少年少女
「お、“お初にお目にかかります”」
「はい、最初の“お”が余計よ。」
「ぐ…“お初にお目にかかります”」
「いいわ、次。」
「“この度ハ、ルバーティア伯爵家の使用人としてお世話になること、になりました”」
「切るところが変よ。噛みそうなら無理に一度に言おうとしないの。はい、もう一度。」
「はいっ…」
1枚の雑紙を持って、姿勢良く書かれた言葉を言うアルジェント。
その言葉に対しての指導をしていくお嬢様。
ジャニア様の戯れとも言えるこの『言葉遣いの矯正』は3日目を迎える今、お嬢様の指導力に目を瞠るばかりだ。
まず、ジャニア様に置いていかれたアルジェントにお嬢様は『そういえば、私は貴方に自己紹介していませんでしたわね』と徐に立ち上がった。
そして自身の若草色のドレスの裾を摘み、反対の手を胸に当て、優雅に腰を落とすその礼は、普段から学んで居られる淑女教育の成果を割増で発揮されている。
『リリルフィア・クレモナ・ハルバーティア。ハルバーティア伯爵家が当主、フィルゼントを父に持つ伯爵家長女ですわ。』
本来ならば目上のお方に対して使用されるその礼を一使用人でしかないアルジェントに見せるなどあってはならないのだが、彼の驚きと羨望の表情を見る限りお嬢様が“ソレ”を狙ったのは明白だった。
『知っていれば下男の仕事以外にも役立ちますわ。これからハルバーティア伯爵家以外に勤めることがあっても、身につけたスキルは貴方の武器になりましょう。
利用出来るものはした方がいいわよ、貴方の目指す先のために。』
お嬢様の強いお言葉は、確実にアルジェントの何かを揺さぶったのだろう。『…はい。』と返事した彼の瞳には一時だったが、緊張や怯えは見られなかった。
まあ、その後『指導前にお茶にしましょう。』とお嬢様が私に準備を頼まれた瞬間には、再び青ざめていたのだから本当に一時だけだったけれど。
「はい、通して言ってみて」
「“お初にお目にかかります、この度ハルバーティア伯爵家の使用人とすてお世話になることにりました、アルジェントと申します。”!」
今までで一番滑らかにアルジェントの口から出たその言葉。最初とは明らかに異なる上達ぶりに、お嬢様も満足げに頷いていらっしゃる。
「惜しいわ、使用人“として”よ。」
「ぅ…は、い。」
微笑みながら指摘するお嬢様に、アルジェントは肩を落としている。その姿に昨日までの緊張はほとんど見えない。
「お茶にしましょう。」
「い、いえ!ぼ…わたしは結構ですので!!」
遠慮を見せるアルジェントの態度は当然なのだが、その言葉がまだ良くない。お嬢様も「駄目よ、“結構です”は押し売りを断るときのもので、貴族相手に使えば侮辱になるわ。」と首を振っておられる。
顔を青くしたアルジェントに微笑んで、お嬢様はまず私にお茶の用意を命じられた。
「もしも断るのなら“遠慮させていただきます”か“またの機会にお誘いください”がいいと思うわ。遠慮と拒絶は全く違うから、その点は気をつけて。」
お嬢様の発せられる言葉の数々が、彼女の年齢に合わない。それなのに違和感を感じるよりも先に、お嬢様が言葉に合った年齢に見えてくる。アルジェントよりも3つ年下のお嬢様の方が、彼に教鞭を執るに相応しい年上に見えてくる。
「ひゃい…」
まあ、アルジェントが頼りなくて年齢より幼く見えるのも要因の一つでしょうけど。
2つのカップにお茶を注ぎ、お嬢様とアルジェントの前に置く。
「リンダ、貴女も一緒にどうかしら?」
お嬢様の言葉にアルジェントはパッとこちらを期待の眼差しで見てくる。幼いその表情は書庫に新しい本が入ったときのお嬢様を彷彿とさせて、頷いてしまいそうになった。危ない。
「…嬉しいお誘いではございますが、お嬢様の侍女としての職務を全うしたく思いますので、今は遠慮させて頂きます。」
「アルジェント、今のリンダの言葉が模範的返答よ。」
そう言って紅茶に優雅に口付けるお嬢様。
サンルームに差し込む日に髪が輝き、飲む際に大きな瞳の瞼は伏せられ、カップから口を離したときには緩やかに口角の上がるその表情たるや、まさに天使。
チラリとアルジェントを見ても頬が朱に色づいているのが確認できたので、やはりお嬢様の美しさは老若男女の別なく人々を魅了するようだ。
「…アルジェント、そのように異性を見つめるものではありません。」
「!!」
私の忠告にバッとコチラを見て、お嬢様に視線を戻し、自身が見つめていることに今気づいたように顔を真っ赤にして俯いた。
年の近い男女だということを、アルジェントが十三歳ということを、ジャニア様はちゃんと意識した上でお嬢様の協力を仰いだのかは謎ですが…
「…しっかりと見張っておかなくては。」
私の言葉が聞こえたのか、アルジェントが心なしかカップを持つ手を震わせたのが可笑しかった。




