成長と巣立ち…?
「失礼します、お嬢様。」
「お入りになって。」
サンルームに銀の髪の彼が礼をして入室し、私の対面の椅子の横までを歩いてから改めて礼をする。彼、アルジェントの言葉遣い指導も10日が経ち、その成果は今の様子だけでも一目瞭然。
扉を開けて顔だけ出すような彼はもういない。
「本日も、ご指導よろしくお願いいたします。」
まず、緊張が抑えられた。
窺うような視線は残るものの、日々言葉遣いを意識しているからか変に噛むことも無くなってきた。
そして振る舞いにも変化が出ている。
立ち座りのマナーが付け焼き刃ながらも身についていたのは、指導を始めて6日くらいの時。彼自身、周りを見て学んだと言っていたのでこれからもどんどん磨かれていくことに期待。
「お座りになって。」
「失礼致します。」
椅子に腰掛けピンとした背筋で私と向かい合う彼に、拾ったときの弱々しさは無い。緊張で表情は硬いものの、貴族の前に出ても問題はないとジャニアから言われていた。
会話は全くだけれど、私の付き添いなどで側にいたとしても可笑しくない程度には姿勢も矯正できているようだ。
少しの間彼を観察し、リンダがお茶を私とアルジェントの前に置いたところで、私は、彼から視線を外す。
「ええ、合格よ。」
「ふあぁ…」
崩れるように椅子へ凭れたアルジェントにリンダは眉を寄せるものの、私が許しているので咎めることはない。
この10日で一番変化したのは、彼のこの態度だと思う。
緊張しっぱなしだと疲れてしまうし、思わぬところで緊張が解けてしまえばあらぬ失敗を生む。ならば力を抜くタイミングを作って、また仕事のために緊張を張り直すのが良いだろうと彼に説明したのだ。
許される場で、好きな態度を取って良い。
私とリンダの前では緊張を解いても許す、と3日目くらいにお茶をしながら伝えた。
初めは居心地悪そうにしていたアルジェントだけれど、お菓子って凄いわね。休憩と称してお菓子を一緒に食べて、彼の無防備な姿をこの目で見た。見られたことが幸いしたらしく、それから彼はこの場では緊張を緩めるようになったのだ。
今では私と会話することに怯えは無い。
「これでメイベル様と会えるわね。」
「会わないといけませんか…?」
途端に弱々しくなったアルジェントが、この言葉遣い指導の本来の目標を拒否しようとしている。
メイベルが彼に会いたがっていると伝えたのは昨日。そのためにこの指導をしていたことに対しては納得していたのだけれど、『まだ私には無理です』とか『丁重にお断りさせていただきたく…』などと、覚えた言葉たちを頑張って使ってどうにか回避しようとしているのだ。
「来週には王都に貴方も行くのよ。行きたいって言っていたじゃない。」
「はいっ!美味しいもの、沢山あるんですよね?」
「ええ、貴方がこの前美味しいって言っていたマカロンも、王都なら沢山売られているわ。」
お茶するときに出されたマカロンをアルジェントはかなり気に入ったようで、私の言葉にキラキラした目をして王都へ夢を馳せている。
「ね、王都へ行きましょう?」
「はい、お嬢様!」
「それで、メイベル様に会うのよ。」
「はい!」
よし、言質は取ったわ。
私は誘導出来たことに満足して、リンダの淹れてくれたお茶を飲んだ。キラキラしていたアルジェントは私の姿と私の側で笑いを堪えているリンダを見て、自身の失言に気づいたのかスッと真顔になった。
「…お嬢様は意地悪です。」
「あら、今更気づいたの?」
「うっ…」
世間話も、こうした軽口も、少し前まで無かったものだ。この10日で彼の好きな物も苦手なことも知った。初めに彼が書庫から借りていた本はジルがアルジェントの相談に乗って、ジルが手渡したものだったらしいことも知った。
見守るつもりだった、手助けするだけのつもりだった彼が、なんだか近い。
小説でも書かれていなかった彼のことを知る度に、『悲劇のヒーロー、アルジェント』をどうにかしたいという考えから『使用人のアルジェント』がこれから行く先を手助けしたいという考えに変わってしまった。
この気弱で頑張り屋な少年を、私はどんな距離で見守ればいいのかわからなくなっていた。
「これで指導することは終わりよ」
「はい、ありがとうございました。」
キレイに礼をするアルジェントに、巣立ちの気分。
少し寂しいな、と思ってしまった。




