思考
全ての手紙を読み終えた父は、暫く自身の顔を手で覆って俯いていた。何も言葉を発しない父に私を含めて周りは固唾を呑んで、次に言葉が発せられるときを待っていた。
その時が来たのは深く息を吐いた父が私と目を合わせたとき。真剣な顔は一切の柔らかさを滲ませず、私が目にするのは滅多にない表情だった。
「ネルヴ、ジャニアをここへ。」
「はい。」
一礼したネルヴはパタパタと急いで退室する。
それを目で確認した父は一通目の手紙を眺めて私へ渡す。私は再び開こうとしたけれど、父はそれを制して首を横に振った。もう見るなということか。
「まず“あの二人”の身の安全について。これは無視しても、我が家の警備兵たちは優秀だ。何も無いと思う。けれど、それを絶対とは言い切れない。」
父の言葉に私は頷いた。『絶対に安心だ』と言い切られるよりも、不安要素が少なくともあると考えていた方が現実的で、有事の際にも速やかに動けるだろう。
私を安心させるためだけの言葉は要らない。父もそれを分かっているからこそ、私に対して現実的な答えをくれることが嬉しかった。
「安全は確保できるけれど、この場合に問題なのは送り主がリリルフィアをどうしたいのか、彼らをどうしたいのか、だね。」
私を“悪の子”と指すくらいなのだ。いい感情をもっていないことは確かで、ハルバーティア伯爵家やクレモナの一族に対しても“凍える眼”や“メッキ”の言葉から追い落としたいと思っていると考えていいだろう。
しかし反対に、アルジェントやネルヴについては判断しかねる部分が多い。奴隷と位置づけ、害する表現をしておきながら“神の色”と重要視している。
そして一番気になるのは。
「けれどこれだけは分かる。送り主は、リリルフィアに直接何かしようとは思っていないようだってこと。」
「私も同じことを思っておりました。」
文章に『王族から離れろ』と表現されているにも関わらず、その脅し文句として用いられているのは“奴隷の灯火”に触れるか否か。
私の身の危険を示唆する言葉は一つもない。
多くの点で矛盾した文書に、私は言いしれぬ気味悪さを感じていた。内容もそうだけれど、ガーライル伯爵家から届いたと見せかけている所も。
「旦那様、恐れ多くもガーライル伯爵家が何か噛んでいるということは…」
「無いだろうね。」
不確定要素のある場合にはけして断言しない父が、リンダの不安を滲ませた声にハッキリと言葉を返した。
封筒を眺め、私が切ってしまった封蝋に触れながら父は低く話す。
「脅す必要もなく、ガーライル伯爵家が俺たちを王族から引き離すなんて簡単にできる。それでも回りくどい方法を取るのだとしたら、ガーライル伯爵家を差出人にはしないだろうね。自分たちの関与が疑われる。」
私達との関係を考えからは排除して話すが、それでもガーライル伯爵家の潔白は明確だった。そこに私達との関係性を加えたとしても、彼らが私達を恨む要素が思いつかない。
悪感情を内に抱えながら関われるほど、薄い関係は築いていない。
「出過ぎたことを申しました。」
「いや、言葉にしてくれるからこそこうして否定も出来るというものだよ。疑心は積もれば厄介だから。」
頭を下げるリンダに父は気にするなと笑う。
そしてガーライル伯爵家の封筒を置き、次に手に取ったのはパルケット公爵からの手紙だ。呆れたように眺めたそれを、あろうことが父は半分に破いた。
「お父様!?」
「ん?ああ、これは正当な証拠隠滅だよ。公爵家から伯爵家へ見合いの申し出があることは秘匿されている。だから証拠となるコレを残しておく事はできないんだ。」
尤もな言葉を言っているが、その瞳は先程の真剣さが嘘のように、楽しく手紙を破いている。
修復不可能なまでに千切られた手紙は手紙を載せていたトレイに入れられ、それはリンダが回収した。無惨な姿となった公爵からの手紙に、私は先程までとは別の不安が胸を占める。だって“証拠隠滅”ということは、父は私と公爵子息との見合いに関するものは全て先程のように処分できる形にしているという事だ。
再三送ったと書かれていた釣書は、今どうなっているのだろう。
「さて、きっと返事は送らなくても公爵はリリルフィアと子息を会わせるだろうから気にしなくてもいいよ。あとはそれだけ。」
残りの一通はレイリアーネから送られてきたもの。
『会いに来い』という命令は、難しくはない。けれど“来い”とは王女殿下が住まう王宮になのだろう。それを思うと思わず伺うように父を見てしまった。
「行ってほしいな。俺への招待ではないから非公式、きっと王女殿下とふたりきりの茶会だと思う。」
父の言葉に頷くことしかできなかった。
デビュタントを迎えていない私、そしてレイリアーネは公の場で会うことはできない。となれば私達以外は使用人という中での極々非公式なものだろう。
何を話すのか、どういった服装で赴けばいいのか、考えることは山積みだった。




