黒い本と言語知識
「真っ黒…」
引き抜いた本は、背表紙だけでなく表紙も裏表紙も全てが黒かった。
白い文字で『この花を君に』とタイトルのみ書かれており、通常タイトルの下にあるはずの著者の記載も無い。
ゆっくりと硬い表紙を開き、見返しも捲ると目次になっていて、植物の名前と思われる単語の横には数字が振られている。
どうやら普通の植物図鑑のようだ。
「“アクレア”、“アドルッタ”、アスレン…」
順に並んだ名前もおかしな所はない。
試しに適当な頁を開いてみると、タイトルにもあるように花を中心に植物が紹介されているようだった。
【クルラッタ:紫の花弁が幾多も重なる花。服用すると手足の痺れが発生する。】
【ティリー:白く小さな花弁が特徴。生での服用は苦味があり、乾燥させると茶葉として服用出来る。呼吸を困難にさせる。】
【ユーラック:赤い薔薇に似た花。触れただけで痛みが生じ、服用するとたちまち死に至る。】
「“服用”…どうして自ら口にすること前提なの!?」
おかしい。
全ての説明の最後に必ず毒についての説明があり、“ティリー”という花なんて“服用出来る”と何故だか飲みやすい方法まで書いてある。
全てを読むことはせず、一番最後にあるはずの著者が記す後書きを探す。著者の記載が無かったことからあるか分からなかったが、最後の頁に後書きは記載されていた。
【美しいまま保つ術の無い私を許してほしい。そして私が調べた美しい花と共に、愛を永久のものとしたいと願う多くの者たちが、安らかな眠りを届けられればと願う。】
…とんでもない本もあったものだ。
投げ捨てたい衝動を堪え、私は黙って本を元の場所に戻す。その時力が入って余計に押し込むようになってしまったのは仕方が無いだろう。
花の図鑑であったが、花は花でも“毒の花”。加えて後書きを見たことで、物語のようだと思ったタイトルの本当の意味を知る。
「不変を得られなかったから、美しい花の毒を飲んだり盛ったり…ということよね?…発想が狂気的過ぎるわ。」
感じた寒気にすぐさま本から離れるようにしてラングたちの元へ戻る。小声でも楽しそうなその声に、単純だが気分が少し浮上した。
「良い本ありました?」と問うてくるラングに、アルジェントたちはそこで初めて私が側を離れていたことに気付いたようだ。
本から顔を上げて私を見てから、それぞれに気まずそうな顔をする。
「いい本は…まあ、ある意味印象の濃いものがあったわ。二人とも、私は自由にしていていいと言ったでしょう?そんな顔する必要ないわ。」
全て読んでいないようだが、満足したのかいそいそと本を閉じる。ラングによって戻された本は、再び開かれる時を待つ図書館の一部に戻った。
ネルヴは私を見て「貴重なお時間を有難うございました。次こそ、リリルフィア様のお目当てへ行きましょう。」と拳を握る。私が言い出したのだから礼は良いのにと思いつつ、これ以上言っても詮無きことと諦め、三人を連れて私は図書館の中を進んだ。
「リリ様は何が読みたかったんですか?」
ラングの問には答えず私は奥へ奥へと足を進める。
次第に明るさも少なくなり、重厚な雰囲気が増す。その中を更に進めば、辿り着いたのは歴史書を保管する場所。
その中でも私が足を止めたのは、同盟国の書物を保管する特殊な場所だった。
「私が見たかったのはここよ。」
文字、言葉、本の背表紙ですら自国とは少し異なるそれに、私は指を滑らせる。
先ず手に取ったのは本にすらなっていない、隣国の新聞を纏めただけのもの。資料も保存しているこの図書館では国の政務に関せず、重要性の低いものはこうして閲覧できるようになっているのだ。
紐で綴じられただけのそれを、私は読もうと開く。
そこでふと気になって、先程から黙っている3人の顔を視界に入れた。
「あら、どうかしたの?」
あんぐりと口を開けるラング。零れそうなほど大きく目を見開いているアルジェント。両手で顔を覆って表情もわからないネルヴ。
3人のそんな姿に首を傾げると、ラングは私の手に持つ新聞の束を見て、再び私の顔を見た。
「リリ様、そんなに勉強出来なくても生きていけると思います。」
「勉強って…貴族なら必要よ?」
「外国の文字読めなくても俺困ってないです!!リリ様十歳でしょ!?少なくとも後八年必要無いですよう…!!」
何故か泣きそうな顔して訴えてくるラングに声を落とすよう手で示す。素直な彼は小声にこそなったものの「たまにハルバーティアでも読めない本あるなと思ってたけど、リリ様が書庫の本全部読んだって本当だったんですか!?あれも!?あんな芋虫みたいな文字も!?」と黙る気配はない。
芋虫とは…南の小国の文字のことだろうか。
前の人生で、漢字ひらがなカタカナローマ字と様々な文字が混ざっていることが当たり前だった私としては、もうどんな文字であっても勉強すれば読めると確信している。
自国の言語も気付いた時には聞き取れていたという幸運があったものの、発音と読み書きはサッパリ出来ず。その上、前の人生の影響か外国語を学んでいる気分だったのだ。
学んでいて損は無い、やらずの後悔よりやって後悔の精神で詰め込めるだけ詰め込んだ知識たちは、目の前の騎士にとって我を忘れるほど衝撃的だったらしい。