慣れと言う名の荒療治
ジャニアの言葉に、喉から出かけた言葉を飲み込んだ。
そ、そんなに緊張しているの!?
「大げさじゃないのかい?」
「例を上げますと、本日仕事を終えたアルジェントは『だ、旦那、様に話しかけられました、申し訳ありません…』とフラフラしておりました。」
父が絶句する。
まさかそこまでとは。流石に話しかけられて怒るなんて理不尽なことをジャニアがするわけ無いだろう、と言いたいけれどアルジェントの心情はそんなことを考える暇もないほど磨り減っていたのではないか。
「…お父様、当分アルジェントと接触禁止ですわ。」
「え…彼、よく廊下掃除してるよね?」
「窓から出入りしてくださいませ。」
私の可笑しな言葉に誰も反論することなく、ジャニアに至っては「執務室からお出にならなければいいのです。」なんて少し楽しそうに言う始末。
流石に家で働く使用人の視界に入るなと家主に言うのは、無謀もいいところだと私だって分かっている。少し動揺しただけ。
「それにしても、そんな状態なら確かにアルジェントの王都入りは無理そうだね。」
「ですが、メイベル様の約束を守れないのは悲しいですわ…」
良くしてくれるメイベルの願いなら、出来る限り叶えたい。
けれど、アルジェントの精神的負担を増やすのも本意じゃない。
うーん、と悩んでいると「では、慣れるしかないですね。」とリンダが言った。それにジャニアも頷く。
「本来、主が使用人一人を気にかけてご友人との約束を守れないという状況自体、あってはならないことです。アルジェントは緊張しやすい性格のようですが、同時にどんな仕事もやり遂げる根性がありますので。」
お任せください、とジャニアは私に礼をした。
その明るく楽しそうな表情に、私は「む、無理させちゃだめよ?」と言う事しかできなかった。
「失礼、します…」
弱々しい声を出しながら顔を出したのは、緊張しやすいアルジェント。緊張を通り越して怯えているような気がするし、ここへ彼を案内したジャニアが後ろからとても楽しそうに背を押しているので、いよいよ心配になってくる。
昨日アルジェントの緊張しやすい性格が思ったより深刻だったと分かったのだが、ジャニアがアルジェントの性格矯正をどのように行うのかまでは聞いていない。
取り敢えず「お嬢様にご協力願いたいのです」ということで場所はサンルームを指定され、こうして待っていたのだ。
「お待たせいたしました。」
ジャニアの手には数冊の本。
それをサンルームのテーブルに置き、アルジェントを私の対面の椅子に座らせ…
「お、お恐れ多いです!!ぼ…わた、しのような人間?がぉぉおおお嬢様の前に座るなんて…!!」
…られなかった。
半泣きの抵抗に、こっちまで悲しくなってくる。
人間かどうかくらい、疑問に思わないでほしい。
あと、“お”が多い。
「良いから、座りなさい。」
グンとジャニアが肩を押して無理矢理座らされ、アルジェントは左右を見回しているけれど…恐らく助けは誰もしてくれないわ。
リンダが「哀れ…」と呟くくらいには、目の前に座らされたアルジェントはビクビクと肩を縮こまらせていた。どうにか小さくなって敵から逃れよう、と必死の小動物のようだ。
ふと、アルジェントからテーブルに乗せられた本に目を移した私は、いつか侍女が所在を知っているか聞いてきたその本に、ジャニアの考えを察する。
「ジャニア。また随分と思い切ったわね。」
「この者の部屋に押し入りましたところ、見つけたのでこれは都合がいいと思いましてね。お嬢様以上の適任も居りませんし。」
何だか父付きの執事の印象が大きく変わりそうだけれど、建前としてはまあ良いだろう。
「というわけでアルジェント、お嬢様から言葉遣いを教わるのです。」
「は…え!?」
バッとジャニアが居た後ろを振り向いたアルジェントだったけれど、「それでは私は旦那様の補佐の仕事がありますので」といつの間にか扉近くまで移動していたジャニアを見送るだけになってしまった。
沈黙が続き、暫くするとアルジェントはギギギと機械のようにゆっくり正面に向き直る。その姿に罪悪感を覚えるけれど、私だって何時までも緊張ばかりされてはたまらない。
ジャニアの『というわけで』は全くもって意味はわからないけれど、この際だから利用しましょう。
「貴方の上司もああ言っていることだし…」
テーブルに乗った『語学本』を撫で、彼が何を学びたいのか察していることを示せば顔を更に青くさせて今にも逃げ出しそうな雰囲気だ。
けれど、逃げられないのを分かっていて私は彼に笑みを向ける。
「良い機会ですわ、少しの間私に付き合ってくださいな。」
さしずめ悪魔の囁きといったところかしら。
目の前で緊張ではない、明らかな怯えを見せるアルジェントにそう思った。




