感謝
「ミカルドが嬢ちゃんを呼び出し、レイリアーネが名乗ったまでなら『第三王女の話し相手』で終わっただろうな。呼び出したのが俺でも、レイリアーネの保護者としての行動に受け取れる。」
会いたいと言ったレイリアーネの望みを、公爵が叶えたという形で収まっていた周囲を崩したのは公爵が父に挨拶した、その“態度”。
気さくな関係である、またはそれを望んでいると取れた二人の挨拶は、勿論父の娘である私にも影響しているのだろう。
そして極めつけは、やはり公爵自ら私と目線や高さを合わせて私の手を取ったこと。
「嬢ちゃんも知っての通り、俺達にとって挨拶は互いの印象とこれからの距離感を測るための手段だ。爵位を継いだ当主でもなく“個人に対して”するのは、まあそういうことだ。」
軽く言ってくれるが目の前の方は王弟であり、王位を継承する権利は年齢も踏まえて誰よりも玉座に近い。
国王陛下との仲も良好だと自ら示したことで、この方の発言力も高まった。
整理すれば見えてくる、目の前の方の“役割”。
国王が政務に力を入れなければならない立場なのは当然のことで、その間国王の身の回りを支えるのは誰なのか、血縁を重視するこの国では王妃の発言力は血の濃い王族に対しては頼りないと言えよう。
王家の血を引く者たちを纏めるのは国王と血を分けた兄弟である王弟の役目となり、そんな王弟が目をかける者を周囲はどう見るか。
…まあ、そういうことだ。
「名無しのままでいれば良かったのにと、思うか?」
問われた言葉に私は横に首を振る。
名乗らなければ、トランプに興じた不思議な縁で終わっていた。
「お名前を伺えて良かったと思っております。」
「へえ。俺は公の場にお前を引っ張り出せちゃう権力者だったのにか?」
「それは初めてお会いした日から知っておりました。」
即答する私に頬を引きつらせている公爵。けれど予想はしていたのか「まじか。いや、忠臣の礼してたしな…」とどことも言えない場所に目を向けておられる。
再び視線が私に戻ってきたのを確かめてから、私は言わなければと思っていた言葉を並べた。
「伺う事ができたからこそ、私は貴方様へ直接述べる事ができるのですから。」
立ち上がり、周りの障害物が無いローテーブルの横で深く腰を落とす。この場で相応しいのは忠臣を示すことではなく、感謝や畏敬の念を伝えること。そう思って私は両手を胸の前で組み合わせる。
ガーライル伯爵の夜会、茶会でのザラン騎士、もしも目の前のお人が“名無しの貴公子”のままだったら、この言葉は直接伝えることは叶わなかった。
「先の件についてご忠告を頂いたこと、更には騎士団を動かして頂いたこと。ギルドラウ・ケイロン・クラヴェルツ公爵にはお助け頂いた感謝を。ありがとうございました。」
顔を伏せていても、息を呑むのが伝わった。
止まるように誰も動かない時間が数秒ほどあり、先に動いたのは公爵。
「顔を…上げてくれ」
絞り出すようなその声に促されて顔を上げれば、片手で顔を半分ほど隠した公爵は動揺を顕にしておられた。
予想していなかったわけでもあるまい。観衆の面前で公爵が私を呼び出した理由が“先の件について”だった。だから私は騎士の派遣についての礼を述べようと決めていたのだ。
少し予想と外れて、公の場で公爵と知り合うことを演出されてしまったが、それにしたって堂々とこうして“名無しの貴公子”とのことも感謝を伝えることができたのは幸運だった。
何にしても、目の前の公爵がこれだけ動揺を見せる理由が思い当たらない。
「どうされたのですか?」
「どうしたもこうしたも…嬢ちゃん、タイミングってもんが…」
「名無し様のままでは、こうしてお礼を言うことも叶いませんでした、と示しているつもりですが。」
「もうヤダ…何この子…」
首を傾げる私に公爵の反応の謎を説明してくれる人はいない。
唯一説明してくるかと思われたザラン騎士も楽しそうな顔で公爵の背を見ているだけだった。
「ハルバーティア伯爵令嬢…殿下がこんなに表情を崩される姿なんて、お姉様が騎士と駆け落ちするって言い張って王都に遊びに行ったとき以来よ…!!」
なにそれどういうこと!?
公爵が表情を崩されるのがそんなに珍しいのかという疑問よりも、レイリアーネの例え話のほうが気になって真剣な顔をして爆弾を投下した王女を見る。気になったのは私だけじゃないらしく、レイリアーネの後ろで控えていたミカルドもぎょっとした顔をしていた。
「レイリアーネ、その話はまた今度してやれ。…お前のおかげで落ち着いた。」
「あら、それは善うございました。」
疲れた表情の公爵にクスクス笑うレイリアーネ。
私に対して何度か悪戯を仕掛けていた公爵も、姪が相手となると立場が変わるのだなと感慨深く思った。




