が行動を共にすればどう見られるだろう。この手の噂がいい方向へ転ぶことは稀だし、かと言ってここで素気無く返すには私は彼を知らないのだ。
「申し訳無い。この瞳は少々“不吉な色”とされているようなのです。共に歩くのもお嫌でしょうか。」
私が彼の誘いをどうするか答えを出す前に、彼は後ろ向きな言葉を零す。
場所と彼との関係性が違えば、その言葉に同情くらいはしたかもしれない。だが、そういった優しさを見せるには彼に対して私はなんの感情も持っていなかった。
勿論、周りに対しても同様だ。
「黒曜石のようなその瞳が“不吉の象徴”ですの…?」
「ええ。皆がそう言います。」
「それは残念ですわね。」
淡白な返しに周りが笑むのがわかる。
野次馬のようなこの行為、貴族として礼儀や品性を疑われてもしょうがないと思うのだけれど、とため息を吐きつつ私は言葉を続けた。
「私の体に流れる血の一部に、かつて我が国では“夜の色”と喩えられ、隣国では“聖女”と言われた黒髪の女性のものがありますわ。両国が同盟の象徴として認めた彼女と同じ色。それを“不吉”だと思われるなんて、“残念ですわ”。」
無知な者の想像力とは恐ろしい。
どんな宝玉でも、知識や歴史を知らなければただの石ころと同じなのだ。由緒正しい屋敷に安置されるただの鏡が、忌まわしき封印の宝物にもなり下がる。
隣国から同盟の象徴として貴族の令嬢が嫁いだ歴史は、貴族ならば知っていて当たり前の一般教養だ。容姿の色を指さして嘲笑う者たちは、自分の知る歴史の立役者とも言える女性が同じ容姿をしていたらどうするのだろう。
敢えて声高に言葉を紡いだ私へ向けられる視線。その中に僅かだが戸惑いや焦りが含まれたことに満足し、私は一歩目の前の男へ足を進める。
私の言葉に戸惑いを見せなかった、寧ろ感心した様子の彼を見て私は確信に至ったのだけれど、ここで言う必要はない。
「申し訳ありませんが、庭園へご一緒する時間はありませんの。」
「…そうですか、それは残念です。」
互いに礼をして、進行方向へすれ違う寸前。彼は立ち止まり私へ視線を向けて、咳払いをするような僅かに前屈みになるような動きをした。
止まった私に、彼は口元に当てた拳で隠すようにして呟く。
「過ぎた偽善は、身を滅ぼすことになりますよ。」
偽りの善意。
何を偽りと取ったのか、何を善行と取ったのか。
忠告めいた彼の言葉に、私は扇を口元へ翳したまま返す。
「“悪の子”に、忠告の必要などないでしょう?貴方こそ、“公爵”の命令に背くと危ないのではなくて?」
見開かれる目。
それを確認してから、私はラングを伴って帰路についた。




