その女神は全てを許し
目の前で繰り広げられる演技とハッタリの応酬を目の当たりにし、王女殿下と同じ歳の筈の伯爵令嬢の末恐ろしさを実感した。
主を敬う姿勢を見せておきながら瞳は常に冷静、完璧な立ち居振る舞いはとてもでは無いが年齢が二桁になったばかりとは思えない。
同じ歳のレイリアーネ様でさえミカルドにエスコートされながら「私もああならないといけないのかしら。」と苦く笑っていたほどなのだ。
現在、場所は変わり主催者である侯爵が夜会の休憩室として用意していた一室に我々は案内された。元々密談ができるような仕様にしてあるらしく、壁の厚い造りは会場の音の一切を通すことなく集まった我々の音だけが響いている。
「それでは、私は会場に居る妻の元へ戻ります。」
恭しく頭を下げ、侯爵は退室。残ったのは主とレイリアーネ様、私と副団長、ミカルド、そしてハルバーティアの父娘の7名。
主ギルトラウは三人掛けのソファの真ん中に位置取り、部屋の中を見回すように頭を動かした。そして前を向いて呆れたようにため息を吐いたのが聞こえる。
「レイリアーネ、会って間もないご令嬢の距離感では無いぞ。」
「あら殿下、嫉妬ですの?」
クスクスと笑うレイリアーネ様は寄り添うように伯爵令嬢の腕に自身のそれを絡めた。そう、伯爵令嬢の隣には父君であるハルバーティア伯爵が居るのは勿論のこと、その反対隣には何故かレイリアーネ様が陣取ったのだ。その素早さはドレスを纏っておられるのも頭に浮かばないほどのものだった。
主が真ん中に座っているのもそれが理由だったりするのだろう。主の背を守る意味合いもあって、護衛は対象の後ろに立たねばならない。なのでその顔は見えないが、寂しいんだなきっと。
「そんなこと言っていると、お前の大好きな姉上に『他所のご令嬢に迷惑をかけていた』と、告げ口してしまうなあ。」
「…殿下のイジワル!!」
長い脚を組んで上げた方腕を背凭れに乗せる動きを見せ、レイリアーネ様に言葉を紡ぐ主の横柄なこと。それでも様になっているのは流石は王族と言うべきか。
レイリアーネ様への言葉は彼女を主の隣へ移すことに成功し、すぐに真ん中から横にズレて場所を空けておられるのが可笑しかった。
「さて、久しぶりと言っていいのかな。“お嬢さん”。」
「…お久しぶりに御座います。“なな「あー、いい。それはいい。」…左様ですか。」
言葉を遮った主に対し、遮られた令嬢の澄ました顔。もう少し動揺を見せてもいいものを、愛想笑いを浮かべるわけでもなく、ただ彼女は遮られた事実のみを受け取っている。
そして隣のハルバーティア伯爵は娘の堂々たる言動にも動じず、寧ろ誇らしげに頭を撫でたり様相を崩したりしておられ、噂も自ら肯定しておられるらしい溺愛ぶりがそこにはあった。
ある意味権力者に対する執着や緊張が見られないという点において、とても良く似た親子だ。
「茶会では大変だったな。コイツが手を煩わせたとも聞いた。」
主に親指で示され、私は深く頭を下げた。
私が判断を誤ったばかりに場が混乱を極め、それを鎮めたのは紛れもなく眼の前の令嬢。目を向けたときには欠けたカップケーキがあった事を考えると、口に含んだ後だっただろうに。
今思い出しても握る拳に力が入る。
「騎士様が来られたからこそ、倒れた後に迅速な対応が実現し、こうして回復出来ておりますわ。それに、あのような場で子供の言に耳を傾けていただいたことも、ありがとうございました。」
凛と笑む姿に、女神かと思った。
咎めるどころか感謝され、その姿のどこが子供と言えようか。言わなければと思い出かかっていた謝罪の言葉などでは足らず、許された感謝を告げるのも浅ましい。
悩んだ末に相応しいと思えたのは、自らの剣を掛けて目の前の令嬢に敵意を抱かないという誓いをすることだけだった。
「…このシュリ・ザラン・モルセフ、名と剣に誓って今後貴女様の力になるとお約束します。」
帯剣を解いて軽く捧げ持った剣を素早く戻す。そして令嬢を見れば目を大きく見開いて、混乱しておられるようだった。
その姿を目の前にした主は、後ろを向いてソファ越しに私を見る。
「その判断を否定はしないが、押し付けるのは許さねえからな。」
主の言葉に頷く。
勝手に自分が誓っただけであって、令嬢が気負う必要などどこにもない。有事の際、“侯爵子息”“公爵夫人の甥”“王弟であり公爵の近衛騎士”という多く積まれた肩書が役立てばと思ったまでのこと。
何より主が気に入っておられる方なのだから、不利益になるようなことは絶対にしない。
「お…お待ち下さい!尊いお方の騎士様とあろうお方が私のような伯爵の娘に…っ受け取れません!」
キッパリと言い切る令嬢はどこか怯えたようにも見える。手に出来るモノの大きさへの恐怖か、それを手にした後への恐怖か。
その姿を見て初めて伯爵令嬢が年相応に見えるのだから、本当にハルバーティア伯爵令嬢は貴族として、淑女として、振る舞いに隙がないことが伺えた。
そしてその恐怖こそ、我々が令嬢に手を差し伸べたいと思ってしまう理由だということに、彼女自身が気づいていない。
「…叔母は言っていませんでしたか。『貴女の力になりたいと願う方々の手を振り払わないで』と。それでも、受け取って頂けませんか。」
強引だろうか。叔母の言葉を借りて令嬢にもう一度差し出すように問えば、困ったように眉を垂らした彼女は募るように父君へ目を向ける。
全ての決定権を持っておられるらしい伯爵は優しく令嬢の頭から背にかけて撫でると「有り難く、頂戴します。」と令嬢の思惑に反するように俺に笑った。




