その声は導
目の前の人の目が、寂しそうに思えてならない。
「お父様とガーライル伯爵をそろそろ呼んできて頂戴。」
ラングさんに指示を出すその人は時々兄さんよりも大人に見える。そんな人がさっき僕を見たときは寂しそうな女の子そのものだった気がしたんだ。
そう考えると針で刺すように胸の辺りが小さく鋭く痛くなる。今も目の前の母娘に目を向けて柔らかく笑っているのに、笑っている筈なのに、泣いているように見えるのは何でだろう。
「アルジェント。」
目の前でその人が兄さんを呼んでも、しばらく兄さんはぼんやりしていた。軽く肩を揺すってようやくその目が僕を映して、雲ひとつ無い空のように青い瞳と合わさる。
「寂しいかもしれないけれど、貴方にはネルヴが居るでしょう?」
こっちを見る兄さんは唇を噛んで、深く、頷いた。
居ない人を羨んでいたさっきの目は、もう無くて。僕が握った手を握り返して兄さんは「ごめんね、少し思い出しちゃった。」って笑った。
俺が覚えてない両親のこと。
目の前の母娘を羨ましそうに見ちゃうくらい、兄さんにとって僕達の親はいい人達だったんだと嬉しくなる。
“羨ましそう”
そう。目の前で今も優しい顔をして話している母娘を、兄さんは羨ましそうに見ていた。自分の親が生きていたらって考えて。
「俺は…よくわかんない。」
「そうだね、まだネルヴは小さかったから。」
少し笑う兄さんの向こうで、兄さんよりも俺に近い目をする人がいる。
俺が傷つけてしまった人。
それでも優しくしてくれる人。
今日まで会うのが怖かったのに、俺たちを心配して、兄さんを褒めていて、俺を見る目も暖かくて。
泣きたくなるくらい優しくて。
『貴方にはアルジェントがいるから、大丈夫ね。』
その優しい言葉が、俺が言ってはいけないことを言ってしまったあの日から初めて、俺に向けて言われた言葉だった。
あの日のことではなく、俺を責める言葉でもないそれに、目の奥が熱くなる。
「え、ネルヴ?」
「どうしたの!?まさか、どこか痛むの!?」
焦る兄さんとその人に、その優しさに熱くなった目から滴が溢れる。困らせたくは無いけれど、ハンカチを差し出してくれる兄さんや、使用人の俺にもしゃがんで目を合わせようとしてくれるその人が、暖かくて嬉しくて。
大丈夫とは言えなかった。
その代わりに出たのは「ごめんなさい」って突然すぎる言葉。
「ごめんなさい、リリルフィア、お嬢様…っ」
思ったままに出た言葉は、自分でも驚くほどすんなり馴染んだ。
目の前の人が“リリルフィアお嬢様”だと、ようやく認めることが出来た心地がして。
目を合わせたリリルフィア様は驚いた表情の後に、それはもう優しく笑ってくれた。
「許します。」
短いそれに、優しさが沢山詰まってる気がした。
兄さんを助けてくれて、俺を助けようとしてくれて、家も食べるものも優しい人たちも、全部リリルフィアお嬢様っていう一人の女の子がくれたものだと認めてしまえば、感謝だけじゃ足りない気持ちが体を占める。
2つしか変わらないこの人に、兄さんと同じように俺も何かしたい。
「リリルフィア、お待たせ…?どうしたのネルヴ。」
「お父様。頑張ってくれたとでも言いますか、名前を呼んでくれましたの。リリルフィアお嬢様って!」
入ってきた旦那様は俺たちを見て首を傾げる。
そんな旦那様にリリルフィア様は近づき、嬉しそうな声を出して俺の事を話す。名前を呼んだことを、弾んだ声で。母娘を見ていた目が嘘みたいに明るい色になった。
「そっか、良かったね。」
頭を撫でる旦那様も嬉しそうで、それを見てリリルフィア様が更に嬉しそうにして。
ぼんやりと、この姿を見ていたいって思った。
この二人の姿が、ずっと続けばいいって。
「ねえネルヴ。お二人のこの姿を、守りたいって思うのは図々しいかな。変じゃない?」
隣の兄さんも旦那様とリリルフィア様を見ていた。
それで俺に言うのは羨ましいとかの言葉じゃなくて、俺と同じもの。繋いでいる手をギュッと握って、真っ直ぐ見る兄さんは格好良かった。
「どうだろう、でも変なことでは無いよ。俺もそう思うもん。」
握り返して、心に問う。
どうしたいのか、どうすべきなのか。
答えはもう、少し前から自分の中にあって。今日謝れたことで仕舞っていた箱の中から溢れ出した。
『ネルヴはどうしたいの?貴方自身のことよ、自分で考えるべきだわ。』
前に思い出して、気の所為にしたその言葉に。強くて凛々しくて優しいその声に、今は素直に言える。
「…兄さん、俺リンダさんみたいな、ジャニア様になりたいな。」
優しいお嬢様の傍で、支えられるような人に。




