爵位と貫禄
馭者が戻ってくるまで、後ろの騒がしさは続いた。
辺境伯家の馬車と子爵家の馬車を譲るに当たって、我が家の真後ろに並んでいる馬車にももちろん事情の説明は必要。
馭者たちが話しているのを窓から覗いていれば真後ろの馬車の馭者が降り、馬車の中へ声をかける。すぐにこちらへ来るのが見えた。
「お嬢様、伯爵家の馬車の方が…」
扉を開ければ我が家の馭者と真後ろの馬車の御者が並んでいた。どうやら真後ろの馬車は伯爵家だったようで、被っていた帽子を胸の前に持った男が一礼する。
顔を上げて初めて私が視界に入ったのか、驚いた表情を慌てて俯いて隠したことが知れた。
戸惑ったような表情の男はしきりに後方へ視線をやりながら、自身の仕える主の馬車なのかその後ろで揉めている方なのか気にした様子で口を開く。
「お話は伺いました。お仕えする旦な…ガシェ伯爵より『知恵と機転に感謝を。我が家も協力することにした。』と。」
ガシェ伯爵家。聞いて思い出す情報はかなり少なく、今わかるのは目の前の馭者が“旦那様”と呼ぼうとしたことからも、ご当主が乗車していると考えて間違いないだろうというくらい。
老齢と言える歳だったと記憶しているが、提案に難色を示すどころか協力してくれるらしいことに私は驚いた。
既に後方の馭者達には伝わっているようで、後ろの後ろに並んでいた子爵家の馬車が動き出したのがわかった。私達はまだ動いていないのに、せっかちというか短気というか。
「ガシェ伯爵に『協力感謝いたします。機会があれば、ご挨拶できる日を。』とお伝えくださいまし。」
私の言葉に頷いたコルストン伯爵家の馭者は、すぐに自身の仕事に戻った。
その間にも気が急いたらしい子爵家の馬車は我が家の横にやってくる。私はそれを待っていたので、ラングに手振りで窓を開けさせると、横についた馬車からは同じく窓を開けてこちらを見る男性が。
「驚いてますね?」
「我が家も後ろのガシェ伯爵家も、馬車はなるべく軽くするように装飾を減らしているもの。伯爵家だと分からなかったのでしょう。」
目を見開き、顔を青くさせ、こちらを見る男性にニコリと微笑む。完全に目を閉じないようにだけ気を使い、次いで扇を口元で揺らしながら首を傾げれば子爵家の馬車は真横で停車した。
扉を開けて我が家の馭者をその場に残していたので、子爵家の馭者が駆けて叫ぶのもしっかりと聞こえる。
「か、家名を伺いたいと主が…!!」
「ハルバーティア、と申し上げたはずですが…」
「爵位は!!」
一連の会話に、ラングと目を合わせる。
きっと思ったことは一緒だ。『前へどうぞ。』と言うだけで家名は告げず、この状況に持っていくことを願ってはいたが。予想していた私も、流石に家名を聞いたにも関わらず爵位が浮かんでいないとは思わなかった。
それより、馭者が爵位を相手に伝えていないのは敢えてだろうか。敢えてだとしたら、馭者の悪意が感じられる。
チラリと彼を見れば、とてもいい笑顔。
それだけで真相は伺えた。
「ハルバーティア伯爵家、そうお伝えください。」
扉は開かれているのだからと声を出せば、「ひっ!!」と怯えたような声が聞こえた。馭者は見えていたが、扉が開いているかどうかは確認出来ない絶妙な位置に立っていたのが子爵家の馭者の運の尽き。
ゆっくりと進み出た子爵家の馭者が姿を表し、深く、深く頭を下げた。
「今避けますわね。後ろのコルストン伯爵も快く譲ることを申し出てくださったようですので。」
「おおおお待ち下さいっ!!どうか!どうかしばしお待ちを!!」
返事も聞かず、子爵家の馭者は早足で戻っていった。窓はカーテンを開けているため様子が伺える。
話し声もラングには聞こえているようで、どこか楽しそうに「焦ってますよ!」と実況してくれたが、いくら相手がせっかちでお間抜けであっても、それを表立てて笑うべきではない。
私は努めて冷静に「そうね。」と言うに留めた。
窓から子爵と思われる男性の姿が消えたと思えば、先程からバタバタとしている子爵家の馭者が「子爵がお会いしたいと申しております!!」と告げに来る。
それを中継するように我が家の馭者が私へ視線を向け、私はそれに頷いた。少しして、ふくよかで豪華な装いの男性が馬車までやってくる。夜会などで見かけたことのない顔からして懇意にしている家では無さそうだが、ハルバーティア伯爵家の名を聞いても敵視する様子はないことから、我が家に恨みなどがある家に属している心配は無さそうだった。
「お初にお目にかかります。いやはやこの度はお手数をおかけいたしまして…」
「お気になさらないで。急いでおられるのならと後ろのガシェ伯爵と相談しましたの。幸い私共は時間に余裕がありますから。」
柔らかく伸びやかな声を意識すれば、驚いたような顔が私を見た。子爵は素早く私の周囲を観察し、笑みを深める。
せっかち、お間抜けに“浅慮”が私の中で、目の前の子爵に付け加えられた。




